2-5

 虚しいような、寂しいような気持ちを感じながらアマネは保身を取った。やりきれない気持ちをなんとか咀嚼していると、ふいに着信音が鳴った。


「……あっ、ユキからだ」


 ウタタは電話に出ると、一言二言話してすぐに切ってしまった。


「いいの?」


「うん、僕を探してたって。近くにいるみたいだから、直接会うよ」


 じゃあね、とウタタがベンチから立ち上がる。


「飲み物ありがとう。おやすみ」


 手を振るアマネにウタタは手を振り返して、歩き去っていった。後ろ姿を見送ってアマネは安堵する。歩いている様子は確かにいつも通りで、痛がっている様子はない。緊張する会話もここまでだ。


 アマネは残りのミルクティーを飲み干すと、ゴミ箱を探してペットボトルを捨てた。


 そういえばライラ――ユキは今回の件をどう思っているのだろう、とアマネの頭に疑問が浮かんだ。ウタタは僕に相談したのが初めてだと言っていたから、一連の問題は知らないのだろうか。だとすれば、挑戦者ペアと同じようにおかしなバトルだったと怒っているのだろうか。


――ウタター? 大丈夫?


 カノープスの居城で、池に落ちたウタタをユキが心配していたときのことをアマネは思い出す。きっと心配で探しに来たのだろう。ウタタは無茶をしがちなところがあ

りそうだから、パートナーとしては気が気でないのかも知れない。


「……帰ろう」


 ずっと外にいたせいで身体が冷え切っている。ミルクティーだけでは回復しきれない。アマネは有明駅へ向かって歩き出した。帰って、湯船につかって温まって、そういえば数学Aの宿題をやらなきゃいけないし夕飯を食べそこなっている、帰りがけにコンビニで何か買おう、ついでに明日の朝ごはんにパンも買おう。


 あの夜スピカが現れた辺りに通りがかったところで、アマネは嫌なものを見つけた。


 右手方向の上空を灰色の鳥が旋回している。


「…………っ!」


 アマネは走り出した。またウタタを襲うつもりなのだろうか。もうフィールドマスターではないというのに。


 アマネは灰色の鳥を目指して走る。駅のある方向からはどんどん逸れていく。この先は倉庫群しかない。


 遠く、灰色の鳥の直下の辺りに人影を見つけて、アマネは慌てて立ち止まった。二人いる。念のためアマネは倉庫のひとつに身を寄せて、物陰に隠れるようにして近付いた。近づいてみればなんてことはない、人影の正体はウタタとユキだった。


 アマネは物陰から出ていこうとしかけて、できなかった。


「ねえウタタ、私になにか隠してるでしょ!」


 ユキがウタタに詰め寄る声が響いたからだ。


「なんで何も話してくれないの? 今日だってなんであんなに痛そうにしてたの? ねぇウタタ、おかしいよ。ジグリアで怪我なんかするはずないのに」


 アマネは出ていくことも声をかけることもできない。


「……ユキ、落ち着いて。今日のは発作だよ。むかし僕が足が不自由だったって話したよね。それの後遺症なのかわからないけど、ときどき痺れが起きたりするんだ。ちゃんと病院でみてもらうから。負けてごめんね」


「嘘つき。針みたいなのが刺さってたもん。抜いたところ見たよ。なんで嘘つくの? なんで私に隠すの?」


「……ユキ、」


 アマネはどうすればよいかわからない。灰色の鳥がいることをウタタに知らせて、ここから逃げることが優先事項だと頭では理解している。しかしユキの言うことは最もであるし、ここでアマネが出ていけば二人の関係を決定的に壊してしまう気がした。


「ウタタ知ってる? ゲームの外でもジグリアの力を使える、特別な人がいるんだよ」


 ユキがそれを知っていることに、アマネは驚いた。アマネが曖昧に言った「ゲーム領域外でもジグリアを使えるようにする技術」ではない。はっきりと、そういう特別な人間がいると言った。


「……ユキ、それは」


 ウタタの声が焦っているのがわかった。


「現実のものとしてゲーム領域外のジグリアで攻撃されたら、怪我だってするんだよ。今日のウタタの怪我は、それだったんじゃないの?」


――こんなふうに。


 続いたユキの言葉に思考が停止した。え、と漏れ出た声が、ウタタの声だったのか、アマネ自身の声だったのか。それすら考える間もなく、ウタタの首筋に黒い針が刺さった。針が飛んできた方向をアマネが見ると、カペラ吊り橋で見たものと同じ、銀色のリングが宙に浮かんでいた。


 ウタタが針を抜いて首筋を手で押さえる。っは、と苦しそうに息を飲む音がアマネの耳にも届いた。ウタタの周囲の空気が徐々に夜より黒く染まっていく。


 ブラックキューブ。


 その名の通りの黒い立方体が、いくつもウタタの周りに浮かび上がった。


「やっぱり頭の近くに撃たないとだめなんだね。脳波をヘッドギアで増幅して放出することでブラックキューブを操ってるって知ってた? ヘッドギアなしだと信号が弱くてブラックキューブは休眠状態だけど、完全に脳波を出せなくすると停止しちゃうんだ」


 ユキは思い通りに事が運んで気分がいいのか、饒舌だった。


「そのための薬を仕込んでおいたんだ。ウタタ、ごめんね。気持ち悪いよね。頭ぐるぐるする?しばらく経つと治るから、ちょっとだけ我慢してね」


 ウタタが耐え切れなくなったように膝から崩れ落ちた。と同時に、宙に浮かんでいたブラックキューブが一斉に地面に落ちて、更に細かい立方体に分解した。


「私ね、どうしてもこれが必要だったの。だから貰っていくね」


 ユキはかがんで、愛おしそうに両手でブラックキューブを救い上げた。



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