3-5


 父である漆野真也が残した秘密の地下室は不自然なほど明るく、ウタタから奪い取ったブラックキューブは強化ガラスのケースの中で沈黙し続けていた。


 正確には、無言の抗議だ。ガラスケースの中で、ブラックキューブはどこか一点を目指すように左上の角に向かって集まっていた。


――宿主に、帰ろうとしている。


 外部からの刺激に一切反応を示さないくせに、意思があるかのようにふるまうそれを目の前に、漆野雪の苛立ちは募っていた。


 おかしい。


 確かに父である漆野真也が残した研究記録には穴が多かったし、検証を重ねた結果、理論を組み立て直さなければならない箇所も多くあった。それでも漆野雪は、自分なら真実に辿り着けると思っていた。


 なぜなら自分は、透影研究所でブラックキューブを開発したという子供たちと同じ手法でデザインされた、漆野真也の最高傑作であるからだ。何代にも渡って品種改良とゲノム編集を繰り返し、その果てにできたはずの生き物なのだ。


 できると思っていた。やっと見つけた本当のブラックキューブさえ手に入れれば、宿主たる者の情報を書き換え、己のコントロール下におけるはずだった。


 このざまはなんだ。


「こんなはずじゃあ、ないんだけどな」


 漆野雪は、爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。奥歯がギリリと音を立てる。

 意味がない。こんな自分では生まれた意味がない。自分は、漆野雪という存在は、実験体として使い潰されていった他の子どもたちとは違うのだ。そうでなければならない。ブラックキューブの適合者となれる漆野雪にしか、存在価値はない。


――適合者になる。それがすべて。


目を瞑って静かに思考の海に沈んだ漆野雪は、やがてポツリと呟いた。


「…………殺さなきゃ」


 ずっと考えていた可能性の一つだった。確信がなかっただけで、一度宿主を決めたブラックキューブのコントロールを奪うには、宿主を殺す必要があるのではないかと。


 おそらくそれが、ゲームのダンジョンやバトルフィールドを構成するブラックキューブと、ウタタの持つ真なるブラックキューブの決定的な差なのだ。だから、カペラ吊り橋で採取したブラックキューブに通用した仮想宿主の強制インストールが、ウタタのブラックキューブに拒絶されている。


 漆野雪はウタタのブラックキューブの一部をより小さいガラス球に移すと、残りをガラスケースごと保管庫に移し、三重の扉と鍵を閉めた。続いて背後の机の前に移動し、八体の超小型ドローンを稼働する。漆野雪の後頭部に埋め込まれた神経チップはドローンを自在に操れる。


神経チップは漆野真也が雪に残した置き土産であり、八体のドローンにはゲーム内と同じ環境をゲーム外で再現するためのピンが搭載されていた。


 ドローンを軽く飛ばして動作確認を行い、問題ないことを確認すると、漆野雪は壁に掛けていたヘッドギアを装着した。


 八体のドローンの八つのピン。ピンを結んで作られる立体空間内において、漆野雪はカペラ吊り橋で採取したブラックキューブを自在に操ることができる。バッテリーの持ち時間に難はあるが、これでもかなり改善された方だ。


 ふとステンレスの薬品庫に映った己の姿が目に入って、漆野雪は苦笑した。


 梨木転と色違いの黒い翼のヘッドギアを付けた姿がひどく滑稽だった。今となっては邪魔なだけの装飾となってしまった黒い翼は、もう形を変えることができない。ウタタを襲ったあの日に、プレイヤーカードをネットワークから遮断してしまったためである。


 位置情報を探られないために仕方なかったが、さっさとヘッドギアの形状を変えておかなかったのは迂闊だった。


 だからこれは、未練でもなんでもない。


 薬品庫に映った黒い翼から目を逸らすと、漆野雪はブラックキューブを操作して、ジグリアのマスコットキャラクターのスピカを再現した。サファリタイプのダンジョンで捕まえたデータを基に構築したものだ。


 懐くことはないが、命令に背くことも絶対にない生き物に似たなにか。信頼できる相棒はこのスピカと鳥たちくらいのものである。スピカの頭をひと撫でし、漆野雪は再現を解いた。


 バッテリーを気にして消さなければならない相棒も、傍から見れば滑稽なのだろうか。


 浮かんだ考えを振り払って、漆野雪は地下室を後にした。

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