……冥暦六八五年四月十九日、エルクティア海域南方に浮かぶ大小様々な列島を支配するルセリナ諸島王国の元に、海洋を挟んだはるか北方はエルクティア大陸、その西域を席巻する大国・マリナス教国より外交官の一団が派遣されてきた。


 名目は、ダヴィオニア魔導帝国滅亡より七百年来の人類の願望。神官と魔術師による世の再統一を、マリナス教国とルセリナ王国の手によって成し遂げよう、というものであった。マリナス教国とルセリナ王国で交流を深め、もって世界再統一の勢力の礎になろう、と。それらを歪曲で持って回った表現で告げられると、時のルセリナ王は側近と大貴族たちを王宮に召集して会談を重ね事の次第を計らせた後、その申し出を『是』とした。


 マリナス教国の申し出を頭から信じてのことでは、無論ない。だがマリナス教国はエルクティア大陸西域の覇者であり、その実力は折り紙つきである。そんな彼らと建前を整えつつ貿易することは、ルセリナにとって悪い話ではなかろうと思われたのだ。


 少なくとも、その時は。


 しかしそれが甘い認識であったことをルセリナの王侯貴族たちが思い知らされるのは、それより二一年の後、冥暦七〇六年六月二六日。国王カミラ=デ=ルセリナ崩御の翌日のことであった。


 それに遡る一三日前、六月一三日。王家の末席インドゥライン家の子としてこの世に生誕したダフネ=インドゥライン、すなわち一歳にも満たぬ赤子を、マリナスは国を挙げて次代ルセリナ王として擁護し奉る、と言い出したのである。


 無論、そこには様々な建前が付与されたが、マリナス教国の思惑が幼王を立てての実質的なルセリナ支配であることは誰の目からも明らかだった。


 さらに言えば、二五日に崩御したカミラ王は同月9日にてまだ二六になったばかりの若さだったのである。それに続けての強引な幼児ダフネ即位と続けば、誰しも自然の流れなどとは信じられる筈はない。


 かくて、ルセリナ諸島の各地で反マリナス教国の狼煙が次々と立ち昇ることとなる。


 ルセリナ王家承認の元、各地に根を降ろし支配していた魔導貴族たちが、ルセリナからマリナス教国の勢力を一掃しよう、と正式に対マリナス教国魔導貴族連合として結成し、蜂起したのはそれから約三ヶ月後、九月二九日のことである。


 しかし、そうしてルセリナの各地で立ち上がった反勢力に、何の対策も為しえず大して抵抗も出来ず敗れるようなら、マリナス教国というのは身の程も弁えぬ愚者の集団との評価を免れ得なかっただろう。十分な勝算をもっていたから強引な方策を打ち出し、かつルセリナの王族たちがその暴挙を阻止できなかったのである。


 その、マリナス教国にとっての二一年の準備期間とは別の『十分な勝算』とは、名をサイラス神殿騎士団といった。


 マリナスの国教、聖サイラス教の開祖・サイラスの教えに従い、武技と聖歌を極め身心を神の身元へと捧げる、という軍隊である。大陸では、かつてダヴィオニア魔導貴族たちが支配・使役していた数多の強大無比な魔物が帝国滅亡とともに各地に散り好き放題を始めていたが、それらをことごとく排除し、マリナスが大陸西方に覇を唱えさせるその礎となった集団である。その強さに疑問を差し挟む余地はない。


 彼らの強みは、その身に鉄をまとって戦える点にある。


 舞芸がごとき複雑な動作と、歌唱の粋をすら超越する壮麗さで唱えねばならぬ魔術師の呪文と違い、聖歌は祈りによってのみ神より授かる力。そこに煩雑な動作も複雑な詠唱も必要ない。


 魔術師たちが軽装によってのみ戦い得るのに対して、神官たちは重厚な完全武装により戦闘に挑む。そして神官たちの中でも選りすぐられた者たちが魔物を相手取ろうという時、何の変哲も無い普通の鉄塊などまとうはずも無い。神の文言とされる神聖文字が隅々まで入念に刻み込まれた、聖遺物の水準にまで到達していようかという防具をまとい、刃と成し槌と成した白銀の脅威を、大陸各地に点在しその周辺近隣を支配していた魔物たちの頭上に叩きおろして大陸の一方の覇者の地位を確立したのだ。


 帝国時代、魔物が魔術師に使役されていたことは前記した。ゆえに、魔術師に挑むということはまずもって魔物を始めとした守護者に挑むと言うことと同義。魔術師を殺そうと思えば、まずその守護者を倒さねばならないのである。


 言うなればサイラス神殿騎士団とは、魔物を始めとした守護者と、その後ろにいる魔術師を殺すことに特化した殺戮集団。マリナス教国は、公然とルセリナに侵略の意思を提示する前段階として、魔術師にとりそんな剣呑極まりない軍隊を密かに本国より呼び寄せていたのである。


 往古、竜や巨人といった人類以上の英知や強靭な体躯を保持する生命体などいくらでもいた中、いと小さき人類が地上生物の頂点にまで這い上がった力の源が、今日、神官たちの聖歌と対を成す魔術師たちの呪文である。その二つの力を柱にして、ダヴィオニアという帝国が作られた。その帝国の礎となった片割れが、特に呪文に長けた者たちによって構成された魔導貴族たちであり、その末裔にして、他と交わらず純血を保ってきたのが、海に隔離された島国で色濃くその文化・知識を保守してきたルセリナ列島の民である。


 ゆえに当初、誰もがそんなルセリナ魔導貴族連合の面々の勝利を疑っていなかった。これはルセリナの人間に限った話ではない、マリナス教国側の人間の中にすら軍事に疎くそう信じていた者もいたというのだから、当時、魔導貴族がどれだけ高く評されていたか分かる。


 だが実際には、勝利を手にしたのはマリナス教国側であり、サイラス神殿騎士団だった。


 魔導貴族の連合が結成し、ルセリナの王都が包囲された時、マリナスに属する物の内、文官たちのみならずサイラス騎士団に所属する神官たちですら緊張と無縁ではいられなかった。


 しかしその光景を、サイラス神殿軍白銀の花嫁騎士団にしてルセリナ方面制圧作戦本部長は、


「烏合の衆という奴だ」


 と称した。


 星の瞬きすら存在せぬ夜空色の短髪で装飾された、男性めいた印象が整った野性味を感じさせる美貌。『金属製の花嫁衣裳』と称される白き鎧と、その鎧で包まれる肉食の大型猫族を連想させる流麗かつ大きく頑健に整った肢体と併せ称して、敵対者より『全てを飲み込む夜行獣のよう』とすら謳われる“白銀の花嫁”師団長リーゼロッテが、一〇月一三日、魔導貴族連合軍を白き花嫁たちが壊滅・四散させる前日に、サイラス騎士団ルセリナ方面制圧作戦本部副長がダヴィオニア帝国貴族の末裔たちを相手に一抹の不安を抱いている様を見て、


「それぞれが勝手に集まり、それぞれが勝手に戦っている。盟主も立てず命令系統が存在せず、ただ個々が待てる魔力を放つだけ。軍団も見栄えのためにだけ揃えて盾程度にしか扱わず、兵卒を遇するなどという概念すら存在していないかのような有様。元より地形は篭城側のこちらに有利、海路により食糧の補給にも不安はない。そこに我ら神官の実力の程も知らず、その上で侮ってきた相手ごときにどうして我ら栄えある白銀の花嫁が敗れる謂れがあろうか」


 と告げたものである。


 リーゼロッテは、何の準備もなしに大言壮語をなす女ではない。その日までに、白銀の花嫁たちを統括する美丈夫は三つのことを行った。


 一つ、白銀の花嫁側は徹底した持久戦を挑み、その間に、先行してルセリナ島で暗躍した諜報員たちが約二〇年の時を掛けて各地に潜伏させた密偵たちに騒ぎを起こさせ、魔導貴族たちの領地に問題を発生させる。後世の失笑を買ったのは、ただそれだけで『蟻の子を散らしたかのように』幾人かの有力な魔導貴族が自らの領地に引き上げたことだった。


 一つ、これも長い年月を掛けてルセリナに根付かせた夜伽たちを用いて、相互不信の種を蒔かせること。


 いつの時代でも、本気で気に入った“牡”への女の独占欲は、深く強く熱く、時に暗さを伴う。それは大陸暦時代とは比べようもないほど強大な権力を持っていた冥暦時代も変わりなかった。


 魔導貴族のごとき不動の権力を持っていれば尚のこと、気に入った寵子への執着は凄まじく、魔術で自分の肢体以外に対して生殖機能を不能にするという洗脳処置程などは大前提。それでも生殖を超えて心が他の女に浮気した寵子に対し、一族郎党皆殺しにしたという例すらも枚挙に暇がない。それも一瞬で処刑された者はまだいい方で、心の赴くまま、自分の寵愛を裏切った寵子とその一族に数年がかりでその身心に報復した者も珍しくないといった有様だった。


 そんな魔術によって編まれた見えぬ鎖に身も心も捕らわれた少年・青年たちを、神官たちは神霊より授かった神秘で解放し、味方に付けていた。口で言うほど容易いことではなかったが、マリナス教国は長い歳月を以てそれを密かに成し遂げたのである。


 その上で魔術に捕らわれたフリを続けさせ、魔導貴族同士の愛憎を煽らせた。いわく、自分は魔導貴族a様の手によって再支配を施されました。もうかつての主であるb様を愛でさせていただくこと叶いません。ご容赦ください……


 もちろん、面と言わせては魔導で帝国を築いた者たちの末裔相手のこと、その場で強大な魔力によって肉片にされてしまう可能性かある。その前後に『僭越ながら、私の、日ごろからのb様に対する想いを書に綴ってみました。○○に置いておきましたので、後でご確認くださいますよう』等といった、安全を図るための前置きも抜かりなく行わせた。


 下劣といえば下劣な手段であるが、効果は覿面だった。あまり優れぬ容姿を魔術とその財力に物を言わせて修正したとある魔導貴族に対し、生まれた時から容姿を絶世扱いされていた別の魔導貴族の間にこの策を謀った時、翌朝を待たずして率いていた全軍を以て強襲し、相争ったたほどである。この事変以来、魔導貴族たちの間にはさらなる相互不信によって亀裂が生じた。


 そして最後の一つ。そんな魔導貴族たちの洗脳から解き放った男たちを使って、洗脳にも値しないと使い捨てに扱われる、盾代わりの男兵士たちに城壁の上から説いたのだ。


「マリナス教国は男女平等。たゆまぬ努力を積み上げた、能ある者こそ社会を動かす資格を得る。ルセリナの男たちよ、いつまで魔女たちの隷下に甘んじ、愛玩動物の地位に甘んじるつもりなのか?」


 有能な男より無能な女が権力を握る――能力ではなく性別をもって尊卑が決まるのであれば、当然そのような事態は発生する。男尊女卑となった大陸暦時代にはその逆、有能な女より無能な男が権力を握る例はいくらでも枚挙に暇がない。身心の活力が十全で、より良い未来を目指す志しをその身に宿すなら、社会を自分の手でより良くしたい――男にも当然あるそうした要求は、しかし魔導貴族たちの強大な魔法の力の論理の元、長らく踏みにじられてきたのだ。


 その結果、兵士たちの中から造反者や逃亡者が相次いだ。見せしめとして首謀各の男たちを残酷に処刑したことで全体的な瓦解は防いだが、魔導貴族連合は軍隊としての形を保つのがせいぜいとなったのである。


 失笑してしまうのは、それでもなお魔導貴族たちは自分たちの勝利を疑っていなかったことだろう。なんといっても山脈を砕き海をも裂こうというダヴィオニア大魔術師の末裔たちである。いざともなれば自分一人でもマリナス軍を踏破してくれる、と本気で信じていた魔導貴族も一人や二人ではない。


 そうして、無敵と思われたダヴィオニア系列の直系魔導貴族たちは、神官たちの前に敗れ去った。


 無論、勝利を疑っていなかった魔導貴族たちはその事実に悄然とし、また楽観していた民草も驚いたが、ルセリナの人間を慄然とさせたのはその事実だけにとどまらない。


 それはその連合した魔導貴族たちを粉砕したサイラス神殿騎士の数。本土から召集されその戦に投入されたのは一二騎士団全軍一二万の内、ただの一団・一万だけだったことが判明したからである。


 思えば。ダヴィオニアの超呪文技術の粋が失われたこの時代に、広大なるエルクティア大陸の半分、その西域のほとんどを手中に収めてみせたのが教国の名を被ったマリナスの帝国主義である。有史以来、ダヴィオニア滅亡の後にそれほどの巨大な版図を誇ったのはエルクティア大陸には存在しない。そのマリナス軍が強力無比であることなど、深く考えずとも分かっていた筈なのだ。魔導貴族たちの連合勢力が五万を超えていたことと併せて考えれば、衰退せしとはいえ、その系譜に連なる強力な魔術が使えるからと、ルセリナの魔導貴族たちに油断や驕りがあったのは間違いのない事実である。


 その、驕り高ぶった魔導貴族たちの頭上に得物へと精製した鉄塊の脅威を振るったのは、女社会のルセリナを意識してのことであったろうか、女性のみよりなる通称『白銀の花嫁』と呼ばれる神官戦士団だった。


 師団長リーゼロッテを筆頭に、一〇人の幹部たちと併せて一一人の女たちによって形成されるその師団は、名を変え姿を変え、大陸と諸島の貿易に紛れて渡来した。そして事を起こす二十年前後の時間に少しずつ、少しずつルセリナの西方にその勢力を根付かせていた下位組織の頂点に立ち、ルセリナ支配の戦争を開始したのだった。


 山河をも砕き蒸発させようかという魔導貴族たちの呪文の中を疾駆し、敵手を狩る白銀をまとった神官戦士たち。それは確かな恐怖となって魔導貴族以下貴賎を問わずルセリナの万民の記憶に刻印された。魔導の前に、より上位の魔導以外の脅威が世界には存在するのだと。


 そうして結成からわずか一月足らず、一〇月一四日。魔導貴族連合軍五万は、マリナス教国軍サイラス神殿騎士団所属、白銀の花嫁師団一万の元に瓦解され、ある貴族は王都周辺の戦場に屍を晒し、生き残った者はほうほうの体で領地へと逃げ帰った。


 それら一連の事変は、単に連合という武力集団が瓦解したという実質的な意味だけにとどまらなかった。


 魔導貴族らの頂点、彼女らを統括したルセリナ王家が正真正銘、すでにマリナスにとり傀儡に過ぎぬということ。何らかの思惑があってマリナスの行為を黙認しているだとかそういった段階ではないのだということ。そうしたルセリナの事実上の滅亡を肌で感じ、ルセリナ王家への権威の否認が、物心をつきその報を聞いた誰の胸にも飛来した。


 何よりも決定的な、世界規模の意味合いすらこの戦いの勝敗には生じている。


 この日、強大にして比類する者なき筈であったダヴィオニア帝国元老院一二諸侯・三王九公家が一門ルセリナ大公家の正当後継家の権威に修復不可能な亀裂が生じ、一部の人間に対して『魔導貴族の国家が同じ魔導貴族の国家以外にも無敵ではない』ことが決定的に証明された日でもあったのだった。世界各地に散った魔導師たちは、いつの日にか魔導帝国ダヴィオンの再建を果たし、ありし日の栄光の日々へと還ろうという願望の元、大陸を跨いだ規模で魔術による強力な情報網を互いの間に引き合っていたが、それが逆に仇となって世界規模で魔導師にとり致命的なその事実が漏洩してしまったのである。


 その、権威を永久的に傷つけられた魔導貴族たちが、代わりに何を起こしたかと言うと――ルセリナ魔導貴族同士の反目。次代ルセリナの覇権をその手に握ろうと、各勢力が各々の領地で台頭ししのぎを削る戦乱の時代の幕を開けた。


 事の発端は、王都包囲網を打ち破られてよりすぐ、『王家、頼むに値せず。我らが手で魔導の楽園を再生せん』との、有力貴族の掛け声からだった。


 そのこと自体に異論は出なかった。敗戦の屈辱を注ぎ、各地の勢力を統合し、もって西方に根を降ろしたマリナスの勢力を一掃する。そして再びこのルセリナ列島を再び魔導貴族の園に戻そうとの意見に、魔導師たる彼女たちが異論を差し挟もう筈はない。


 問題は。


「それで、何者をもって盟主とし、それ以後のルセリナ諸島の大家としてマリナスに再び挑むのか?」


 その意見が出た時、魔導貴族たちの間に存在した最後の結束、魔術師としての尊厳という最後の砦にすら亀裂が生じた。


 しかし思えば、元より結束という名に値しない結びつきであったのかも知れない。ルセリナとその王都がマリナスに掌握される何十年も昔から、すでに各貴族たちは好き放題をしていた。中にはコネと立ち回りと詭弁を弄して王家に収める税すら誤魔化し着服していた貴族もあるくらいである。そんな彼女たちがマリナスに対して団結したのは、王家への忠義よりも自分たちの権益を侵されることへの敵愾心によるところの方が大きい。


 そうして、彼女たちはまず何者を以てルセリナの王とするか、それを決めるところからせねばならぬとばかりに、各地で互いに反目しだしたのだった。

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