3-9
脱衣所で適当に扉を開けると、数種類の服が用意されていた。パジャマも浴衣もバスローブもある。別の扉も開けると洗濯乾燥機が設置されていたので、脱いだ服をすべて突っ込んで洗濯にかけた。三、四時間後には終わっているだろう。
それからアマネは急いでシャワーを済ませた。
ルームサービスが到着したときに二人とも不在だったら困るだろう。そう思ってのことだったが、アマネがリビングに戻ったときには既にウタタが飲み物と料理のいくつかを受け取っていた。
さきほどまでとはウタタの服が違うがホテルの服でもない。スーツケースから出したのだろうとわかったが、対するアマネはパジャマ姿だったのでなんとなく気恥ずかしかった。
「あ、アマネ。飲み物とサラダと、サイドメニューが何個か先に来たよ。そうだ、洗濯機あったの気付いた?」
「うん。とりあえずぜんぶ洗ってる」
そのせいでいまパンツがないのだが、黙っておいた。
「じゃあ食べよう。腹が減っては戦ができぬ、だよ」
ウタタがなにも気にしてなさそうに手招きするので、アマネは隣に座った。
「食べ終わったら、これからどうするか考えよう。ユキのこと放っておくわけにもいかないもの。アマネも協力してくれるんでしょ?」
ウタタの言葉にアマネは頷いた。そうだ、考えなければならない。これからどうするのか、どうしたいのか。
ウタタは取り皿にサラダとポテトと唐揚げとウィンナーをよそって、「いただきます」と手を合わせると、もぐもぐと食べ始めた。
その食べっぷりを見ながら、アマネはふと、ウタタのことを好きだな、と思った。
「なんで立川にいたの?」
食事を終えてアマネが気になっていたこと尋ねると、ウタタはわずかに目を伏せた。
「スイートピー・ハウス」
「スイートピー?」
「僕が昔いた、リハビリテーション施設の名前だよ」
アマネはウタタの言葉を思い出す。脚を自力で動かせないからジグリアを使っていると言っていた。
「それって脚の……?」
こくり、とウタタは頷いた。
「いろんな理由でいろんな子が施設にいたけど、僕の場合は赤ちゃんの時の病気で足が動かせなくなって、ずっとその施設に入れられていたんだ。あるときリハビリの一環でジグリアを体験させてもらって、それから歩けるようになった。いきなり歩けるようになったら怪しまれそうだから、少しずつリハビリの成果が出てるフリしてね」
ソファに座ったまま脚をぶらぶらと揺らしてみせて、ウタタは話を続けた。
「十四才のころに退所したんだけど、その時にはもう実家に僕の居場所はなかった。母親は再婚して、新しい父親と新しい子供で家族ができていて、僕は邪魔だったみたい。世間体を気にする人たちだったから高校には行かせてくれたけど――ユキと一緒にカペラ吊り橋でチャンピオンになってからはずっと家出してた。カペラ吊り橋に居られなくなったあとも家には帰れなくて、それで、スイートピー・ハウスに帰りたいなって……、会いたかった人がいるから」
目を伏せたままのウタタの様子から、結果が芳しくなかったことがうかがえた。
「会えなかったの?」
ウタタは「うん」と小さく頷いた。
「ずっと僕を担当してくれてたお姉さんみたいな人……。僕が退所したあと別の施設に移っちゃったみたいで、居なかった」
こういう時、なにをしてあげればよいのかアマネは分からなかった。恋人だったりすれば抱きしめたりするのかも知れないが、そんな間柄ではない。
「……いつか探しに行けるといいね」
迷った末に出た言葉に、ウタタは目を瞬いた。
「さがす?」
不思議そうなウタタに、アマネは笑ってみせた。
「生きてるなら探しに行けるよ。会いたいんでしょ?」
さがす、ウタタは噛みしめるように呟いて、やがて表情に明るさが戻った。
「うん。そうだね。探しに行く。そっか、探しに行けばいいんだね」
やっと笑ったウタタは、はたと気付いてまた表情を曇らせた。
「……ねぇ、アマネ。もしかして、アマネはもう、会いたい人に会いに行けないの?」
アマネは困ったように笑った。ウタタはきっと、カペラ吊り橋でアマネが言った〝また目の前で人が死ぬのが怖い〟という言葉を思い出したのだろう。
「そうだね。おれの家族は事故で死んじゃったから。でも大丈夫。おれだけ生き残って悲しかったけど、いまはもう、あんな思いをもう一度しないように、おれにできることをちゃんとやろうって思えるようになったから」
アマネに視線を向けていたウタタが、顔を上げて、遠くを見据えるように頷いた。
「……うん。ありがとう、アマネ。来てくれて、助けてくれてありがとう。アマネのおかげでいま僕は無事だし、もしかしたらユキも止められるかも知れない」
ウタタの言葉に、アマネは首を傾げた。
「ユキを止める?」
「うん。アマネの話を聞いてから、ずっと考えてたことがあるんだ。ユキがどうしてブラックキューブを欲しがっているのか。ううん、欲しいんじゃない。必要としているのかって」
アマネは意味が分からず「必要としている?」とオウム返しに尋ねた。
「ユキが僕からブラックキューブを取ったとき、〝欲しい〟じゃなくて、〝どうしてもこれが必要だった〟って言ったんだ。それにユキね、口癖だったんだよ。なにかするたびに、きっとパパが褒めてくれるって。カペラ吊り橋でチャンピオンになったときも、サファリでスピカを捕まえた時も、きっとパパが褒めてくれるって、言ってた」
「パパって、漆野真也のこと?」
服毒自殺した研究者のことを思い出しながらアマネは聞いた。
「そう、なんだと思う。もう亡くなってるのを知らないのか、わかっていて、それでも褒めてほしいのか、本当のところはわからないけど」
ウタタが痛そうに顔を歪めた。それが意味するところがアマネにはまだわからなかった。
「……どうやってユキを止めるつもり?」
「きっとユキはもう一度僕のところに来る。そしたら、言うしかないよ、無駄だって。愛してくれないパパに愛情なんて求めても無駄だって。認めてなんかくれないし、利用されてるだけだから、くだらないことはやめて、もっと楽しいことやろうよって――」
噛みしめるように言うウタタは、ウタタ自身に言い聞かせているようにも見えた。
「――僕が、そうだったから。そのとき一緒に楽しいことをしてくれたのはユキだったから。ユキが僕を殺してしまってどうしようもなくなる前に、止められるなら、止めたい」
ウタタにとって、ユキは間違いなく大切な友人だった。あるいは裏切られてなお友人なのだと、アマネは痛いほどに感じて苦しくなった。
「……もし、ユキが止まってくれなかったら?」
聞きたくはないが、聞かざるを得ない。ウタタは一瞬目を伏せたが、再び目が開けられた時には瞳に強い力が宿っていた。
「そのときは、徹底的に喧嘩するしかない。絶対に勝つ。力で押さえつけてでも、ユキを人殺しにはさせない」
アマネは「わかった」と答えた。
それから、アマネとウタタは休息を取ることにして別々の部屋に分かれた。洗濯乾燥機にかけた衣服は乾いていて、急に何が起きても大丈夫なように、アマネは服を着替えてからベッドに潜り込んだ。
ウタタにはわかったと答えたが、アマネはもしものときのことを考えていた。
ユキが止まらず、ウタタが負けて、殺されそうになったら。
そのときアマネは、ユキを撃つことができるのだろうか。
ユキを撃つ以外に、どうすることができるのだろうか。
答えの出ない自問自答の渦に飲まれながら、アマネは眠りへと落ちていった。
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