まばゆい氷の主の家(前)

 案内された客間兼用の居間シッティングルームは、化粧漆喰の壁一面を絵画の代わりに書架に飾られた図書室だ。何脚もの椅子とソファ、ランプが配置され、落ち着いたくつろぎの空間といったおもむきだった。その一角に二人の少年がいる。

 くろがね色の髪をした少年と、長い栗色の髪をした少年は卓を挟んで遊戯に興じていた。僕が見たことのない盤とコマで、どっちが勝っていたのかは定かではない。

 その勝負は、来客を伝える侍従の耳打ちでお預けになった。


「叔父上、お久しぶりです。最近はよく顔を見せに来られますね」


 立ち上がって口を開いたのは、鉄色の髪の少年だ。やはり発達した犬歯が見える。

 鉄の焼肌のような、暗くにぶい青緑の髪は人族にはありえない色で、同時にハーシュサクとの血縁を感じさせた。不自然に長い左の前髪は、下に優美な眼帯を隠している。それを別にすれば、髪は綺麗にレイヤーを入れて整えられていた。


 十七歳と聞いていたが、思っていた以上にあどけない。祖母や叔母が後見を務めているらしいが、一番上の叔父はハーシュサクだ。順番としては彼が後見人に就くのが自然に思えるが、複雑な事情があったらしい。


 しかしその時の僕は年格好以上に、彼の服装に注目していた。

 第一印象は、どっしりと纏った伝統の重み。銀色の上衣は袖丈そでたけが長く、そのフチや中に着込んだ黒衣の胸元は、銀糸で意匠化された蔦の紋様で飾られている。

 それに短剣を含む細かな装飾類。室内だからある程度くつろいだ格好ではないかと推測するが、貴族という立場からすれば、その一つ一つにも意味があるものだ。


 そうした意味の集合体を、彼は着こなして見えた。歴史を踏まえ、意義を理解し、威風を示す、常に見られていると知っている者の所作。

 ああ、確かにこれは貴族に違いない。国が変われど、間違いなかった。


「楽にしとけよ、当主はお前なんだから」

「ではなおさらです、客人には礼を尽くしませんと」


 笑って、叔父と甥は握手を交わし、最後に互いの額を合わせた。

 角持つ魔族流の挨拶だ。船旅の間にハーシュサクから教えられたが、基本的に魔族はほとんどの地域でこれを採用しているそうだ。


 魔族に対する礼儀作法で何より肝心なのは、決して角に触らない、触ろうともしないということだと言う。そのため、抱擁ほうようは推奨されない。

 というのも、魔族の角は繊細な部位なのだ。解剖学的に言えば、歯に近い。

 中指ほどの長さと指二本半ほどの幅を持つ、側頭部に生えた一対の歯。硬いが、血も神経も通っていて、第六の感覚器・霊感の源と呼ばれるほど敏感だ。

 しかし親密な間柄であれば、逆に触り合うのが好まれるらしい。夫婦や、恋人のような。そう聞くと、彼らにとって角がどういう意味を持つか想像がついてくる。


 ハーシュサクはそのへん、猥談でもするような調子でいくつかの具体的事例を話してくれたのだ、が……彼の話し好きには感謝とともに、しばしば閉口させられる。

 いや、僕はそういう話も調査のためには聞く必要があるのだが……。

 さておき、角を触るほど深い仲ではないが、角に近い場所を触れ合うことで好意を示すために、「額を合わせる」挨拶習慣が生まれたらしい。


「で、こっちが例の奇特極まるお客人だ。名前は(※Canniballaのザドゥヤ発音風)じゃないぞ」


 ハーシュサクに促され、若きマルソイン当主がこちらに顔を向けると、僕は不意に日差しに晒される感覚を覚えた。光がこもったように、冴え冴えと白い肌に金の瞳。

 おどろくほど精緻に彫られた氷が、生きて瞬きをしている様は、なんとも心臓に悪い。しかもその彫像は蒼い湖に沈められて、人の手に届かない所にあるのだ。

 日差しや湖底の宝石のように、自分ではどうにもならない何かが気まぐれにこっちを気にかける恐怖は、人生でそう何度も味わえるものではない。


「初めまして、シグ・カンニバラカンニバラさん。お名前や事情は叔父からうかがっております、カズスムク・レム・イル・マルソインです」


 シグ〔S'ĝ〕は~様、~さんに相当するザドゥヤ語の敬称である。


 口を開いた氷は柔和で、無垢なまでの微笑みを見せた。固いのに柔らかい、温かいのに冷たい、暗く沈むようなのに内から明るく光っている。

 一体どっちなのか分からない、この矛盾した印象が胸をかきむしり、男も女もこの少年にはたちどころにやられてしまうに違いなかった。

 神はこの端麗なまつ毛を一本造るのに、何日悩んだやら。僕は気をしっかり保とうとして、つい余計なうんちくを口走ってしまう。


「人に農耕を教えた神の名ですね。夏至の白夜に輝く太陽を指して、古代のシター人は暗い、または黒い(ⰍⰀⰈⰖⰔカヅス)+太陽(ⰏⰖⰍムーク)と呼んだ……あ、失礼しました」

「お詳しいですね」

「こちらは第九代アンデルバリ伯爵位継承者、ならびに第十二代アンデルバリ子爵、カズスムク・シェニフユイ・ドゥイルク・レム・イル・マルソイン〔Kazûsmuk Shenifyg Duirk L'm Ý'l Mårzouin〕閣下であらせられます」


 ちらっと僕を視線で制しながら、赤い右角の青年が付け加えた。言ってから僕も「しまった!」と後悔したが、さぞかし無礼なガラテヤ人だと思われただろう。

 一方で、僕は侍従とおぼしき青年の角に目を引かれた。

 血のような、碧玉のような色はいかにも意味ありげで、彼には何かあると示している。ここへ来る途中だって、こんな不自然な色の魔族とはすれ違わなかった。

 質問するのは堪えたが、「何の意味があるのだろう」とうずく好奇心と羞恥心がぶつかって、僕の心臓は破裂しそうだ。


「お会いできて光栄です」


 自分の声がどれだけ滑稽にうわずっていたか、思い出したくもない。

 伯爵と握手を交わし、僕はハーシュサクから教わった通り、自分から動いて額を合わせた。幸い、互いに頭突きする事故にならなくて心底ほっとしたものだ。出された手は人形のように爪の先まで整って、きっと足の指まで清潔に違いないと思う。


 ところで彼の爵位について、正式には「子爵レム」となるのだが、僕は当時「伯爵レム・イル」と呼んでいた。このへんは後々変わっていったのもあり、読み物としての統一性も欲しいので、当人の許可を得て個人名で記述させていただく。

 この後に登場する、彼の友人についても同様だ。


「ミル〔Mir〕、君も」


 カズスムクに呼ばれて、栗色髪の少年が立ち上がった。長い髪に長い足、すらりとした身のこなしからは意外なほど、分厚くたくましい上背が現れる。

 カズスムクもハーシュサクも決して小柄ではないのだが、彼は二人と並んでもまだ頭半分も背が高い。その腰には、騎兵が使う軍刀のようなものが吊るされていた。

 年齢はカズスムクとそう変わらないのだろうが、少年のあどけなさも甘さも既にない。若く力強い筋肉の盛り上がりと、強靭なバネを予感させるしなやかさ。

 完全に体が出来上がったネコ科の肉食獣だ、これは。


「よっ、叔父おじぎみ。ご無沙汰ぶりー」

「雑な言葉を使うなよ、ミル坊ミロフ〔Miroch〕」


 相変わらずだなあと笑って、ハーシュサクと亭亭ていていたる少年は挨拶を交わした。ここにいるからには、彼も貴族かそれに準ずる名士の子弟なのだろう。

 その服装は、カズスムクとは印象が異なってややガラテヤ的だ。編み上げの長靴にズボンとシャツ、その上から赤革の長衣を着て、袖丈も絞られている。


 彼の装いは、〝備える者〟のそれだ。柄から鞘まで一つの美術品としてデザインされた剣が、有事の際には武器として揮われるのと同じく。

 カズスムクのように意味を装飾品として纏う服装ではなく、実用品として着こなしていた。貴族と言うより、軍人に近いのだろう。


 他、気になるのは長い髪だ。他の二人は耳下あたりで刈り込んでいるが、彼は背中……どころか、腰あたりまで伸ばしているのが異様だ。

 だが、だらしなくはない。分けられたいくつかの房は精密に編み込まれ、邪魔にならないよう整えられている。何か意味がある髪型に違いない。


「で、こっちが」


 ミルと呼ばれる少年が、やっと僕に注意を向けた。


「物好きのRâbtasラブタス野郎か」


 Râbtas はザドゥヤ語で「食用の猿、または家畜全般」。仮にも食用としてここに来たのだから、こう言われるのも僕は織り込み済みだ。だが。


「トルバシド伯」


 まるで刃物でも構えるように、カズスムクの声が鋭く低くなった。年齢から考えて、カズスムクと同様、正式な爵位ではないのだろう。


「あくまで食用は形式上のこと。シグ・カンニバラは私の賓客ひんきゃくです。滞在中、彼に対する侮辱は私への侮辱とみなしますこと、ご承知下さい。どうか撤回を」

「まーたお前は真面目な」


 こんなの軽い冗談だろうと言うように、へらっと笑いかけたタミーラク少年はその口をぴたりと閉じた。


「……分かった、分かった! 撤回だ! すまなかった」


 僕は二人の力関係を把握した。

 見た目だけなら、カズスムクの方がか弱そうなのだが、地位以前に性格的にそうなのだろう、と。互いへの尊重と言い換えてもいいが。

 何であれ、場の支配者はこの氷の彫像がごとき少年だ。

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