2-6
「ウタタ!」
アマネは叫んだ。驚いて振り返ったユキを目掛けて、倉庫の脇に積んであった小さなコンテナを投げつけた。何が入っていたのか知らないが、コンテナをぶつけられたユキは体勢を崩して地面に手を付き、アマネはウタタに走り寄った。
ユキの舌打ちが聞こえた。
アマネはぐったりしたウタタの身体に腕を回して、力任せに助け起こすと、ウタタを引きずるようにして走り出した。ずるり、とウタタに糸か何かで引かれるようにブラックキューブが付いてくる。
「スナイパーくん? ウタタを助けに来たの?」
ユキはゆっくりと立ち上がった。アマネの登場は予想外だが、余裕だと思っているのだろう。ウタタは動けないし、ユキにはリングも鳥もある。
「なんで? スナイパー君もこれが欲しいの?」
手に掬い上げていたブラックキューブをぎゅっと大事そうに胸に抱えて、ユキが追いかけてくる。そんなユキの声から逃げるように、アマネは倉庫群の間を進んだ。走っているとはとても言えないような速度で、もどかしくてたまらない。
「……ア、マネ?」
耳元でウタタの小さな声がした。意識がある。
「ウタタ、背負うから、がんばっておれにしがみついて」
ん、と返事ともうめきともわからない声が返ってくる。アマネは構わず体勢を低くして、ウタタの身体の下に自身の身体を滑り込ませた。ウタタの腕を引っ張って、首の前で交差させる。わずかにその腕に力が込められたのがわかった。アマネはウタタの膝裏に手を回して支えると、身体に力を込めて立ち上がった。
先ほどよりずっと動きやすい。必死に走って進むと、T字路に差し掛かった。左に曲がった瞬間、ガードレールをカツン、と何かが穿つ音がした。ユキがもう近くにいて、リングを構えて撃っていた。
怖い。ユキが、撃たれることが、ウタタが死んでしまいそうにぐったりしていることが、どれもこれも怖くて堪らなかった。
ほんの一瞬だけ、アマネはウタタを助けに飛び出したことを後悔した。出しゃばらなければよかったのだと。しかしアマネはその気持ちを振り払うようにがむしゃらに走った。それは思ってはいけない。思いたくない。そんな後悔より恐怖の方がずっとマシだ。とにかく逃げろ。逃げ切れ。もっと早く走れ。ウタタみたいに。
風を切る音がして、アマネのすぐ近くを針が飛んでいった。
冷たい空気が喉を刺す。は、と息を吸い込んだ瞬間、祈りとも懇願ともわからない想いに応えるように身体が軽くなった。
アマネ自身が動かそうと思っているより早く足が動く。奇妙な感覚に混乱してバランスを崩して前のめりになった。
「……っ」
堪えた。転ぶより先に、次の足を地面に着くことができた。大丈夫、走れる。アマネは自分を励ました。
近くに壁もないのに、すぐそばでカツンと針が何かに当たる音がした。アマネの身体に当たったわけではない。どこも痛くない。なのにアマネは自身の身体に当たったような気がした。
――なにかに守られている……?
目指す場所はない。警察がどうにかしてくれるとも思えない。しかし身体が軽くなった高揚感となにかに守られているような感覚がアマネの心を励ました。
「ウタタ、大丈夫? 揺らしてごめん。病院、探すから」
そう、病院だ。一体なんの薬を打たれたのか分からない。病院で診てもらわなくては。
しかしウタタの反応は否定的だった。
「……だめ」
力なく首を振りながらウタタは拒否した。
「……なら、警察に」
「……だめ、家の人に、連絡が、いっちゃう……」
なぜ連絡されてはダメなのか検討がつかず、アマネは返答に窮した。
それ以上問うこともできず、アマネは走り続けた。どこへ行けばいいのか。どこに行っても意味などないのか。けれど走るのをやめた瞬間にユキに追いつかれる気がして、アマネはでたらめに走り続けた。
「……し」
唐突に、本当に小さな声で、ウタタがつぶやいた。
「ウタタ、何!?」
「はし」
今度ははっきりと聞き取れた。
はし。
橋。
カペラ吊り橋。
「わかった」
アマネが周囲を探すと、建物の隙間にカペラ吊り橋が見えた。こんなところに来ていたのかと思う。
アマネは建物の間を縫って、カペラ吊り橋を目指した。主塔の窓に明かりが灯っているが、人がいるのか分からない。助けてくれるのかもわからない。でもウタタは確かに「はし」と言った。
アマネはカペラ吊り橋に辿り着いた。橋の入り口には透明な壁があって、明かりの付いた主塔は目の前なのに、それ以上先には進めなかった。
「助けて!!」
アマネは声を張り上げた。今までの人生でこんな大きな声を出したことがあっただろうか、とアマネ自身が不思議になるような大声が出た。
「助けて! 助けて!! お願いです、助けてください! 誰か、」
光る窓の中で、人影が動いたのがわかった。
「……助けて!」
主塔の低い箇所に付けられた扉から、二人分の人影が飛び出してくる。アマネに駆け寄ってきたのは新しいフィールドマスターの二人だった。
「どうした? 背負っているのはリラの子か?」
「少し待ってくださいね。いま開けますから」
女性の言葉の通り、透明な壁はすぐに取り払われた。アマネがカペラ吊り橋の中に入ったのを確認して、女性は再び何かの操作を行った。
施錠したのだろう、と思うと同時に、アマネは全身から力が抜けてその場にへたり込んでしまった。
先程までの高揚感は失われ、守られていたような不思議な感覚も一瞬で消え去った。先程までの全てが夢か幻だったように、ひたすらに身体が重い。
「大丈夫か? とりあえず中に入りな? その子、俺が運ぶから」
男性の提案にアマネは頷いた。アマネが頷いたのを確認して、男性がアマネの背中からウタタの身体を抱き上げた。ウタタの様子を見て、男性が顔をしかめる。
「昼間も調子悪そうだったけど、悪化してるな……」
男性は丁寧にウタタを一度抱え直した。
「ほら、あなたも」
アマネは女性に差し出された手を取って立ち上がる。
「……ありがとうございます」
掠れた小さな声しか出なかった。
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