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――この方には味方がいない。
生まれた時から、マリナス教国のお飾りが定められていた幼子。
魔導貴族連合を壊滅させたマリナス教国は、理由をつけてダフネをマリナス本国へ連れて行こうと企んでいたが、それを公然と論破しその企てを阻止した。『齢一二にしてあの論理あの弁舌、武芸魔導の才を合わせ考えればまさに霊廟開闢以来の傑物よ』と謳われたソニアは、その実力と可能性をマリナスに危険視され、そんなお飾りの守護役を押し付けられた。ダフネという幼児ともども、合わせて宮廷で飼い殺される籠の鳥となったのだ。
だが、ソニア自身にそれで不満は何もなかった。
元より、霊廟の闘士として魔法と戦技の道の極みにたどり着き、以て王の手足となることこそがその願い、生涯の目標。言うなれば自分は仕えるべき主の得物、その自分をいかように扱うかは主が決めることで、自分が自分の道を考えるのは霊闘士の分を超える。そのような立場に置いたマリナス教国の思惑は小癪だが、それでもダフネという愛らしい幼王の“お姉ちゃん”であること、いられることにまったく不満はなかった。
それに。人はダフネを『無能』と称するが。
そんな人間は、ダフネのその笑顔が、労わりの言葉のひとつひとつが、どれだけ人を癒し慰めるかにも思い至らぬ無知をさらけ出しているようなもの。その、人を癒す素養が人の主たる者にとりどれだけ――それこそ高位魔法を解する英知、一〇〇万の軍勢すら退ける武勇ですら比較にもならぬほど得難いものであるのかを、まったく理解できていないというだけのこと。
それに。霊闘士としては恥ずべき感情ゆえ、胸に秘したまま墓に行かねばならぬ事実をいまこの時に思い返せば――そんな愛らしいダフネを自分だけが世話しているのだと、自分だけがこの方をお護りできているのだと思うと、密かな独占欲の充足があったことも事実だった。
「ユア――」
霊闘士は、その生涯を霊廟の守護者たる王に捧げる。
その身は王の、杖にして刃。
ゆえに、その誓いは極めて重く。真の王のみがその忠誠を求めることができる。応える霊闘士もまた、真の王以外の何者からの要請にも応じてはならない。
それが王族の血に連なる者であっても王そのものでなければ例外ではなく。まして年端も行かぬ幼女であればなおのこと。
それを冒すのであれば。自ら望んで魔導帝国の黎明期より築かれた伝統に、霊廟を守護し奉ってきた精霊たちへの敬意、引いてはその儀式によって獲得してきた恩寵に唾する行為に他ならない。
だから。もし要請に応えこの後も命を永らえようと思うなら、もうそこにダフネという幼女はおらず、そこにソニアという女はいなくなる。
そこには王と霊闘士がいるのみで。霊闘士が、以後求める王の声に応え理想を叶えるための武具になるということ。
それと、承知で。
――そんな愛しいダフネであったが、ここ一年ほどから、時折その無邪気さに影が落ちて屈託が垣間見えるようになった。
王の教育は四つより始まる。その頃から文武の教育は始まり、ルセリナ諸島を背負って立つに相応しい人間として鍛え始めるのだった。
その教育係にも、ソニアが当たっている。
本来、現役の霊闘士がその役割を担うことはありえない。だがソニアは、籠の鳥として王宮に飼い殺されることになった事例を逆手に取り、強行に訴えて半ば強引にその役に居座ってしまった。黙っていれば、マリナス教国が息のかかった者に割り当てることは知れていたからだ。
王都はマリナス教国の侵食が一番進んでいる場所でもあり、ソニアはすでにルセリナ王家の権威が凋落したことを誰より肌で感じることができた一人だった。
マリナス教国の思惑はもう透けている。いずれルセリナ全土を実質的な支配下に置いたら、用済みとなったダフネはよくて退位、悪ければ暗殺される運命だろう。霊闘士としてだけではない、ソニアという一個人からしても、そんな未来を断じて受け入れる訳にはいかなかった。
マリナスとしても、ソニアがダフネのために命を賭けてくることは前もって実証されていたことだ。たとえマリナスが洗脳専用の教育係を割り当てていたとしても、何やかやと口出ししてきたことは予想できたのだろう。その煩雑さを思えば、さっさと認めて一緒に監視した方が早いと踏んだに違いない。ソニアが考えていた半分の苦労もなく、マリナスはソニアがダフネの教育係を兼ねることを是とした。
そうして獲得した王の教育係だったが、いざ始めると、ソニアの教えの元ではダフネの平凡さが際立った。
ごく自然に高みへと上り続ける才能という翼ある者は、それがなく努力の実らぬ不毛の沼で足掻く者の気持ちは察しにくい。それを最初は王たるダフネには必要ないこと、王としての資質は別にあるということ、その資質はすでにダフネにはあるということ。ゆえに普通の勉学などダフネには必要ないことだと判断し、無理強いはしなかったことが、そもそもの間違いの始まりだった。
必要のないものを無理に覚える必要はない。そんなソニアの態度が、ダフネにとっては見捨てられた、見下されたと感じさせてしまったのかも知れない。
「――マジェスティ!」
ソニアの、契約承服の言葉と共に突如として全身より吹き出る魔法の雷。ソニアを中心に渦巻く暴風が、ソニア自身より発せられた雷と相乗して周囲の土砂を雷の台風となって噴き上げる。もっとも迫っていた敵の一部は、それだけで悲鳴を上げて吹き飛ばされた。
「主の命により、今より霊闘士ソニア=セルバンテス、汝らマリナス教国人の敵となる。我が主、インドゥライン陛下の玉体が望みなれば――我が屍を越えてからにしてもらおう」
ソニアはただ、槍を構えてダフネと花嫁たちの間に立つのみ。だが誰もがそこに、踏破不可能の巨大な山脈を見出す思いだった。
しかしそれもその筈。
往古。ダヴィオニアの魔法文明を築いた魔術師たちの影で、彼女らを支えた守護者がいたという。主を得て、精霊たちより真の力を貸与される者たちが。
その守護者は霊闘士と呼ばれ。世界全土を席巻した魔術師たちの矛となり盾となって、時に巨神や龍王たちとすら一歩も引かず相対したという。
その、ダヴィオニアの建国時代という遠い昔の神話が、今ここに再現したのだから。
その言葉も大きくはなかった。であるのに、追っ手たる白銀の花嫁たち一千の誰の耳にも届く。
ただ可愛い、愛らしいという時期は過ぎ去り。時に人としての感情の圭角で傷つけあうことも出てきた。
そうなれば、虫の居所が悪ければ態度に表れることもある。それが時にダフネの気分を害し、時にダフネの不機嫌さがソニアを寂しくざせることもあった。
だが、ゆえにこその『人の付き合い』。もはや互いに相手を主君と従者という関係の記号だけで接することができなくなった証。
ゆえにこその姉のような、妹のような。母のような娘のようなと。肉親がごとき情の繋がりを含む関係性の例えで、互いを言い表すほかはなくなって。
気が付けば。ダフネの霊闘士としてのみ振舞うことなど、ソニアにはとうの昔にできなくなっていた。
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