『城』 第2話

「こういうことはね、もっと行政が働くべきなのよ。行政ってわかる? お役人よ。あの連中がじゃんじゃん予算を出して、しっかりした施設を出すべきなのよ。子どもは町の未来なんだから、子どもの教育と保護には町をあげて、全力を尽くして対処すべきでしょう。でもダメね、この町のお役人は。全然ダメ。こっちは税金ちゃんと払っているのに、土木工事にばっかりお金を使うんだから。小角川の歩道橋なんて、着工からもう五年も経つのに、まだ造りかけじゃない。ああいうのって予算の帳尻合わせの時だけ工事を進めるのかしら。あんな調子じゃいつまで経っても進展しないわ。無駄よ。無駄金よ。それより児童施設をつくるべきよ。私は何度もお役所に足を運んでそういう意見を言ったんだけどね、あいつら、頭をかくばっかりでちっとも聞き入れやしない。自分は公務員だからって、町民を馬鹿にしているわ」

 こんな調子でをまくし立てられたら、誰だって頭をかく。

 おばさん――嶋田さんのお母さんの車に乗せられて連行されている間、おばさんの口は休みなく動いていた。

「でもね、子どもを想う母親の気持ちは強いのよ。そりゃあもう、無敵よ。権力なんか目じゃないわ。それも、自分の子どもだけじゃなくて、もっと多くの子どもを守りたい、幸せにしたいって願っているの。願うばかりじゃ叶わないから、自分で動くことにしたのよ。自主性って大事でしょ。お役所なんて頼りにならないんだから。ほら、見えて来た。あれよ」

 そこは西小と東小の校区の境目、町営アパートの並ぶ団地だった。おばさんの車はアパート群を通り越して、公園かと見紛うような大きな庭に車を乗り入れた。庭の半分は芝生になっていて、外国ドラマに出てきそうな白いテーブルとイスが据えてあった。おばさんの家も外国人俳優が住んでいそうな、大きくてお洒落な建物だった。

 お洒落なんだろうけど、周囲の鉄筋コンクリートに比べて妙に浮いている。いや、浮きそうなところを、「私がここにいて何がおかしいの」とどっしり腰を下ろして居座っているような家だった。こういうのを、「へいげい」って言うんだろうな。

「子どもはそっちから上がりなさい」

 そっち、と指された方は壁一面が大きなガラス窓になっていて、白いカーテンがかかっている。ガラスの足元に子どもの靴が三人分、きちんと並べられていた。おばさんは買い物袋を抱えて、横の玄関からさっさと入ってしまった。

 ――あんまり、行きたくない。というか帰りたい。何とかして逃げられないだろうか。

「みなさあん、今日は、新しいお友達が来ますよぉ!」

 玄関越しに、銅鑼を鳴らしたみたいな声が轟いた。逃げたい気持ちにぐさっと釘を刺されたみたいだった。あのおばさんから逃げるのは容易ではない。

 僕は意を決して、ガラス窓に手を掛けた。窓には鍵がかかっていなくてなんなく開いた。外からの風を受けて白いカーテンがまくれあがる。その隙間から教室のにおいがした。

「さあさあ、いらっしゃい。どうぞ遠慮しないで」

 先回りしていたおばさんが、さっきとは打って変わった猫撫で声で僕を引っ張り込んだ。

「いらっしゃーい!」

 床に座っていた丸刈り頭の男の子が、絵本を片手に僕に笑いかけた。

 そこは学校の音楽室か、視聴覚室に似ていた。乳白色のカーペットの上に直に座るようになっていて、部屋の一角が板張りで、白いレースのかかったピアノが置いてあった。ピアノの側には本のぎっしり詰まった四段の本棚。部屋の真ん中には座卓が五つ、教室の机のようにピアノに向かって並んでいる。

 靴の見立て通り、僕よりも少し小さい子ども達が三人いた。カーペットに両足を投げ出しているのがさっきの丸刈りの男の子。その横の小さな机で鉛筆を握っているのは眼鏡の男子。ピアノの椅子にはワンピースの女の子が座っていたけれど、鍵盤には蓋がしまったままだった。クラスメイトの嶋田さんは居なかった。

「ほら、みんな歓迎のあいさつをしましょうね。こっちに立って、並んで」

 おばさんの号令で、丸刈りの子は元気に、後の二人はゆっくりと立ち上がって、向かいの壁の前に並んだ。壁に貼られた紙の花飾りは、よく見れば文字になっている。『こどものしろ』と読めた。

 初めて会った子ども達に正面から見られて、僕はどんな表情をすればいいのかわからなかった。馬鹿みたいに口の端が波打った。

 三人がきっちり並んだのを見届けると、おばさんは僕の方へ来て、どんと背中を押した。

「今日からみなさんのお友達になります、ええと……」

 急に声が小さくなって、何か考え込んでいる風になった。ちょっとの間の後、また背中を押された。

「自己紹介をしてください」

 このおばさん、僕の名前を聞かないままここまで連れて来たな。

 僕はさっさと頭を下げた。

「繋木美木正。西小の四年生です」

「ミキマサ君、ね。はい、みんな、よろしくね」

「よろしく!」

 丸刈りの子が真っ先に頭を下げた。

「よろしく……」

 一拍遅れて後の二人も頭を下げる。なんだか大人の挨拶みたいだった。

 ところで、何がよろしくなんだろう。ここが何をする場所なのか、僕はちっともわかっていない。

「それじゃあ次は、歓迎のお歌を歌いましょう。みんなはもう覚えているでしょう。はい、美木正君。これが歌詞。みんなに合わせて歌ってね」

 お歌? 歌詞?

 なんのことだかわからない。おばさんから硬い紙のカードを手渡された。蔓草をあしらった縁の中に詞のようなものが連なっている。

 もしかして、これを歌えと? どうして、何のために? 僕は歌が得意じゃない、むしろ苦手なんだけど……。

「さん、はい」


  みんな友達 こどものお城

  みんな幸せ こどものお城

  一緒に遊ぼう 一緒に学ぼう

  ラララ ぼくのわたしの みんなのお城


 ――酷い歌詞だ。

 ここは幼稚園なのか。あの三人はよくも平気で歌えるものだ。僕は恥ずかしくてしょうがない。歌うことも、薄っぺらい歌詞も恥ずかしい。

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