人食いの厨

「イチシってのは元々、自前の角に結ぶものなんだ。結婚式じゃ着飾りたいから、自然と飾り角に結ぶようになったが、今でも新婚初夜には夫婦がお互いの角にイチシを結ぶ。つまり〝角を結ぶ〟〝イチシをかける〟はザデュイラルじゃ夜の営みのことを言うんだ、気をつけろよ」


 ハーシュサクはいつもよくしゃべるが、少しでも性的な話題になるとますます拍車がかかる。僕らは、新郎新婦と軽く話してすぐ帰った。ハーシュサクは仮にもマルソイン家の一族で、僕はひと月前にやって来た外国人だ。親族や友人ばかりのめでたい式に、長居しても迷惑というものだろう。

 ところで、手みやげに持たされた菓子は衝撃的な品だった。


「……美味しいんですか、これ」

「かじれば分かるぞ。固いから気合入れて噛めよ」


 僕は握りしめたディケリタ女神の角をじっと見たまま、中々踏み出せなかった。そう、野外祭壇に用意されていた女神像の破片だ。

 なんとこれは焼き菓子で出来た大きな器で、中に果物や菓子類が詰まっていたのである。婚姻の契りを交わした新郎新婦は、その直後に司祭から渡された剣で女神像の胸を貫き、司祭と助手たちが木槌で像全体を叩き壊した。


 聖典に登場する預言者や伝道者は、しばしば異教の神殿や神像を打ち壊す。しかし、その信徒であるはずの人間が自らの神を叩き壊すなんて、聞いたことがない。

 ハーシュサクに「見とけば分かるって」と止められなかったら、僕は叫びだしていただろう。司祭たちがぽきぽきと手際よく女神の手や足や角を折って、中から出てきた菓子と一緒に参列者に配る光景は、悪夢のようだった。


「今思い出してもゾッとするんですが、女神像を壊すところを昔の宣教師たちが見ていたなら、悪魔だ! けだものだ! と怒ったのも無理はないと思います」

「お前さん、そんなに不信心なのかい?」


 ハーシュサクは面白がるように口角を持ち上げている。


「それなりに敬虔なつもりですよ。ただ僕の心には、唯一神シッタ・ガムルの他に大いなる好奇心が存在するので」

「生まれる時代を間違えていたら、異端で火あぶりにされていたんじゃないか」


 言いながら、ハーシュサクはバリッと豪快に枝角を噛み砕いた。式の帰りなので町中なのだが、これは歩きながら食べても良いものだということか。


「まあ食ってみろよ、あまり旨いもんじゃないが、縁起物だからな。健康と長寿の」

「悪い冗談みたいだ」新郎は来月にも死ぬと言うのに!


……笑えない気持ちで、僕も女神の角を噛った。ほの甘いが、かなり噛みごたえのある焼き菓子に、砂糖を練った花がついている。うむ、まるで味がしない。


「そういえば、お屋敷内の礼拝堂には神々の像が設置されていませんね」

「ああ、ユワはそこかしこにいるからな。聖体料理テムトールブ〔Temtơlb〕つってな、たまに神にほしい時は、後で食べられるように形を作って出すんだ」


 祭りや儀式の時、その都度作って、最後に壊す「食べられる神像テムトールブ」。ガラテヤ人からはまず出てこない発想だ。


 しかし、そもそも彼らは【肉】を食らうことでユワを食らい、また自らもユワに食われる。神が生きとし生けるものすべてに宿るユワならば、わざわざ像を作る必要はなく、また、形を現したならば、食べることも必然だ。人間がユワからでて、作物としてこの世に生まれ落ちたように。


 タミーラクは、パンとぶどう酒のどこに神が宿るのか、と言っていた。だが神の似姿であれば、それは彼らにとっても神が宿るに値するのだろう。



「思ったよりも早いお戻りですね」


 マルソイン別邸に戻ると、ホールに居合わせたカズスムクは意外そうな顔だった。もっと現地で色々質問してくるだろう、と考えていたそうだ。

 確かにそうしたかったのは山々だが、僕にも好奇心以外の情はある。参列しただけで充分だと、そう思えた。


 アジガロは十代のころからマルソイン家に仕えており、先代のアンデルバリ伯爵が亡くなる前に、1267年の夏至祭礼の贄にと指名されたそうだ。

 その時点で退職してゆっくり過ごすことも出来たが、彼は当時から付き合っていたジアーカと、彼女が将来産む子供のために出来るだけ稼いでおきたいと考えた。

 贄となったアジガロの家族には、彼の死後、多額の金銭が給付される。ジアーカも出産後は国から補助金をもらえるが、母子家庭は色々と心もとないのだろう。


「じゃ、オレは休むわ」

「叔父上も付き添いありがとうございます」

「ありがとうございます」


 ハーシュサクは僕らに背を向けたまま、ひらひらと手を振って階段を昇っていった。彼の姿が見えなくなるのを待って、カズスムクが提案する。


「イオ、時間があることですし、厨房の見学はいかがですか。古祭アルマク当日には入ることになりますから、今のうちに予行演習ということで」


 それは願ってもいない話だった。人む国のくりやを、ついに!


「伯爵が台所に? ……ああ、でもこちらの方は料理が嗜みでしたね」

「ええ。そういえばガラテヤの方は、料理一つされないとか……」


 信じられない、と言わんばかりのニュアンスがほんのりと漂っていた。一ヶ月前のカズスムクなら、もっと澄ました氷の微笑で隠していただろう態度だ。


「台所は使用人の領分ですからね。洗い場スカラリー蒸留室スティル食器庫パントリー酒蔵セラー……目に触れない裏方の世界です」

「自分の口に入れるものを、そうして隠してしまうのですか」


 納得がいかなさそうに、カズスムクは軽く自分の角を指で叩いた。

(※編註……これは「そんなバカな」の控えめなジェスチャーである)

「料理ができるかできないか」は貴族に限らず、ザドゥヤ人全般にとって非常に重要なステータスらしく、それができないとは、信じられないほどの恥のようだ。

 だから料理しない人間というものに、彼らはあまり縁がない。


「ガラテヤと違って、厨房ってのは神聖で大切な場所だからな。生け贄を殺して、解体して、料理する、そのすべてがユワに捧げる祈りそのものだ」


 階上から、休むと言ったはずのハーシュサクの声が降ってきた。僕らが見上げると、「オレも見学に付き合うよ」と手を振る。


「叔父上、休まなくていいのですか?」

「いやあ、せっかくだから甥っこと触れ合うのもいいかと思ってな」


 言いながら降りてきたハーシュサクに、僕は首をかしげた。


「それ、僕がいたらお邪魔なのでは」

「お前さんが厨房見学に行かなくてどうするんだよ。いいから付き合え付き合え」


 ぐいっとハーシュサクの腕が僕の首にかけられる。カズスムクは特に異論がないようだったので、僕らは玄関ホールから左、屋敷の北西部に移動した。

 実際、ザドゥヤ建築では、厨房が非常に重視されている。

 ガラテヤでも貴族の城館などでは、厨房が別棟に分けられていることは珍しくないが、彼らの場合は母屋の3分の2近い大きさを取ることもざらだ。


「ちなみに平民の場合はどうなのでしょう? 家によっては、贄を殺して解体するほど広い厨房を持つことは難しいのでは」

「その場合は、公共の祭場を使いますね。ただ、解体した後で持ち帰った【肉】を扱わねばならないから、その場合でも神聖さではまったく劣るものではありません」


 カズスムクとそんな会話を交わしながら、配膳室に到着した。

 ここは隣接する食堂とは色ガラスで仕切られ、機能的に配置された食器棚と台でいっぱいだ。使用人の休憩や軽食にも使われるらしい。


「一度公共の祭場もうかがってみたいですねえ」

「ん、それなら今度オレと行くか?」

「ぜひ!」


 ハーシュサクに対して好感度が上がりそうだ。

 配膳室の奥には渡り廊下へ続く扉があり、この先が厨房棟だ。厨房の出入り口には、手洗い場らしき水場があり、カズスムクは塩が入った丸い缶を差し出した。


「入る前に、口を塩ですすいでください。それから手を」


 これは衛生上の都合だけではなく、身を清める意味もあるらしい。

 それが終わると、口元を覆うベールのようなものを渡された。白い薄ぎぬで、端についた紐を耳にかけ、頭の後ろで結んでつける。


「簡易なマスクですね。特に装飾もないし……」

「そりゃ単なる使い捨てだぞ」


 なるほどなあと納得したところで、僕は厨房に入らせてもらった。

 第一印象は天井が高く、明るく、清潔で、採光が良い。壁も床も美しくタイル張りされ、確かに聖堂じみた雰囲気がある。

 かまどで火の番をしていた男性が、カズスムクたちに気づいて居住まいを正した。渡されたマスクのせいか、臭いはさほど気にならない。


 僕は料理をしないし、厨房にもあまり縁がないので、ここの造りがどの程度風変わりか判断することは難しい。だから必死でスケッチを取った。

 公衆浴場の風呂桶みたいに、ばかでかい鍋。薪の山。中庭や小部屋に続く、いくつもの扉。壁には大小さまざまなフライパンや調理器具がかけられている。


 壁の一面には、大きな人体解剖図が男女と子どもの三人分かかっていた。

 心臓、動脈、気管、肺臓、食道、肝臓、胃、脾臓、膵臓、腎臓、乳房、横隔膜、小腸、大腸、直腸、子宮、卵巣、卵管、精巣、舌、頬、眼、脳、喉、耳、腱、脚。

 部位の一つ一つに、シビレやタン、コブクロといった食肉名がついている。


 居並ぶ木の棚には、保存食が詰まった瓶や、調味料、香辛料が整然と並べられていた。足元の石畳には慎重に溝がつけられ、微妙な傾斜が水はけをよくしている。その果てにある側溝に、かつてここで死んだ者たちの血や脂が溜まっているのだろうか。

 カズスムクが奥を手で指し示した。


「ここから先は、調理ではなく儀式のための場となります」


 目隠しのカーテンは、天井から入ってくる自然光でぼんやりと光っていた。ハーシュサクが前に出て勢いよく開くと、充分に宴会だってできそうな大広間が現れる。

 そこは色鮮やかな壁画が三方に描かれた部屋だった。大きな獣や武器を持った人間、太陽や月、植物、シンボリックな記号群、明らかに宗教的だ。

 壁画の一面は両開きの引き戸で、その奧は贄の遺体を解体、保存する中つ宮ユインデルキャルス〔Yinderkjals〕へ続く通路だと言う。


 大広間の中心に、十字架の磔刑台たっけいだいと、長い台がしつらえられていた。

 どちらも石造りだ。僕はぞっとして思わず足を止めそうになったが、好奇心に引っ張られて前へ進む。そこは最も採光がよく作られ、特に磔刑台は舞台のスポットライトのように光が当たる位置に調整されていた。

 見上げると、遥か高みから細長い垂れ幕が吊るされている。


「こいつはな、ここで死んだ贄の名前を刺繍するんだよ」


 横からハーシュサクが垂れ幕を指した。


「つまり、次はアジガロの名前が入るってこった」

「あんなにたくさん……?」


 僕は途方も無い気持ちでもう一度垂れ幕を眺めた。この館の一番高い所から吊るされる三本の垂れ幕……その一つに何十人の名前が記されているのだろう。マルソイン家が何世代にも渡って食べてきた者たちが、これでもまだ全てではない。

 僕はくらくらしながら、ついうかつな物言いをした。


「伯爵、あの磔刑台はなんですか」

「処刑台のようにおっしゃらないで下さい、イオ。あれは我々の祭壇です」


 カズスムクは、これを大ウプトアウップタ〔Upptå〕と呼んだ。

 それは十字架と、十字部分を囲む二重の円環からなる独特の形をしている。太陽の十字架、あるいは車輪の十字架とでも呼ぶべき形――輪廻チャーグラ十字デーキだ。

 この環は十字の交差部分にかかる小さなものと、もう少し外側にかかる大きなものの二つがあり、生命ユワの循環を表すと言う。

 国旗にも描かれている、ザデュイラルのシンボルだ。


「手前の台は小ウプトアと言います。普段はこちらの石台で贄を殺すのですよ」

「冬至と夏至、新年の祝い。そうした特別な祭礼のために使うのが大ウプトアだな。その儀式じゃ大きな飾り角ハロートをつけるから、出来るだけ体を折り曲げずにやれるようにしたいんだ。大ウプトアの方が死に方としちゃ名誉だな」


 カズスムクとハーシュサクの説明を聞きながら、僕はウプトアを近くで見る許可をもらった。近づくと、表面には、終わりも始まりもない紐の結び目が延々と続く文様が施されている。これもまた、永遠と循環の象徴だ。

 それと、前面は真っ直ぐではなく軽い傾斜がつけられている。ここに磔にされることで、胸を刺しやすいように計算されているのだろうか。


「なるほど。アジガロも結婚式では、立派な角をかぶっていました。贄は自分でここに身を預けて、腕を広げるのですか? それとも人が押さえる?」

「腕は環から後ろへ回して、布で縛ります。ああ、磔刑台と違って、ウプトア自体に枷はつけません」


 カズスムクあくまで処刑台ではないと主張したいらしい。確かに用途としては違うのだし、僕は学者の立場としてそれを尊重しよう。

 けれど、おぞましい気持ちもあった。

 こうした場所で、六歳の〝ネル〟は死んだのか。そして一ヶ月後にはアジガロが、三年後にはタミーラクが、同じく腹を切り裂かれ、心臓を抜かれて死ぬのだ。


「伯爵、無礼な質問をお許しください。……アジガロを殺すのが、楽しみですか? 彼を食べることができるのが」

「ええ、楽しみですね」


 カズスムクの返答は躊躇がなかった。本気でそう思っていると言うよりも、迷いなく答えねばならぬ、という意志が見える決然とした態度。

 人が死ぬ、食べるために殺される。

 そうしなければ飢えて死ぬから――彼らにとっては、まさに死活問題だ。


「……美味しいのですよ、ほんとうに。悲しさも恐ろしさも、すべて一緒に煮こまれて、骨までグズグズにとろけてしまう、そんな味です。誰もが泣きながらでも食べずにはいられない。あなたにはお分かりにならないでしょう、ガラテヤの方」

「それとも、あんたは分かりたいかい?」


 ため息をついて、ハーシュサクが口をはさんだ。


「オレたちが本当に食っているものの味を、理解したいかい? わざわざそいつを食べなくても、お前さんは飢えない身だってのに」

祭宴パクサに出るからには、食べないのも失礼に当たるのでしょう」


 祭礼に参加すると決まった時点で、僕もまたアジガロを口にする招待客の一人なのだ。無論、出されてから拒否したり、食べてから吐き戻すのは厳禁だ。


「分かりはしなくとも、知りたいのが僕です。あなた達の食人習慣は……複雑で、重たい。ただ、あなた方が〝人を食べる悪魔〟ではなく、どこまで行っても〝人を食べる人間〟なのだということが、分かってきたような気がするんです」


 カズスムクにとって、アジガロは十年来の従僕だ。それを自らの手で殺すことに、少なからぬ思いがあるだろう。けれど僕はこの時、それ以上何も問えなかった。


 例えば、タミーラクを自分の贄として殺して食べることができるなら。

 彼は――悦んで殺すのだろうか? と。

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