3-1 触れる×祈る 古びた鍵

 心配する八千穂と玉原に頭を下げて、「頼る先に一つだけ心当たりがある」と言って、半ば強引にアマネはカペラ吊り橋を後にした。電車に乗って自宅へ向かう。途中、コンビニに寄って弁当とパンと固形の栄養食とゼリー飲料と水を買えるだけ買った。


 マンションの八階の自宅について、弁当を食べシャワーを浴びて着替えて、押し入れから持っている中で一番大きなリュックサックを引っ張り出して食料と水とバスタオルを詰め込んだ。


「いってきます」


 誰にともなく告げて、アマネは出発する。


 目指す場所は決まっていた。

 カノープスの居城、ウタタが目指していた塔の上の小部屋である。





 とにかく身体強化スキルを鍛えなければ話にならない。大広間の馬の石像を倒せない上に、たとえ倒せたとしても小部屋まで跳躍することができない。


 アマネは財布と携帯端末と水以外の荷物をロビーにおいて、カノープスの居城に潜った。


 邪魔になる眼鏡も外してきた。そもそも眼鏡だというのが嘘だった。あんなものは、瞼を閉じたままの目を隠すための、色付きガラスでしかなかった。


 アマネはリングを三つ展開して、テレスコープを通して周囲を観察する。ずっとそうしてきた。ずっと、ゲームの外でもスナイパースキルのテレスコープで世界を見ていた。


 初めてカノープスの居城の探索を終えてプレイヤー情報が更新されたあの日、アマネのレベルが跳ね上がったのはそのせいだ。ずっと日常的にスナイパースキルを使用していた分が、一気にレベルに還元されたせいだったのだ。


 ゲーム外で育ったスキルはゲーム内に還元され、逆にゲーム内で育ったスキルもゲーム外に還元される。


 おそらく、ウタタを背負って逃げた時に、不思議と身体が軽くなったのも、ウタタに教えられて、ゲーム内でそのスキルを習得したからだった。


 アマネは身体強化スキルを使って城の中を走り回った。出会ったモンスターは撃ち落した。長い廊下で、走り幅跳びのように跳躍を繰り返した。


 少しずつ距離が伸びているが、まだまだ全然足りない。とてもウタタのようには跳べない。途中、水分補給用の水を飲み切ってしまって、一度ロビーに戻った。レベルはわずかに一だけ上昇した。


 パンを貪って水で流し込み、再びカノープスの居城に潜った。

 ほんの少しだけ、ウタタと城内で会えるかもと思っていたが、その気配はなかった。


 走って、走って、跳躍し、また走った。


 人生でこんなに走ったことなどなかった。運動部で走り込みをしたこともないし、普通の体育の授業で走ったことすらない。自転車にも乗れないし、泳げないし、ウォーキングすらしたことがない。ずっと部屋に籠っていた。生まれた時から目が見えなくて、身体を動かすことが怖くてずっと逃げてきた。あの日を境にテレスコープで見るようになったけれど、臆病なままで家の外に出ることを避けていた。


 やっと、変わりたくて、目をくれたジグリアに希望をかけて、誰にも見つからないように隠れてカノープスの居城に潜った日にウタタと出会った。助けられた。いろいろ教えてもらった。楽しかった。


 失いたくなかった。


 アマネはもう何度目かわからない跳躍を行う。ほんの少しずつだが距離は伸びていると思う。そう信じて繰り返す。


 城の中は時間感覚が狂う。時折思い出して時間を確認しては、溶けた時間に驚いた。跳ぶ。飛ぶ。


 跳躍できるようになるだけで、どのくらいの時間がかかるのか分からなかった。


 四時を過ぎて、一度大広間に行くことを決めた。走って、走りながら敵を撃ち落とし、初めて来た日のことが嘘のようにあっさりとアマネは大広間に辿り着いた。


 シャンデリアに隠れた鳥三匹を撃ち落として大広間に入る。


 演出があって馬の石像とプレートアーマーが動き出す。即座に構えていた四つのリングで射出して、プレートアーマー四体を退け反らせて一瞬動きを止めた。


――あの馬の石像は、額の飾り石を壊すと動きが遅くなる。


 アマネの耳にウタタの言葉が蘇る。額の飾り石――菱形のアメジストのような石が、馬の額に付いている。


 あれだ、と狙いを定めてアマネは飾り石を撃ち抜いた。砕かれた紫色の石が飛び散り、馬の石像が怯んだ。


 仰け反りから回復したプレートアーマーが近付いて来ている。アマネは走って逃げた。


 逃げて、距離を取り、もう一度四つのリングの照準を合わせた。撃つ。四つの針が寸分の狂いもなく四体のプレートアーマーの首を弾き飛ばした。


 馬の石像が嘶いた。怒りに満ちた目でアマネを見ている。脚が駆け出すモーションを見せる。


 馬が突進してくる。アマネは落ち着いて、突進の直線上から真横に飛び退いた。


「……!」


 飛び退いた後で、走って距離を取る余裕があった。そのことにアマネは驚く。



 動けている。馬の石像の動きに着いていける。





 アマネは展開するリングを八つに増やした。八つすべてを目にすると視界がぐちゃぐちゃになる。頭の近くの三つのリングのみを目として広く映し、残りは本来のスコープ機能をメインにした。モニターが並ぶように頭の中にいくつもの映像が展開される。


 馬の石像の突進を避けて、構えていたリングのひとつの照準内に馬が入った瞬間に撃った。


 嘶く声が響く。


 それからは集中力と持久力との闘いだった。観察する。避ける。撃つ。逃げる。繰り返しのなかで徐々に疲弊しながら、アマネは自分で自分を励まして戦った。


 鈍くなるアマネの動きとは対照的に馬の石像は俊敏なままだ。むしろ速くなっている気さえする。


 馬が前足を跳ね上げて淡く光った。

 かと思うと、明らかに動きが早くなった。


 なんだそれ、とアマネは毒づく。HPが一定の値より低くなったボスが新しい技を出すアレじゃん、と思う。


 走る馬の光が徐々に強くなり、バチバチと火花を散らし始めた。逃げるアマネは、縮まる距離を認識して、弾き飛ばされる未来に覚悟を決めた。


――天井まで飛ばされようと撃ってやる。


 馬の頭がアマネの背に触れる。びりびりした音が鼓膜に響く。ぐわ、と重力に逆らってアマネの身体が持ち上げられ、天高く弾き飛ばされた。


 顔も体も上を向いているが、知ったことじゃないとアマネは思う。もとより向きなどどうでもいい。リングさえ馬を捕らえることができればアマネは撃てるのだ。


 八つのリングをすべて馬の石像に向けた。


 アマネを弾き飛ばして前足を挙げたままの標的は、でかくてのろい的だった。


「勝ってやる」


 呟きと共にアマネはリングから黒い針を八本放った。


 八本の針はすべて馬の石像に刺さり、とうとうHPを削りきった。

 消滅のエフェクトは他のモンスターと一緒だ。


 光の粒となって消えていく馬の石像を見送りながら、アマネは迫る床に備えて身体を丸めた。


「……っ!」


 アマネは墜落して転がる。ブラックキューブに守られた身体は痛くない。回転が止まって大の字に身体を開いたアマネの目の前で、上階へ続く扉がゆっくりと開いた。



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