当然というべきか、最初に何かがこちらに向かってきていることに気づいたのは、荒事に長けたソニアだった。


 主・ダフネがゆっくりと立ち上がろうとしていたところにソニアは、飢えた肉食猫族ですら隙を見いだせなかったであろう体さばき・素早さで立ち上がり、得物である槍を構える。


「王よ、こちらに」


「わ、わう……じゃなかった、はい、分かりました」


 ダフネは、直接ではなくソニアのその様子と言葉を見聞きして、何かがこちらにくるのだということを知覚し、あわてて立ち上がってソニアの後ろへと隠れた。


 そうしている間に、複数の人間の足音が、耳を澄まさなくても聞こえるまで近づいてきた。見れば、森の木々の隙間から、幾人もの人影が自分たちの方へとやってきているのが分かる。


 逃げなかったのは、その必要がないとソニアが判断したからだった。


 大陸をも制しようかというマリナス教国の精鋭・『白銀の乙女』らですら、約千人がかりで仕留められなかったソニアである。こちらに向かってくる者が、ひとりひとりソニア並みの実力を有しているなどということは考えにくく、逃げようと考えればダフネの体力を無駄に消費させることになる。迎え撃ってしまうのがあとくされなく一番いい、と判断したのだった。


「久々だなあ、こっちに獲物が通るのは」


 考えにくいことではあるが、逃げなかったもうひとつの理由に、あるいは敵対意思を持たないものの接近であるかも知れないし──というソニアの思惑は、相手のその第一声で、すぐに期待できないものとあきらめられた。


 どう好意的に考えても、その第一声は夜盗・山賊の類の発言にしか思われない。


「何者か」


 ソニアの、静かではあっても小さくない声で発された問いに、答える形で人影たちは茂みの中から二人の前に姿を現した。


「何者かと問われたからには、名乗ってやろう。我こそは──」


 茂みから現れ、今やはっきりと人数が分かった五人の人間の一番前に立つ二メートルを超える巨漢。手に、自分の身長と大差ない長さを誇る巨大な金棒を持ち、それで己が右肩をリズミカルに叩き、不敵な笑みと共にダフネたちを睨みつけてきている。


 山賊であろう五人の、筆頭と思われる女がそこまで言いかけた時、


「──シャキラか!?」


「シャキ……て、は?」


 ソニアが、相手の言葉をさえぎって驚く。相手と言えば、名乗る前に自分の名前を言い当てられたようで、唖然としてしまっている。


 そうして、自分の名を言い当てたソニアを見つめて、シャキラという名らしい巨漢も、


「姉御!?」


 ソニアのことを認識し、顔見知りだったということが判明した。


 しかし、ダフネにはよく分からないが、たぶん久々の再会なのであろう二人の、しかし少なくともソニアの雰囲気はとうてい喜ばしい、といったものではなかった。


 いや、顔に一瞬、なつかしさと共によろこびの感情を浮かべはしたようだったが。


「……シャキラ。風の噂には聞いていた、お前が山賊になった、と」


 歴代最高峰の素質、と謳われた霊闘士が、怒りをあらわに山賊の頭目と思しき旧知の顔を睨む。


「いやあの姉御、これには深い、深ぁい訳がさぁ」


 と、シャキラという巨漢は傲岸不遜だった態度がいっぺんに崩れ、親にイタズラが見つかった童女の体を見せていた。


 それを見てダフネは、


 あ、なんか近親感なのです。ボクもソニアに怒られるの怖いですしー。


 などとノーテンキな感想を抱いていた。


「深い訳、な? 数人の部下を連れ、得意げにこちらを見下ろし、得物を肩の上で遊ばせるだけの深い理由とやらを、無論聞かせてくれるのだよな?」


「い、いやあ……話すと、長くなるしさあ……」


「気にするな、時間ならある。とっくりと聞いてやるぞ。さあ話せ」


 そうするといよいよシャキラはその巨躯を縮こまらせ、冷や汗を掻き始める。言い訳などしようがないことを、誰より自身で承知している証であった。


「……おう、姉さんよ」


 それを溜まりかねたのか。シャキラが率いていた内の一人が、後ろから二人のそばへと歩み寄ってくる。


「山賊にどうしてもこうしてもあるかよ、このシャキラ姐さんがどんだけ強いか──」


「バカっ! 引っ込んで──」


 部下の勇み足に、シャキラは驚愕してまったをかけたが、一足おそかった。


「痴れ者が」


 それだけを告げると、ソニアは手に持った得物を無造作に一振り、横に凪ぐように振るう。


 次の瞬間。本人なりにシャキラを擁護し、ソニアをどうにかしてやろうと考えたのであろう男は、渾身の力で放たれた弓もかくや、という勢いで吹き飛び、近くの大木に激しくぶつかり、おおきく跳ね返ってからじめんに落ちた。


 口や鼻から血を流し、口からアワを吹いている。右手と左足も、間接とは逆の曲がり方をしている。


 意識はまだあろうが、このまま放置すれば深刻な後遺症が残りかねない全身打撲を負ったようだった。


「シャキラはかつての妹分、ゆえに特例で釈明の機会も与えよう。だが、貴様らはそもそも尊きダフネ陛下の玉体を傷つけようとした大逆の徒、本来なら発言の権利など微塵もないものと知るがいい」


 その発言を聞き、シャキラを含めた残り四人はざわめきだった。


 もはやルセリナ王の存在はマリナス教国の傀儡にすぎぬ、と、島の人間の誰しもが知っていたからだ。


 そして、そこから関連してひとつの事実に行き当たる。


 ルセリナが属する、ダヴィオニア帝国十二家。十二家の当主は、それぞれ魔導の秘奥によりて人外の守護者を侍らせる、という伝承を。


 それと合わせて、いま眼前で繰り広げられた、仲間への一方的なソニアの暴力。


 あまりのことに驚愕し、その暴力を被った当事者と他の三名は絶句した。驚愕はシャキラも同様だったが、そんな中でもかろうじて怯みから立ち直り、口を開く。


「姉、御……姉御、姉御は……まさか……」


 ダフネ程度の実力では、相手の──シャキラの実力を察するということはできない。だが推察はできるものとして考えるに、ソニアと知り合い、もっと言えば妹分と受け取れる発言を成している。そのシャキラの連れならば、そこらの雑魚と同列ということはないのではないか。


 その、ソニアの妹分が選んだ連れが、問答無用で動くこともまならず吹き飛ばされ、致命傷ともいえる大打撃を被らせた。


 それは単純に、シャキラにとっては衝撃だったのだろうと伺わせた。そんな表情を、シャキラはしていたから。


「私はもう、お前の姉貴分ではない。お前の姉貴分だった人間は──死んだ」


 その言葉に、その場でもっとも衝撃を受けたのは果たして誰だったか。


 シャキラが衝撃を受けたことは、その表情を見れば語るまでもなかった。


 だが。


 結果として、ソニアを『死なせた』──人から王の所有物、『モノ』に貶めた童女の心は、どれほどの衝撃だったろう。


 それがたとえ自分に向けて放たれた言葉ではないと分かっていても、本人の口から聞かされた衝撃。


 覚悟と納得は、同義ではないのだと。


 幼い魂は、否応なく知らされる。


 だが、ダフネのそんな内世界での感情の嵐をよそに、ソニアとシャキラの対峙は続く。


「そっちがルセリナ王で……姉御が死んだ……て……まさか」


「その、まさかだ」


 ソニアは自らの心臓の上、胸の中央に右手を添えて、告げた。


 この身は、ルセリナ王ダフネ陛下の槍となったのだ、と。

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ダフネ戦記 ~ネファーリア幻夢譚~ 翠梟 @suikyou15

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