灰とザクロの哀惜杯(中)

祭りの宴席パクサ・マーミナでは、【肉】は欠かせないものです。ユワの代理として贄の命を絶ち、適切にさばいて調理することは、一族の長が担う神聖な仕事なのですよ」


 カズスムクの語りは、誇らしげですらあった。これが狩られた野の獣の話なら、楽しく聞いていられただろう。だが、この不快な話こそ僕が求めたものなのだ。

 喉の渇きを察したように、侍従の青年が新しい茶を注いでくれた。


 ユワ〔Yva〕とは命、霊、魂、神を意味する古シター語である。これは明らかに、ガラテヤ語の悪魔イヴァの語源だ。

 ガラテヤの神シッタ・ガムルは天地の造り主、全能の方とされるが、彼らの宗教観では遥か昔に創造主は滅び、被造物であるヒトのユワや鳥のユワや魚のユワが天地をしろしめす。ユワとは生命そのものの神格化であり、生物の種類だけ存在するのだ。

 ガラテヤの天主てんしゅ公教こうきょうは典型的な一神教だが、ザドゥヤは多神教であり、汎神論はんしんろんを採用している。この点も僕には驚くべき話だった。


「……人間をさばくのは、お辛くはありませんか」

「初めて父から手ほどきを受けた時は、驚きもしたし恐れもしました。子供でしたから。あなたのお国でも、食べこそしないものの、死体の解剖はされるのでしょう?」

「ええ、主に学問のためにです。僕も大学の死体解剖を二度ほど見学しました」


 もちろん、ザデュイラルで人間が解体される場面を見ることを想定してのことだ。

 そういえば、魔族は早くから外科技術が発達していたというレポートを読んだ。古くから人間を解体し続けていれば、それも当然の結果だろう。


「シグ・カンニバラは、学問のために古祭アルマクを見にこられたのですよね。Ĝaĝrifガグリフもご覧になりますか?」


 ガグリフの概念を僕が解するまでしばらくかかった。

 それは「神に命を捧げる」こと、すなわち「贄の殺害」を意味する。強いて訳すなら〝奉納〟というところだろうが、広義には殺害後の解体と調理までをも含む。


「是非とも」

「では、彼に挨拶なさってください」


 カズスムクは手で一人の侍従を示した。前髪を丁寧に後ろになでつけ、ぱりっと清潔な服装。そして、彼だけ右の角が赤く塗られている。

 この茶話会で、僕らの給仕をしていてくれているザドゥヤ人の青年だ。いつもカズスムクの一番近くに居て、昨日も彼のフルネームと爵位を紹介してくれた。


「ご紹介にあずかり、光栄のいたりに存じます。今年のマルソイン家夏至祭礼にて、 贄役ザカー〔Xakh〕を務めまするアジガロ〔Ahzighro小さな貝〕です」

「彼が、今度の贄!?」


 さすがに、これには驚いた。僕はとっさに「大丈夫なのですか?」と訊きそうになったが、一瞬の判断でその質問を封印する。

 僕は後からやってきた部外者に過ぎない。彼が、アジガロが贄になることは決定事項で、その運命を変えられるわけでもないのに、無責任な問いを投げるべきではないのだ。ソムスキッラが「赤い片角は生け贄の印なの」と付け加える。


「彼はその、つまりあと二ヶ月の命で……」


 おそるおそる口を開きながら、僕は自分の頭から知識を引きずり出した。

 魔族の角は繊細で、少し欠けるだけで悲鳴を上げるほどの激痛があるという。

 さらに角を傷つけることで自尊心をも踏みにじり、肉体的にも精神的にもその苦痛は多大だ。そのため、彼らへの拷問では必ず標的にされた。


 サスカックムーン朝〔Sāthkakmuhan(※リド文字音写)〕のタッタリシャッバーク王〔Tatarishiyābhak〕(在位:紀元前286年頃 - 紀元前253年頃)は、生きたまま捕虜の角を抜いて装飾品に加工することを好んだという。王立リンロティウム博物館には、角で作った首飾りや腕輪が展示されていたものだ。

(※編註……Rinrotiumリンロティウムはガラテヤの首都)


 しかし、魔族の角に屈辱的な言葉を書いたり彫ったりした事例は枚挙にいとまがないが、ただ色をつけるだけ、という例を僕はあまり知らない。

 だからずっとアジガロの赤い右角が不思議だった。


「はい。こうして若さまにお仕えするのも、残りわずかひと月。お役目を解かれた後は、祭礼週間までおいとまをいただき、家族とともに過ごします」


 アジガロは完璧に柔和な笑みを浮かべたままだ。僕は水に落とした油のように、自分がひどく場違いな気分で不安になった。


 夏至祭礼の流れをここで述べておこう。祭礼当日の二週間前は、準備のための祭礼週間イェリッギャヴァシキ〔Helggjwaske〕だ。教育機関もそれに合わせて夏季休暇へ。

 その最終日には、皇帝が直々に奉納ガグリフする贄のお披露目があり、翌日の早朝に儀式執行、殺害・解体と下処理をして、夜に一部を食べる。

 これが夏至祭礼第一の主眼・奉納の儀だ。

 贄は皇族で五人、貴族で三人、有力市民は二人を奉納し、下の階層になると一人の贄が細かく細かく分配されることとなる。

 翌日からの九日間は、遺体を調理しつつ食べ尽くす、祭礼第二の主眼・祭宴パクサだ。それが終わると夏の住まいに移って、断食週間の開始、というのが毎年の流れである。


「その後は、当のご主人さまカズスムクに直接……」


 殺されるのか、という言葉が出てこなくて、僕は自分にそんな神経があったことにおどろいた。いや、舌までめまいを起こしかけただけかもしれない。

 見たところ、アジガロは二十代も半ばほどだろう。その若さで、祭礼の生け贄になって殺され、身を食われる。その運命に異議も唱えない。


 すぐ隣にいる者が、遠くない死を定められたまま変わらない日常を送っている。やがてその日が来たら、彼らは皆、厳粛にその運命を受け容れるのだろうか?

……おそらく、そうなのだろう。


「綺麗にやってやれよ、カズー。去年は大変だったし」


 タミーラクは恐ろしい茶々を入れた次の瞬間、「いてっ」と顔をしかめた。秀眉をひそめたカズスムクの様子からして、テーブルの下で足を蹴ったのだろう。

 黙っていなかったのはソムスキッラだ。


「口のきき方に気をつけるのね、タミーラク・ノルジヴ。バカなことばかり言っていると、あなたの肉に柑橘の風味がつくまでオレンジを食べさせるから」

「何年かかるんだよ、それ!?」

「三ヶ月あれば足りる計算ね」

「本当か?」


 はて、ソムスキッラは進歩的な女性なのだろうか。それともザデュイラルの淑女とは、皆こういう調子なのだろうか? 彼女はどう見ても、コルセットで胴を締め付けられていなかった。呼吸が楽だろうから、能動的になるのかもしれない。

 ちょっと興味深くなってきた所で、カズスムクがたしなめた。


「ミル。あの後、お婆さまにどれだけ猛特訓させられたか、君も知っているだろう。我らが祖先の血と肉に誓って、アジガロに惨めな思いはさせない」

「わたしめは若さまを信じております」


 殺される者が殺す者に信じてる、と。なんだか奇妙な夢の一場面のようだった。

 今の印象では、彼らザドゥヤの人々は穏やかで、親切で、しごく文明的である。だが僕は、頭の中に〝蛮族〟という言葉が浮かぶのを抑えられなかった。


 下の者は上の者に食われ、足りないぶんは外部から補充し、または家畜の猿で代用する。それでも足りなければ、肉を食べる回数そのものを制限する。

 常に「食べられる階級サルクス」を用意するため、彼らは厳然たる身分制度を敷いた。その歴史は、いかに【肉】を獲得し分配するかという試行錯誤の苦しい道のりなのだ。


 一方で、僕の主人たる好奇心は絶好調と言うほかない。


「ちなみに奉納ガグリフする、というのは手順が決まっているものですか」

「もちろん決められていますよ。腹部を切って手を差し入れ、心臓近くの大動脈を切って即死させるのです。主役の贄であれば、さらに胸から心臓を取り出します」


 虫も殺せないような麗しい顔で、カズスムクは血生臭い手順を語ってくれた。生け贄は目を覚ましたまま腹をかき回され、横隔膜を破って殺されるのだ。


「……痛そうですね」

「そうでもありません、ニフロム〔Nifrom〕という痛み消しもありますし。コロシオハケシの花から造る薬酒なのですが、効果の程は保証いたしますよ」


 カズスムクは自分の眼帯を指差した。


「九歳の時、訳あってこの眼を取ったのですが、ニフロムのおかげで耐えられる程度に抑えられました。まあ、効果が切れた後は何日も寝こみましたが」

「バカヤロウ」


 ぼそ、とタミーラクが苦々しげにつぶやく。どうしたのだろうと僕が思っていると、彼はばつが悪そうに茶杯をあおった。ソムスキッラが話を引き継ぐ。


「ニフロムの助けよりも速やかに、贄の苦しみを終えるのは担い手の腕よ。この図体ばかり大きいタミーラク・ノルジヴのお父上、大トルバシド卿なんて達人ね」

「俺の図体はコガトラーサの血だぞ。父上ぐらいになると、他家の祭宴パクサで代役だって頼まれる。宮廷の総料理長ユアレントゥル就任だって、あと十年早くても良かった!」


 ソムスキッラが話題を変えると、タミーラクもやや誇らしげに食いついた。軍人が殺した敵を自慢でもするような、僕としては少し居心地の悪い空気だ。

 矮小わいしょうなるかな、イオ・カンニバラ。これは僕の意気地のない、凡庸な部分の悪しき作用だ。ガラテヤ的な倫理道徳の面で言えば、それは正しい感性なのだろう。


「トルバシド伯のお父上はすごい方なのですね」

「ええ、あの方は料理の天才で、若き日の皇帝陛下にも手解きなされたほどです。父も弟子の一人でした」とカズスムク。

「何だか不思議ですね。あなた方の食卓に、魚料理や鳥肉料理がのぼることはない。食材がここまで限定された食文化を、僕は寡聞にして知りません。仮にですが、鳥や魚を食べてみたい、と思われたことはありますか?」


 話題を変えた僕の質問に、タミーラクは露骨に嫌そうな顔をした。


「あれを食おうって発想がまず怖いね。海草とは違うんだぞ」


 ソムスキッラはそっけなく「魚が泳いでる姿は嫌いじゃないわ」と回答。


「海老やイカ、タコはいかがですか」


 空気が凍りつき、人の視線が銃口に変わる瞬間を肌で味わった。無私の背景に徹しているはずのアジガロさえ、一瞬顔をひきつらせたくらいだ。

 カズスムクだけは目も鼻も眉も動かさないが、あらゆる気色と温度を引き潮のように下がらせた、ますます無関心で冷たい面持ちに見えた。

 冗談じゃない! と鼻にしわを寄せ、タミーラクが苦々しく言う。


「海老とかだろ……ガラテヤってのは虫も食うのか」

「食べませんよ。まあ僕らが食べる海老のしっぽと、昆虫の殻は同じ材質だって言いますけれどね、それを知ってるからって食べたいとは特に」


 タミーラクは吐き気をこらえるように、顔を歪めて首を振る。


「本当か? どっちも脚がいっぱい生えてんのは同じだろ。海の虫は良くて、陸の虫は食わねえとか、お前らの言うことは信じられん!」


 まさか、海老にそこまでドン引きされるとは思わなかった。僕はシーフードと肉の盛り合わせを頼む時は、必ず海老の串焼きを選ぶし、海老のグリルも好きなのだが。

 この分だと、魚卵とカエルの卵も一緒くたにされるに違いない。


「世界には昆虫を食べる国もありますよ。子供のころから食べる習慣があれば、やはり違うのでしょう。食文化です。あと貝類とか……」

「海産物の話はもういい! 焼こうが煮ようが、口に入れたく……、あ」


 おぞましげに言いながら、タミーラクは何か思い出したように言葉を切る。


「鳥……鳥なら食べたな、俺たち」

「えっ。それはどういう状況で?」

「鳥を? そうなの、カズー」


 軽く僕は前のめりになった。ソムスキッラも初耳だという顔で興味を示す。対照的に、カズスムクは気が進まないのか、一段と冷めた表情になった。


「他愛ない話だよ、キュレー。小さいころの」

「このわたくしに、〝他愛ない話〟の遠慮はいらないわ、カズスムク・シェニフユイ。そういうくだらない話を、一生あなたとするための女なのだから」


 ソムスキッラは両手を握り合わせて、カズスムクに向かって微笑んだ。銅板画のように表情を動かさなかった彼女も、未来の夫にはこの通り。落差が激しい。


「お嬢さまもこう言っておられますし、お願いしますよ、伯爵」


 僕は好奇心を鎧として纏うことで、必要とあればいくらでも厚かましくなる覚悟を決められる、たいへん鼻持ちならない男なのだ。友達? 少ないに決まっている!


「イチャイチャしやがって。面倒くさいし話してやろうぜ、カズー」

「ミル」

「なんなら俺が話すぞ。こいつが飼っていたカナリアが死ん、でっ!」


 またタミーラクの足は蹴っ飛ばされたらしい。

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