四 夏至祭礼《アルマク・トルバクッラ》ⰡⰎⰏⰀⰍ ⰕⰨⰎⰁⰀⰍⰖⰓⰓⰀ

其は碧血城から始まれり

「……もう祭礼週間が終わるじゃないですか!?」


 ある日のカズスムクとの講義の終わり、僕は部屋のカレンダーを確認して絶句した。つい先日、5号月が終わって6号月に入ったと思ったのに。

 祭礼まで、まだ十日以上あったのでは? いや、落ち着いて思い返してみよう。


 アジガロの結婚式から帰った後、僕は借りた付け角タギュクを買い取り、それをつけて生活するようになった。なにせこの方が評判がいいのだ。

 カズスムクを始めザドゥヤ貴族の面々は特に変わった様子がないが、使用人たちの態度が分かりやすく違っている。……まあ、前より話しやすくなってありがたい。


 ザデュイラルは夏至が近づくにつれ昼が長くなり、ついには夜になっても太陽が沈まない〝白夜〟に突入する。おそらくこれが、時間感覚を狂わせる元凶だ。

 遅くまで読書にふけって「なんだ、まだ明るいじゃないか」と思ったら、なんと夜中の12時前だった……なんてこともあったものだ。


「日付けの意識も無くなっていたのですか、イオ。もうすぐ〝パレード〟も始まるのだから、しっかりなさって下さい」


 教鞭をもてあそびながら言うカズスムクに、「誰のせいだと思っているんですか」と物申す勇気はなかった。最近では、あれに叩かれることも減ったものだ。

 僕は空いた時間はすべて、典礼語手話の自習と予習にあてていた。カズスムクの指導は日を追うごとに厳しくなり、そうでもしないとついて行けなかったからだ。

 タミーラクとソムスキッラの温かな激励がなければ、挫折していたかもしれない。夢の中でも講義を受けていたのだから、頭の体力はほとんど限界だったろう。


 だが僕は自分の限界を超え、曲がりなりにも手話がものになってきた。するとようやく、カズスムクの教え方にも手心や慈悲という概念が追加されたのだ。

 やっと余裕が出来た時になって、夏至祭礼の開始まで残り数日を切っているとは!


「パレードというのは、今年の贄のお披露目ですか」

「ええ。贄は毎年、迎えの馬車に乗って身を清めるための城に移り、式の直前までそこで過ごすのです。年に二回、夏至と冬至の祭礼では、城から出て皇城へ向かう贄を盛大に見送るのですよ」


 もちろん、これは貴族出身の者に限った話だ。平民の贄の場合、お披露目の式は特に無い。アジガロは、マルソイン別邸内に作られた離れに置かれていた。


「もうそろそろ招待状も届く頃合いです。参列するなら、あなたの名前も書いて返信しないといけません。でないと島へ行く船に席が用意されませんよ」


 夏至祭礼は毎年毎回、開催時期がズレる移動祝祭日である。そして各貴族の誰が・何人・いつ・移動してどこに並ぶかという行程と席次は、繊細かつ厳密な問題だ。


「お願いいたします。ところで身を清めるというのは、何をするんですか?」

「健康管理ですね。肉の味を整えるため、最低三ヶ月は食事も生活も全面的に管理され、奉納の一月前からは徐々に固形物を減らします」


 僕は思い浮かんだ〝飼育〟という単語を、厳重に呑み込んだ。


「角が生え変わると一度は見学に行くのですが、美しく壮麗な宮殿で、多くの医者が常駐していました。名を〝碧血城ダギンリルグラム〟〔Daghjnlirĝram〕と言います」


 碧血ダギンリルとはすなわち赤い碧玉ダーギニのことで、タルザーニスカ半島からアポリュダード大陸まで、広く知られる伝説に由来する。

 紀元前400年ごろ、飢えた主君の前でカナイア〔Kanaýa勇猛なる〕という騎士は自刃して、その体を差し出した。王は彼を食らって生き延び、荒廃した国を立て直したと言う。

 この時、忠実なるカナイアの角は、彼自身の血が固まって碧玉に変化したそうだ。仕えていた相手には諸説あるため、ここでは不明としておく。

 正直に言えばうさんくさい美談だが、ともかくそういう由来で碧血城と名付けられているのだ。〝碧血のカナイア、かの献身者のごとくあれ〟と。


(※編註……主に頸部を損傷した食人種インカノックスを血抜きのために逆さに吊るしておくと、稀にだが角に血が溜まって赤く変化する現象がある。おそらく碧血伝説も、贄の角を赤く塗る伝統も、この現象から出発していると今日こんにちでは考えられている。

 つまり、カナイアは息がある内から、逆さに吊るされていた可能性が高い)


「贄は皇城へおもむく数日前に断食を始め、胃腸を空にします。最後の晩餐から後、口にできるものは水分だけ。痛み消しのニフロムを飲めば、後はいよいよ祭壇ウプトアに上がるだけです」


 同族食いの際、道徳以外の大きな懸念は感染症である。同種の生物を食べた時、相手が保有する細菌をそっくりそのまま、もらい受けてしまうのだ。

 豚であれば消化管にものが入ったまま潰しても、洗浄すれば問題はないだろうが、人間が人間を食べるならそうもいかない。だから、生前から入念に体内を綺麗にしておくというわけだ。


 しかし……カズスムクの説明は、そのままタミーラクの身に起こることだ。僕はふと、以前抱いた疑問を思い返してしまった。


――もしタミーラクを自分の贄として殺し、食らえるならば。あなたは喜んでそうしますか? と。


 訊けるわけがない。訊くわけにはいかない。僕だって、いつも自分の好奇心に振り回されっぱなしではないのだ。



 数日後、僕とマルソイン家の面々はレディ・フリソッカに率いられて〝夏の碧血城〟へおもむいた。彼女とまともに顔を合わせるのは、この時が初めてだ。

 レディ・フリソッカは甥っ子によく似た美女で、特に長く豊かな髪は芸術的な美しさである。しかし、今にも凍え死にしそうなほど血色が悪く、ガタガタ震えていないのが不思議なほどだった。肖像画では顔色良く描かれているので、僕が悪口を言っているように見えるだろうが、少なくともこの日は本当にそうだったのだ。


「本当にこのガラテヤ人を連れていくの?」

「はい、叔母上」

「そう」


 前日、カズスムクとの短い会話が、彼女の僕に対する言及のすべてだった。


 帝都ギレウシェの中心である旧市街の小島は、南北の陸地を分ける海峡に浮かんでおり、四つの碧血城がその周囲の小島や陸側に点在する。

 それぞれトロイエ〔Tloieh〕・サルエタ〔Zarréth〕・オプテホラー〔Optecgrh〕・ザダーミル〔Xudåmir〕で、三十六人の贄は自分が死ぬ季節の城に送られるのだ。


 夏の碧血城は、西側内海に浮かぶ小島である。そこは全体が城郭に囲まれており、外部につながる道は旧市街まで続く橋が一つ。

 これが使われるのは、贄が皇城へおもむくパレードの時だけだ。僕ら参列者は決められた時間に船で乗りつけ、橋の反対側から城郭の中へ入る。

 ここには貴族が食べる贄も一部あずけられており、今日のパレードの後、それぞれ連れ帰る手はずだ。


 碧血城は美々しい建物だった。

 特別な客に出す繊細な食器のように、複雑な彫刻を施された白百合色の壁。そこから赤碧玉の丸天井と、磨き抜かれた大理石の尖塔がいくつも生え、多くの窓や高く荘厳な扉のどれもが、ここが軍事要塞とは全く用途が違うことを知らしめる。

 周囲には優美な庭園が広がって、ファッラ〔Falla〕という三角帽子を被った貴族たちと、パレードのための楽団や司祭たち、新聞記者が所狭しと集っていた。


「いやー、賑やかですねえ。ガラテヤの紳士は、正装ではシルクハットを被ったものですが、ザデュイラルでは三角帽なんですか?」

「そうよ。ガラテヤでは、あれは魔女の被り物なんですってね」


 ユエタリャ姿のソムスキッラは、帽子の代わりに房飾りや宝石がついた貴金属のリング・角環ココクー〔Qkokhư〕を角にひっかけていた。

 ほっそりとした腰がくっきり分かるタイトなドレスには、相変わらず眼のやり場に困ってしまう。今回は白地に青、藍、紺色の羽根と花の紋様をあしらって、彼女の銀髪と白磁の肌によく調和していた。


「おとぎ話の魔女帽子はよれよれで、三角錐も折れ曲がっていましたね。でも、みなさんのファッラは折れず曲がらずぴんと尖って、いかにもしゃれてます」


 何より違うのは、帽子に隠れる角のために、角飾りがついている点だ。ちなみに僕は、ガラテヤから持ってきた背広スーツ姿。シルクハットを被ろうかと思ったが、「絶対にこちらの方が良い」とソムスキッラに勧められて、付け角タギュクを使っている。


「あんまりはしゃぐなよ、みっともないぞ。いかにも〝おのぼりさん〟だ」

「叔父上の言う通りですよ、イオ。キュレーも、急ぎましょう」


 カズスムクは黒いフエミャ筒襟の服に、黒と紫を基調とした上衣を羽織っていた。中のフエミャは普段遣いのものより凝った作りで、羽織りはゆったりとして袖丈が長い。

 上衣の前には鮮やかな赤紫の帯紐が通され、これを胸のあたりで二度三度交差して結んで着るらしい。フエミャの袖や裾には、十二の剣を花弁にした花が刺繍されていた(※十二輪花章)。上衣にあしらわれている銀ボタンも、同じ花の形だ。

 眼帯も日用の物とは別に、控えめに宝飾品をつけたものに変わっていた。


 ハーシュサクも同様の格好をしていたが、カズスムクは肩から房飾りつきの帯を掛けている。青紫で、やはり花の刺繍があり、フチは服と揃いの赤紫。

 周りを見回していると、服装自体はおおよそ共通しているが、肩掛けをつけている者とつけていないものがいるので、これは各家の代表者が用いるものらしかった。

 これら上衣や肩掛けにもそれぞれ名前や由来があるが、割愛しておこう。


「……後で城の中を見学できますか?」

「運がよろしければ」


 僕の希望に対し、カズスムクは曖昧に答えたが、これは望み薄そうだ。ハーシュサクの紳士杖に追い立てられそうになりながら、僕は足を進めた。

 向かった先は、城で一番大きな丸天井の大聖堂だ。巨大なパイプオルガンが設置され、連なる支柱の並びが視線をさりげなく奥の主祭壇へ誘導する。

 そこはまたも赤碧玉に満ちた、血のような赤――いや、贄の赤スタンザ色に彩られた大伽藍だった。幾何学模様を描く床のタイル、化粧しっくいで装飾された壁、彫刻された柱や、香炉が置かれた壁龕へきがんに至るまで。だが、眼が痛くなるような色ではない。濃くて鮮やかだが深みがある、落ち着いた気品ある色彩だった。


 碧血城はここを中心に造られているそうで、そこには結婚式の準備がされている。当然ながら、アジガロの時と比べ物にならないほど豪勢だ。

 聖体料理テムトールブとして作られたディケリタ女神の像は人の三倍もの高さがあり、その周囲に女神の従者である花の乙女たちや、森の獣の像が用意されている。

 新郎新婦は、今年の夏至祭礼で捧げられる贄の男女だ。


「伯爵閣下、今朝になって結婚式があると聞かされましたが、祭礼の贄ともなると死ぬ前の婚礼も公式行事になるんですか?」


 さっき〝おのぼりさん〟と言われたにも関わらず、僕はきょろきょろと大聖堂の中を見回していた。次はいつここへ来れるチャンスがあるか分からないので、できるだけ記憶に留めねばならないのだ。カズスムクは三角帽を脱ぎつつ答えてくれた。


「両者の婚姻は〝聖婚イェル=バシュルカ〟〔Hel=Basiewrqa〕と言って、祭礼の一部です。彼らが演じる〝ムーカル〟〔Mưkar太陽〕と〝コーオテー〟〔Qåte〕は夫婦一組の生け贄なのですよ」

「待ちなさい、イオ。公の場よ、彼のことは〝子爵閣下〟と呼びなさい」

「すいません、お嬢さまユーダフラトル


 伯爵呼びに慣れていたので忘れかけていたが、カズスムクはまだ家督を継いでいないのだ。彼は法的には、儀礼称号の子爵位しか持っていない。


「子爵閣下。もしや、この聖婚は太陽の誕生神話に関係するやつですか」


 僕は話しながら、夢中になって堂内の壁画を見ていた。

 高い天井の壁画は夏に関連する神話の場面で、太陽に位置する場所は天窓になっている。もっとよく見たかったが、奥へ進むよう促され、僕は諦めた。


「ご存知なら話が早い。夏至祭礼は太陽の誕生と、その恵みに対する感謝を表していますからね。ムーカルは贄の中でも、特に名誉ある役割りです」

「角を赤く塗るころに、いつ何の役で死ぬかも決まる。ムーカルとコーオテーは、知り合って三年そこらで結婚して、一緒に死ぬわけだ。感想はどうだい?」


 からかうようなハーシュサクの問いに、僕は眉間のしわを深くした。どう言い繕っても、歓迎しかねる返答しかできない話だ。代わってカズスムクが口を挟む。


「珍しいことでもないでしょう、叔父上。出会って三年はまだ普通では?」

「わたくしなんて、もう彼とは五年の付き合いになるわ。叔父さまはお忘れになったのかしら」

「そうは言うが、ムーカルとコーオテーは普通の婚約とは意味が違う。なんせ結婚した後、子供を作るでも家を守るでもないからな」


 座席は、教会のような椅子や長椅子ではない。宴会場のように石造りの円卓が設置され、それを華やかに装飾された背もたれのない丸椅子が囲っている。

 円卓席は各貴族の家系ごとに割り当てられ、五人の親族が集まっていた。ヒゲの男性が二人、若い男が一人、カズスムクより少し幼い感じの少年が一人。

 ハーシュサクが手早く一同を紹介してくれた。


「いいかイオ、あの黒っぽいヒゲがオレの弟のヴェッタムギーリ〔Wehttamghjli贈られた物〕、医者をやっている。その横のぼうずがヴェット〔Wehtt〕の長男フリアガレン〔Chrjagharen軍勢の勝どき〕、えーと、今は十三だっけか?」

「十五歳です、叔父上!」


 鉄紺色の髪を綺麗に切りそろえた少年は、憤然と抗議する。


「すまんすまん、フロ坊フリオフ〔Chrjoch〕。で、そっちの藍色髪の美女が奥方のマリガンスムキム〔Bmulligånsmeckem赦された蝶〕。いやあマリガン、今日も綺麗だね」

「蹴っ飛ばされたくて? お義兄にいさま」

「夫の前じゃ首肯しかねる。で、こちらの紳士がソムスキッラ嬢の叔父君クトワンザス〔Qthuvansas槍投げ兵〕どのと、従弟いとこのカッマルキリエ〔Qammalkirie懺悔を聞く王〕くん。あとはヴェットの下の息子娘がいるが、また夜に会えるさ」


 僕が挨拶すると、フリアガレンにいくつか質問された。


「ガラテヤのお客さん、角が生えてないんですよね? あとで付け角外すの見せてもらっていいですか? それと、海老が好きって本当に?」

「やめなさい、フリオ〔Chrjo〕」


 母親のマリガンスムキムに止められて、フリアガレンはつまらなさそうに着席した。僕は乾いた愛想笑いで海老の話を流すしかない。

 無地の藍色に、凝った飾りボタンの礼装でめかしこんだレディ・フリソッカは、朗らかに声をかけた。


「ひさしぶりね、マリガン」

「お義姉ねえさまもお変わりなく」


 一方のマリガンスムキムは、黒地全体に細かな花柄をあしらっている。ユエタリャの色と模様は、男性礼服より遥かに多様らしい。

 女性陣は額合わせの挨拶をして、何やら世間話を始めた。そうこうしている内に、順次円卓席が埋まり、時間と共に誰が合図するともなく静まり返っていく。

 聖婚式の始まりだ。

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