二本目の槍
ダフネとソニアが、霊闘士の誓いを経てマリナス教国の『白銀の乙女』騎士たちからの危地を脱し、ルセリナ島の南西部へと向かったのが、冥暦712、9月11日。ソニアが“人を捨て、王の槍となって”より3日後のことである。
ダフネたちは、逃げるに際して街道を使い、敵からおもいきり視認されることを是とする、ないしは視認されることに気づかないような愚者ではなかったから、逃避行は山道や林道、森の中が使われた。
その逃避行の中の休憩時、王都から逃げ出す際に持ち出した保存食を口にしつつ話し合った末の、目的地決定であった。
ダフネたちが島の南西域を目指したのには、れっきとした理由がある。
「ソニア、ボクたちが向かうべきは、どこでしょう? 北西は論外ですし、ボクは、……じゃない、私は、順当に考えれば東のカスタニェーダ公かクレランボー侯を頼るべきかと思うのですが」
「……いえ、それも手ですが……」
主君の提案に、ソニアは待ったをかけた。
まず論外とされた北西側は、これはもう行先の候補としては言葉通り、論ずるに値しない。
理由は単純にして明快。王都以北西、これ全てすでに教国の勢力下になってしまっているからだ。
マリナス教国の本拠が大海を隔てルセリナのはるか北に位置している。言ってみれば、教国の侵略が北西から王都にまで届ていてる訳である。
では南は、となると、真南には主だった貴族は存在しない。元よりが王都直轄地の穀倉地帯であるためだ。
もっとも、では南は実質、王都を実効支配しているマリナス教国のものかというと、そういう訳でもない。
現状、マリナス教国としても、広大な食糧倉庫というだけで主だった脅威が存在していない南に勢力を広げているだけの人手はないため、空白地帯と称するのが事実に一番近い。
糧食は重要なものであるが、今、あえて戦争を仕掛けてまで奪おうとする勢力は存在していない。穀倉地帯を奪おうとする勢力が現れるまでは、マリナスも放置するだろう。
どのみち、ダフネたちにとっては身を寄せるための場がないこと、北と大差はなかった。
北南がダメとなれば、残るは西東。少し砕くなら、北西は前述した通り、マリナス教国の勢力圏のため除外される。残るは北東、南西、南東。
普通に考えれば、ダフネの提案どおり東にいく。
島の東の北南には、ルセリナに割拠する貴族の中で最大の家が二つ、存在しているからだ。
そんな大魔導貴族たちと、ルセリナ王家の嫡子たるダフネが合流すれば、マリナスに対抗するための大義名分と、実質的な戦力が融合することになる。
「それでも、それ以外を考慮しなければいけない理由があるのですか?」
「かの地には懸念材料があるのです」
ソニアは苦虫をかみつぶしたかのような顔をする。
カスタニェーダ、クレランボー両家ともに、古くからルセリナ王家を支えてきた魔導貴族の名家である。その家系をさかのぼれば幾人もの大臣や将軍、時には宰相すら選出してきた名門貴族たちであった。
島の東域には、他にも大小さまざまな貴族はいる。だが、注目に値するのはやはりその二家であろう。
「その懸念材料とは?」
「今代の当主たちが反目しあっているのです。あろうことか、戦端を開きかねないほどに」
ソニアは説明する──ヘタに御旗になりうる王のダフネが赴けば、両方の陣営が手を差し伸べてくるかもしれない。
それはそれでありがたい、王家にもはや価値無し、と無視される何倍も何十倍も良いことだ。
だが、そうなったらなったで、今度はどちらの手をとるか。結果としてどちらの手をはねのけるのか、という問題が発生する。
ヘタに味方を決めれば、袖にされたもう片方が面白かろうはずもない。まして、ダフネの名のもとに自分たちに下れ、などと当事者たちから言われでもすれば、目も当てられなくなるという訳だ。
「つまり、陛下がおもむくには少々、キナ臭すぎるのです。私たちが赴いて、それがきっかけで魔導貴族の大家同士が戦争でも始めてしまっては、目も当てられません」
「それは……心配しすぎではないですか? 仮にも魔導貴族、いまこのマリナス教国の脅威が吹き荒れる時代に、内輪もめを起こすほど愚かとは思えないのですが」
「残念ながら、陛下。もしそうであれば、そもそも貴族連合がマリナスと開戦したあの日、我らルセリナが敗れることはなかったでしょう」
ソニアはその麗貌に疲れた表情を浮かべため息をついた。まったく、このていどのことも分からずに今この緊急事態に反目しあうカスタニェーダ、クレランボー家の両当主にはウンザリさせられる、という本音が、言葉を用いずにありありと表現されていた。
「では、残された選択肢は……」
「はい。私は南西に落ち延びることを提案いたします」
「しかし、あそこに頼るべき貴族はいますですか? こういっては何ですが、ひとつひとつが小粒で、とてもマリナスに対抗することのかなう家があったとは記憶にないですが」
南西の地の問題となるのは、東と真逆。カスタニェーダやクレランボーといった、主だった大貴族が存在せず、大小さまざまな貴族たちが点在しているだけなので、まとまりがないという点だ。
いずれを選んでも問題はあれど、ソニアがなおダフネに、西南を進める理由は、
「マリナス教国もまた、私たちが逃げるなら東であろうと予測する可能性が高いため。そこにきて南西に逃げれば、当面、マリナスの追撃をかわすことができるかと」
そして、と、ひと呼吸を置き、ソニアは言葉を続ける。
「いまひとつは、大貴族が存在していないため、逆にこちらの動きを牽制されることも少なくなりましょう」
こちらが頼る立場になれば、発言権が少なくなるのは自明の理。その上、頼る側と頼られる側の差が大きいならなおのこと。
カスタニェーダ、クレランボーの両家当主が聖人君子、ないしは王家への忠義が篤いかと言われれば、前述した通りいまこの時期に反目しあうくらいの人物たちである、おおいに首を傾げざるをえない。頼るには少々、いやかなり警戒が必要なのも確かである。
ひるがえって、南西であればその心配は少ない。それに、
「陛下ご自身は一度も交流がなきゆえあまり実感はわかれないかと思いますが、かの地には陛下のご父君の実家があるのです」
「父上の実家、ですか……?」
「はい。アラルコン伯爵家です」
ソニアは言う。母の実家インドゥライン家は北西にあり、とうの昔にマリナス教国に飲み込まれているが、父の実家・アラルコン家はその南西部にあるもの大きい。交流こそ途絶えていた、というよりマリナス教国の工作によって絶たれていたが、父親の実家ともなればワラよりはまだすがりがいもあろう、と。
「……わかりました。では南西、アラルコン家を頼りましょう」
ダフネはソニアの言葉に賛成した。というより、ソニアの意見を退けてまで東に向かうメリットを見いだせなかった、と言うべきか。
正直、生まれて間もなく死別した、顔も覚えていない父や母、その実家と言われたところで、確かに実感などわきはしないのだが……
ダヴィオニアは女社会であり、父親の権限・権威はたかが知れている。それでも王の配偶者であれば、蔑ろにされるところまではいかない。カスタニェーダ、クレランボーの両家と比べ、実力は心細いが、身内としての安堵感は比べるべくもない。
寄るべき大貴族がいない反面、アラルコン家を核に、自分たちが中心になって大小の貴族たちを統合し、南西の一大勢力になれる目もあろう、というものである。
ゆえに、まずは南西はアラルコン家を目指そう、ということになったのだ。
現実は、ダフネたちの思惑通りにうまく運んでくれるような簡単なものでもなかろうが、どのみち必要な行動のための方針のひとつとして、そのように思い定め、二人は南西を目指すことにしたのである。
そう考え、二人は立ち上がり、自分たちが土の上に残った休憩した痕跡をソニアが消し始めた時。
その、『思惑通りにはいってくれない現実』というやつが、さっそく人の形となって二人に近づいてきていた。
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