『城』 第3話
「上手に歌えましたね。それじゃあ、おばちゃんはお家の方に居るから、みんなで仲良く遊んでね。好きなだけここにいてもいいいのよ」
おばさんは行ってしまった。嵐が過ぎ去ってほっと安心したような気もするけど、その跡地に一人で取り残されるのは新たな不安だった。
「ミキマサ君?」
丸刈りの子が寄って来た。くりくりの目玉がまっすぐに僕を見ている。
「ぼく、片山健太」
「健太君?」
「うん、西小の一年。そこのアパートがおうち。里奈ちゃんと祐くんもいっしょ」
矢口里奈は二年生、青西祐は三年生。ともに西小で、団地の住人だった。
「ここって、何をする場所なの」
「遊んだり、勉強したりするところ」
里奈ちゃんは丸っこい髪の毛をいじりながら答えて、それっきり、ピアノのイスに座って楽譜をめくり始めた。
「放課後とか、休みの日とか、行くところがなかったら、ここに来てもいいんだってさ」
祐君も座卓に戻ったけど、顔はこちらに向けていた。四角い眼鏡がちょっとだけ大人っぽい。
「まあ、家に一人でいてもヒマだし。ここに来れば大抵は誰かいるし。おやつも出る。あの歌はあんまり好きじゃないけど……」
ああ、よかった。この人はマトモだ。
「嶋田さんはいないの?」
「嶋田さんって、夏希ちゃんのこと?」
「うん」
「今の時間はいないよ。今日は月曜だから、七時までは英語の教室。明日はピアノ。明後日は塾。毎日そんな感じ。ここで会うのは晩御飯の時ぐらいかな」
自分の子は、ここに居させないんだ……。
なんだか不思議な話だ。それに、聞き捨てならない言葉が聞こえた。
「晩御飯もここで食べるの?」
「うん、時々。うちは両親とも家にいないことがあるから」
「ぼくは、しょっちゅう」
健太君が胸を張って割り込んできた。
「ぼくの家、お父さんがいないから。お母さんが働いてて、お仕事が遅いときはこっちで食べる。お母さんもそれがいいって言うよ」
そういえば、そういった施設があることは聞いたことがある。だけど、これはおばさんが自分でやっている事だと言っていた。僕はもう一度壁の花飾りを読んだ。
「『こどもの城』?」
「そういう名前なんだって、ここ」
「ねえ、ミキマサ君。何かして遊ぼうよ。ぼく、折り紙できるよ。絵本もあるよ」
絵本だなんてますます幼稚園みたいだな。
「じゃ、そういうことだから。好きにしてればいいよ」
そう言って祐君は宿題に取り掛かった。健太君だけが新参者の僕にくっついて、遊んで、遊んで、とせがんでくる。親戚に年下のいない僕には、それが新鮮というより、違和感のようだった。どう接すればいいのかわからない。
「ほら、あそこ、絵本。いっぱいある」
健太君の指さす本棚には、なるほど、ぎっしりと色々な本が押し込まれていた。四つある段の下から二段までが絵本、三段目が楽譜や音楽雑誌、一番上が文庫本と分類されている。健太君は本棚の足元にうずくまって、鼻歌を歌いながら物色を始めた。僕は何気なく文庫本の並びを眺める。
『王女とドクロのふね』
そのタイトルが目に飛び込んだ。二年生の頃に読んでいたシリーズ物の物語だ。学校の図書室には確か、文庫本で四冊しか置いてなった。だけどここには九冊もある。見たこともないタイトルが鎮座している。
――ああ、懐かしいな。あれは結構面白かったな。でも、今読むには少し子どもっぽ過ぎるかな。女の子が主人公だし……。でも、気になる。
『王女のかがやく時間』
時間。時間……。
ハッとして、時計を探した。学校の教室と同じような位置に時計がかかっていた。短針が六時を示していた。
「僕、もう帰らないと」
「えー、いま来たばっかりじゃん」
健太君が不満な声をあげるけど、構っていられない。そもそも僕はこんなところにいる必要なんてないんだ。
「帰るんなら、おばちゃんに挨拶しなきゃダメだよ」
祐君がそばから注意する。
「廊下のドアを開けて、おばちゃーん、て呼んだら来るよ」
「ぼくが呼ぼうか」
頼む前に、健太君はドアの方へ飛んで行っていた。
「おばちゃーん!」
「はーい」
化粧をし直していたのか、さっきよりも一段とこってりしたおばちゃんが姿を現した。
「ミキマサ君、もう帰るって」
「あら、まあ。もっとゆっくりしていけばいいのに。遠慮しなくたっていいのよ。ここにはいつまでだって居ても構わないのだから」
僕の方が構うんだ。
「お父さんに何も言ってないから、帰りが遅くなるといけないし……。あと、自転車もお店に置きっぱなしだから……」
帰りたい理由はそれだけじゃないけど、大きな本音だ。
『当店に御用のない方の駐車は遠慮願います。用のない駐車は発見次第一万円の罰金を徴収いたします』
そんなことが入り口の看板に書いてあった。駐輪もダメだとは書いていなかったし、まさか本当にお金を取られるとは思わないけど、子どもの自転車が遅くまで置いてあったらきっと怪しまれる。お店の人に見つかったら怒られるかもしれない。下手するとお父さんや学校に連絡されて、また騒ぎになる。静久先生を困らせる。お父さんも驚く。
それに、買い物をし直さなくちゃいけない。そう言ったら、またおばさんは怒るだろうか。言わないことにしておこう。
「そうねえ、おうちの人に何も言わないのは良くないわね」
おばさんは太い首で頷いた。香水のにおいがあたりに広がった。
「じゃあ、電話でもいれましょうか。せっかくの初日なのに、すぐ帰るなんてもったいないじゃない。一緒に晩御飯を食べましょう。歓迎の、ちょっとしたパーティーよ」
「パーティー!」
健太君、お願いだから、はしゃがないで。
ここで断らないと大変なことになる。
「ううん、いえ、僕、帰ります」
「どうしてよ。お父さんが怖いの? あッ、わかった、おつかいを済ませないと、お父さんに怒られるのね。そうでしょう」
「いいえ」
「ひどい父親ね! いい? おつかいはね、虐待なの。虐待って、わかる。大人が子どもをいじめることなのよ。子どもが遊んだり勉強したりする時間を奪って、大人がやるべき労働を強いることなんだから。そんなの横暴よ。子どもの権利を侵害しているのよ。子どもの時間は一分一秒が貴重なんですからね、大人の都合で無駄遣いさせちゃいけないわ。洗濯洗剤なんて自分で買えばいいじゃないの」
おばさんの舌はまるで機関銃だ。攻撃的だ。
お父さんは虐待なんて言葉から一番遠い人だ。僕のために仕事も家事も頑張ってくれているし、いつもニコニコと笑っている。
「だいたいね、大人たちはもっと子どもを大事にしなきゃいけないのよ。子どもが一人で町にいたら、どうしたの、何かあったの、って声をかけるのが当たり前じゃない。お節介だなんて躊躇していたら何も変わらないわ。お節介は必要、お節介で何が悪いの。大人が勇気をもって子どもに接しなくてどうするの!」
このおばさん、誰に向かってしゃべっているんだろう。目は僕に向いているけど、言葉が向いていない。
「ねえ、パーティーってどんなごちそうが出るの? ミキマサ君の好きなもの?」
空気を読まない健太君の発言で、おばさんは僕の存在を思い出した。
「ちょっと待っててね。今ミキマサ君と大事なお話の途中だから。いい? あなたは親に向かって、もっと本音をしゃべってもいいのよ。嫌なものは嫌だってはっきり言いなさい。大人だって少しは痛い目に遭わないとわからないんだから。その勇気を持ちなさい。あなた、そのまんまだと将来困るわよ」
将来なんて引き合いに出さなくても、いま困っている。
どうしよう。このおばさんは強敵だ。
外が暗くなる。お父さんが仕事から帰って来る。僕が家にいなかったら、お父さんは慌てるに違いない。やっぱり大騒ぎになる。
「僕、今日はもう帰ります」
だしぬけに祐君が口を出した。おばさんが目を剥いてそっちを見た時、祐君はもう机の上を片付け始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます