第1話

第一章 花屋敷


「見たかあ! これがヴィッテルスバッハの血を継ぐ者の力だあ!」


<マリアの御手>魔法学校では、試験の採点後に上位成績者の名前が講堂前に張り出される。悲喜こもごも入り乱れる掲示板の前で、一際大きな声を張り上げていたのは誰あろうミジョア・ヴィッテルスバッハである。


「首席だ! 勝者だ! 覇者だ! 見たか、マンガラめ。俺こそが王者だあ!」

「ちょっと落ち着いて、ミジョア。それ以上はしゃがないで」

「燥ぐ? 燥ぐとはなんだ、フレイ君。望外の成果が出たというのなら燥ぎもしようが、これは当然の帰結であり極めて妥当な結果でしかない。太陽が東から昇り、水が上から下に落ちたからといって燥ぐ人間がどこにいる?」

「少なくとも目の前に一人いるから。飛ばないで、手を下ろして」


 寄宿舎で一年間ミジョアと同室だったフレイ・シュラリリッフは苦り切った顔で、放っておけばすぐにびよーんと天に突き上げられるルームメイトの両腕を押さえ込んだ。


「頼むからもう少し静かに喜んでよ。みんなが見てるから」

「見せればいいだろう、減るもんじゃなし。王者の尊顔を一目見たいと思うのは当然の心理じゃないか」

「いやー、どうだろうな。今回に関してはどうだろう」


 優男風の外見に違わず気の小さいフレイは大汗をかきながら周囲を見回した。


「あのさあ、ミジョア。僕達って、その………<マリアの御手>魔法学校の生徒じゃないか」

「ああ、そうだな」

「……魔法学校の生徒だよね」

「そうだとも。貴族の子女が集う魔法学校の生徒だ。特に<マリアの御手>魔法学校は数ある魔法学校の中でも最も歴史が古く、偉大な魔法使いを何人も輩出しているエリート中のエリート学校だ。その首席ともなれば世代のトップランナーと言ってもいいだろうな」

「魔法使いのトップランナーってことだよね」

「………何が言いたい。はっきり言えよ」


「一般教養で首席取るなよ」


「本当にはっきり言うやつがあるか!」


 いつの間にか二人の周りを取り囲んでいた人垣が一斉に頷いて同意を示した。

 魔法学校の授業は一般的に二種類に大別されている。国語や数学、歴史といった一般教養と、魔法実技と魔法理論の魔法学だ。建前上二つの学科に優劣はないが、わざわざ魔法学校と銘打っている以上潜在的にどちらが重要視されているかは言わずもがな。


「多分前代未聞だよ。魔法学での負けを一般教養でリカバーして首席を取るなんて」

「文句あるのか! 魔法学も一般教養も試験の科目に違いはないだろ。ちょっと魔法が得意だからって油断する方が悪いんだよ」

「……まあ、そうなんだけどさ」

「そこまでして首席になりたいのかよ、塩屋」

「誰だ! 今、塩屋と言ったのは!」


 眦を吊り上げて人垣を睨むミジョアの実家は、北のコルス湾の領主である。魚はあまり取れないがその分塩田に力を入れて財を築いた。今では国中の塩の流通を握る元締めのような存在になっており、ヴィッテルスバッハを怒らせるとスープの味が一段落ちると言われるほどだ。


 とはいえ魔法と武力が正義と言われるこの時代に、武器が塩というのはやはりどうにも押し出しがきかない。自然周りの貴族に舐められる。その反発からヴィッテルスバッハ家の人間は代々異常なまでにプライドが高く、ミジョアももちろん例外ではなかった。


「どうした。名乗り出ないのか、卑怯者め。よーし、わかった、覚悟しろよ。お前ら全員………塩を売らんからな!」


 ヴィッテルスバッハ伝統の捨て台詞を決め、ミジョアは颯爽とその場を後にした。もちろん、十六歳の学生の身であるミジョアに塩の流通を止める権限はない。


                 ☆


「無礼な奴らめ、無礼な奴らめ、無礼な奴らめ、無礼な奴らめ、無礼な奴らめ!」


 生徒の大半が寝食を共にする寄宿舎は校舎のすぐ南に併設されている。ミジョアはそこまでの道のりを怒りを込めながら踏みしめると、自室の扉を乱暴に蹴り開いた。


「塩を売らんぞー!」

「お帰りなさいませ、ミジョア様」


 と同時に掛け布団が跳ね上がり、濃い青髭の男が慌ただしくベッドから立ち上がった。


「ヤマダ、来てたのか」

「はい、お着替えの交換に伺いました」 

「……寝てなかったか?」

「滅相もございません、ベッドメイキングの最中で……ふぁ~~あ」


 嘘を隠す気があるのか、この男は。盛大に吐き出されるあくびを浴びながら、ミジョアは大海原の如く乱れたベッドのシーツと男の寝癖を交互に見つめた。


 気が付けばいつの間にか執事としてヴィッテルスバッハ家に出入りしているこの青髭のノッポが、ミジョアはどうしても好きになれない。父上はどうしてこんな氏も素性も知れない胡散臭い男を自分付の執事に据えたのだろう。掃除だの、ベッドメイキングだの、汚れ物の引き取りだのと理由を付けて毎日一度は寄宿舎にやって来るが、仕事量に比べて滞在時間が長すぎる。体よくサボりに来ているとしか思えない。


「見てください、ミジョア様。ミルク飴です。街道に屋台が出ていましたのでお土産

に買ってまいりました」


 その癖、ミジョアの好みは家族の誰よりも把握しているから始末に悪い。言いたいことは多々あったが、とりあえずお説教は後にしてミジョアは差し出された乳色の飴玉を口に放り込んだ。


「うむ、美味い」

「そうでしょうとも。味は確認済みですから」

「先に食べたのか?」

「実家にはいつお帰りになられます? いつも通り終業式が終わってからでよろしいですか?」

「まあそうだな、そうしよう………その様子だと試験の結果はもう実家まで届いているようだな」

「はい、朝一番に」

「で?」

「で、とは?」

「父上は、なんと仰っていた?」

「そうですね。最近、盗賊の動きが活発で塩の流通が滞ると」

「家業の愚痴はいい。俺の首席についてなんと仰っていた?」

「あー……。素晴らしい成績だとお喜びになっていました。さすがは我が息子! 国中に塩を撒いてお祝いしよう! 曲がり角という曲がり角にミジョア様の塩像を打ちたてようと――」

「ヤマダ、お前はどうにも嘘が下手だ。本当のことを言え」

「……最低限だな、と」

「そうか。もういい」


 背もたれがギシリと軋む。飴が塩にまみれた気がしてミジョアは顔を顰めた。


「あと、一般教養で首席取ってんじゃねーよとも」

「もういいと言っているぞ、ヤマダ」

「最後に、一般教養でいいなら高い金を払って魔法学校に入れた意味がないとも仰っておられました」

「なんで最後まで言い切るんだ、バカ野郎! まったくどいつもこいつも。一般教養の何が悪いというのだ!」


 ドスンと肘掛に拳を叩きつけると、痛みが肘まで伸びてきた。

 何が悪いかはミジョアが一番よく分かっている。彼自身、煌びやかな魔法を駆使し華麗に頂点に君臨する姿を夢想しながらこの一年魔法学の修練に明け暮れてきたのだ。


 しかし理想は、『刈り合い』の一回戦で紅蓮の魔女の爆炎を浴びた瞬間脆くも崩れ去った。魔法では勝てない。そう悟ったミジョアはせめて首席だけは獲得しようと方針を転換し、恥も外聞もかなぐり捨てて徹夜で一般教養の勉強に打ち込んだのだ。


 もちろん、貴族にとってその捨てた恥と外聞こそが何より重いものだということは理解している。故に称賛など期待していなかった。クラスメイトからの白眼視も覚悟していた。しかしせめて誰か一人は、家族ぐらいは労いの言葉をかけてくれるのではと期待していたのもまた事実である。お祝いなどいらない。塩の像も望んでいない。せめて一言、よくやったと褒めて欲しかった。


「ああ、あと言い忘れていたことがもう一つありました」

「父上のことはもういいと言ってるだろう!」

「いえ、お館様からでなく私からです。ミジョア様、改めまして学年首席おめでとうございます。私も執事として大変鼻が高うございます」

「…………」


 やはり、この男は好きになれない。普段ロクに仕事もしないくせに、減らず口ばかり叩いているくせに、本当にミジョアが欲しいものはきっちりと欲しいタイミングで差し出してくれるのだから。


「ふん……お前の鼻の高低など知ったことか」


 心を見透かされたような気がしてミジョアは赤い顔をそっぽ向け、甘みの戻ったミルク飴を口の中で転がした。

 

 ――コンコンコン。


 ちょうどその時である。部屋の扉が三度、控え目なノックを受けたのは。


「はい、どなたでしょう!」


 反射的に立ち上がったミジョアには、廊下に立っている人物が何者かすでに見当がついていた。寄宿舎のクラスメイトはノックなどしない。寮母ならもっと音が乱暴だ。


 通知だ。ついに来たのだ。


 ミジョアはドアノブが主食の獣のように扉に飛びつくと、


「――おほん」


 そこで咳払いを一つ。ミルク飴を飲み下し、眼鏡のブリッジを指で持ち上げて精一杯の威厳をかもしながらドアを引いた。


「お待たせしました、ミジョア・ヴィッテルスバッハです。いったいどのようなご用件ですか?」


 今忙しいのですが、といった風情を顰めた眉で表現する。通知のことなど今の今まで忘れていましたよという面構え。ミジョアがこの一年考えに考えた最もカッコいい通知の受け取り方だったが、成功したとは言い難い。隠しようのない笑みが口角から滲み出しているから。


 まあ、無理もない。十六歳の少年にとってはやはりたまらないものだろう。

 一年の努力が実を結んだ瞬間というものは。

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