3-4


『アマネ、大丈夫か? 最初にも言ったが顔色が悪い。どうして今日、無茶なレベル上げをしてここに来た?』


 神庭の言葉は淡々としていて、心配しているようでも糾弾しているようでもない。


「その、ブラックキューブは他の人に譲ることはできる? 例えば適合者でない人に」


 神庭の言葉を無視して、アマネは尋ねた。漆野雪のやったことは譲るなどという優しいものではなかったが。


『譲ることはできない。現宿主が死亡した場合にのみ、ブラックキューブは宿主を替える。その上で、適性がなければ受け取ることはできない。無理に適合させようとすれば脳障害を引き起こす』


 死亡した場合のみ、という言葉がアマネの脳裏に焼きついた。なら漆野雪は? 彼女はウタタを殺していない。ウタタからブラックキューブの一部を奪ったところで、どうするというのだろう。死亡という条件を知らないのだろうか。


『今の質問は、アマネが誰かに譲りたいという意味か? それとも誰かに譲ることを求められているという意味か?』


 アマネは答えに窮した。一番正直な答えは「わからない」だ。漆野雪の目的がわからない。彼女は何者で、何のためにウタタのブラックキューブを求めたのか。


 モニターの向こうで神庭はアマネの答えを待っている。が、今の問いは、アマネの状況にある程度予想が付いているようでもあった。


「助けてって言ったら、神庭さんは助けてくれる?」


『状況が分からないが、可能な限り協力しよう』


「どうして?」


『ブラックキューブの開発に携わり、爆発事故を起こした責任がある』


 簡潔な回答だった。


「……神庭さんって何歳なの?」


 ジグリアがリリースされたのは7年前のはずである。ブラックキューブの開発に携わっていたというには、若すぎる気がしてアマネは尋ねた。もしかしたら見た目より年齢が高いのかもしれない。


『二十七。ブラックキューブの爆発事故の頃は十二歳』


「十二?」


 信じられない数字が返ってきて、アマネは耳を疑った。


『透影研究所は、そもそもブラックキューブを開発するためのを開発していた。遺伝子いじくって。俺もその一環で作られたから、生まれた時からブラックキューブの開発に携わっていた』


 アマネはにわかには信じられない話に戸惑った。それなら、神庭はある意味では被害者なのではないか、とも思った。


「……それでも責任があると思ってるの?」


『思ってるよ。ブラックキューブに起因するトラブルで助けを必要としているのが、アマネのような子供なら、なおさら』


 機械的な回答ではなく、感情のにじむ答えだった。アマネは神庭の声をいまはじめて聞いた気がした。


アマネはわずかな逡巡の末、全てを話すことを決めた。


「おれじゃなくて、ウタタが。梨木転っていう子もゲーム外でジグリアを使えて、それで、ウタタがブラックキューブを奪われかけた」


『梨木転? それは、カペラ吊り橋のフィールドマスターだったリラのことか?』


「知ってるの?」


『カペラ吊り橋における不正アクセスの通報があった。その時に名前を見たが……、ああ、あの数値は廃プレイヤーじゃなかったのか』


「うん。本人から直接聞いたたわけじゃないけど、ウタタも使えるはず。それで、ウタタのパートナーのライラっていう子もゲーム外でジグリアを使えるみたいだった。パートナーのライラにウタタは裏切られて、カペラ吊り橋でバトル中に妨害されて……それを不正アクセスだと思った対戦相手が通報したみたい。そのあとウタタは有明でライラに襲われたんだ」


『襲われた?』


「ライラ……漆野雪が、スナイパーのリングでウタタに針を撃ったんだ。針には薬が塗られてたみたいで……針を打たれたウタタは意識が朦朧としてた。ブラックキューブがその名前の通りの黒い箱みたいな姿になってぼろぼろ落ちて、おれがウタタを連れて逃げたけど、たぶん一部はユキに取られたと思う」


『いま漆野と言ったか?』


「え、うん。言ったけど…。知ってるの?」


 神庭は椅子の背に身体を預けてため息をついた。


『知っている。だいたい話もわかった』


「え?」


 今の話で一体何がわかったのか。驚くアマネに構わず神庭が続けた。


『梨木転はいまどこに?』


 アマネは首を横に振った。


「……分からない。ここに来ているかもって思ったけど居ないし、おれのことも信用してもらえてない。この部屋のことも知ってたけど、罠かもって疑ってたみたいだった」


 わずかな沈黙のあと、神庭が『ミアプラキドゥス』と妖精を呼んだ。


『アマネのプレイヤーカードを適合者用にアップデートしてくれ』


 ミアが飛び立ってアマネの前のテーブルに降り立つ。手を差し出されて、促されるままにアマネはプレイヤーカードを渡した。


『アマネ。俺はすぐには帰国できない。よく聞いてくれ』


 アマネは頷いた。


『まず梨木転の居場所だが、彼女のプレイヤーカードが生きていればGPSで探せる。少し待て』


 探せる、という言葉にアマネは少しだけホッとした。


『次にライラだが、彼女が登録していた名前は漆野ではなく守屋だ』


「守屋?」


『偽名なんだろう。名乗った漆野という姓が本名なら、漆野真也の関係者である可能性が高い』


「…………だれ?」


『透影研究所の元所員で、異常にブラックキューブに執着していた研究者だ。ブラックキューブ研究の中枢にはいなかったが、ブラックキューブの一部を盗み出して研究所から追放され、その後、外資系企業の傘下で独自の研究所を立ち上げた。彼の目的は二つ。ひとつはブラックキューブに非適合者を強制適合させること。もうひとつは、不適合の人間でも使用できるブラックキューブを開発すること』


 アマネは先ほどの神庭の話を思い出す。無理に適合させようとすれば脳障害を引き起こすのではなかったか。


『盗まれたブラックキューブは透影研究所が回収したが、彼は一つだけ隠し通すことに成功していた。そのブラックキューブに適合させるために、彼は実験体に薬物投与と神経チップの埋め込みを行い、六名の子供が犠牲になった。非適合者でも使えるブラックキューブについては、ゲーム内に近い環境をゲーム外でも再現する方法を模索していたらしい。だが、実現に至る前に非倫理的な行いが明るみになり、研究所は解体され、漆野真也本人は服毒自殺した』


 アマネは必死に話を追った。薬物投与に神経チップ、子どもの犠牲、服毒自殺? 聞きたくもないような単語が頭の中を駆け巡る。


『漆野雪が漆野真也の知識を継いだ人物なら、ゲーム外ジグリアを真似た何かを実現し、使用していると思われる。漆野雪の目的ははっきりしないが、梨木転を殺さずにブラックキューブを奪おうとしたなら、漆野雪が把握している情報は歪んでいる可能性が高いと思う。……いまのところ話せるのはこれくらいだ。ミアプラキドゥス、アップデートは?』


 プレイヤーカードを両手で抱えるようにしていたミアが、「終わりました」と告げてカードを掲げ、アマネはカードを受け取った。


『漆野真也に関する記録の一部をアマネのプレイヤーカードに送った。後で確認するといい。それと梨木転だが、立川にいる』


「た、立川?」


 唐突に告げられたウタタの居場所にアマネは面食らった。東京の中心部から離れた西側の市である。


『位置情報を送った。探しに行くんだろう?』


「……行くけど」


 けど、と言葉が続いてしまったことに、アマネは我ながら情けなくなった。


『けど?』


「ウタタはおれのことも疑ってるみたいだったから。どうすればいいと思う?」


『知らない』


 先ほどまでの回答とは打って変わって、取りつく島もない返事だった。アマネが言葉を失うと、


『アマネと梨木転の個人的な信頼関係について、俺が言えることは特にない』


 より詳細な表現だが中身はたいして変わらない回答に、アマネは力なく「はい」と答えた。落ち込むアマネを見て何を思ったのか、神庭が続ける。


『立川なら、駅の北側のシリウス社のロゴがあるホテルに行け。アマネのプレイヤーカードの裏面を見せれば匿ってくれる』


 アマネは訳が分からず硬直した。神庭は怪訝そうな顔をして、


『……奪ったブラックキューブが思い通りのものでなかったら、漆野雪はまた梨木転を襲う可能性がある。次は殺すかもしれない。俺なら梨木転本人を捕まえて実験体にする。いずれにせよ、安全ではない。それが心配なんじゃないのか?』


 溢れる情報の海に、いよいよアマネは溺れそうだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る