灰とザクロの哀惜杯(後)

「一度だけ、私は自分に鳥が食べられたら、と願ったことがあるのです。その時はまだ、それを食べられない体だと理解していなかったからですが」


 しぶしぶといった様子で、カズスムクは話してくれた。ソムスキッラは期待のこもった眼で耳を傾ける。


「カナリアは、おそらく寿命だったのでしょうね……。数日前からあまり鳴かなくなって、最期の朝は元気に歌っていたのに。タミーラクが訪ねてきて、妹たちと遊んでいたら、夕方には冷たくなっていました」

「あの日は、ウィトヤも元気だったな。あ、こいつの妹な」


 タミーラクが言うウィトヤ嬢はこの別邸ではなく、所領の本邸にいるそうだ。


「カナリアが死んだと理解するまで、しばらくかかり……私はまず、厨房にその亡骸なきがらを持っていきました。ほんの数ヶ月前に、葬儀で母上を食べたばかりだったので」

(葬儀で? 母親を?)


 衝撃的な言葉が流れていき、僕は話を遮りかけた。何気なく口にされたそれは、彼らの間ではごく当たり前の出来事だからなのだろう。訊ねるのは後回しだ。

 タミーラクは昔を懐かしむように、宙を指さす。


「まあ厨房としちゃ困るよな。無理だ、諦めなさい、食べてもお腹を壊すよって伯爵もみんな口をそろえて。俺は『じゃあBbathnegバッタネイ作ろうぜ』って言ったんだが」

「待ちなさい、ミル。ガラテヤ人に確認しないと」


 ソムスキッラが止め、カズスムクが僕に問うた。


「シグ、〝形代料理テムバッタネイ〟〔Tembbathneg〕はガラテヤにありますか? 行方知れずになったり、病で食べられなくなった死者のために作る身代わりのパンなのですが」

「いえ、そういう文化はないですね」


 僕は困惑しながら答えた。どうやらザデュイラルでは、死者を食べて弔うことが常識らしい。カズスムクは「そうですか」と、うなずいて話を進める。


形代バッタネイは死者と同じ顔、同じ大きさに作って、〝魂がここに引き寄せられますように〟と祈りを捧げて家族全員でいただきます。ですが、食べられる体があるのに形代バッタネイを作ると、魂を引き裂いて呪われた魔物にしてしまう。だから父は土に埋めてしまおう、と言い聞かせました。けれど、は、どうしてもそれが嫌だったのです。一口も食べてあげないなんて、あまりにも可哀想で」


 初めてカズスムクの口調がほころびを見せた。


は……私は、大事な友達が死んだ時、その体を食べられないということが、ひどく恐ろしかったのです。カナリアはいつも綺麗な声を聴かせてくれて、あんなに大好きだったのに。その命が私の血にも肉にもならないのなら、それは冷たい土の中で、いったいどこへ消えてしまうというのでしょう? シグ・カンニバラ、あなたの国ではそのような時、どう考えられますか」


 僕は虚を突かれた気分だった。彼が言っているのは、埋葬された死者の魂は、どこへも行かず消えてしまう、ということだろうか?


「ガラテヤならば、土に埋められた死者は〝ガムルのみもとへ導かれる〟と言います。あなた方の国にも、ユワというガムルがいる。なぜ、消えてしまうのですか?」


 今度は三人のザドゥヤが、虚を突かれたようになる番だった。特にカズスムクとタミーラクは同じように眼を丸くして、少し幼く見えてしまう。


〝ユワ〟はザドゥヤ語における「神」を指す一般名詞である。

 だからここでの僕はガラテヤ語の神(ガムル〔Gaml〕)をして「神のみもと」「ユワという神」と説明したが、ガムル(※ザドゥヤ式発音ではイアムル)がユワとは異なる神的存在である、と納得してもらうまで一幕の騒ぎがあった。

 いくらか言語が通じても、その言語が取り扱う概念が違うと上手くいかない。その経緯については割愛し、本題に戻ろう。


 変なことを言うな、という顔でタミーラクが口を出した。


「土に手つかずのまま埋めて、ウジ虫やミミズの餌になれってのか?」

「そりゃ、大地に還せばそうなるでしょう。です」

「なんだと」


 タミーラクの眉が、ぎりっと音を立てそうに逆立つ。ザドゥヤ人の未知の怒りに触れたらしいが、僕は恐怖心を横に追いやってワクワクしていた。


「ガラテヤ人の摂理は献身的だこと」


 ソムスキッラは呆れた声を出して頭を振る。

 人が怒っている時、怒られることより、理由の方に関心が行くバカが僕だ。礼を失することはもちろん良くないが、湧き上がる疑問を埋めたくて仕方がない。


「人間に食べられることは良くて、ウジ虫に食べられることは嫌なんですか?」

「だったらお前も海老に食われてみるか?」


 テーブルに腕を乗せて、タミーラクは身を乗り出した。赤く血気をみなぎらせた顔つきは、完全に喧嘩腰のそれ。その肩にカズスムクがそっと触れた。


「ミル、落ち着いて。シグ・カンニバラも、少し言葉が過ぎますが、あなたは本当に何もご存じないのですね。自然の摂理は、一つではありませんよ」


 若きマルソイン家の当主は、とろりとした流水の笑みを浮かべていた。つかみどころがなくて、するするとどこかへ逃げていく、何もこちらに与えない表情。


「すいません。過去、あなたが哀しい思いをされたことを否定するつもりはないのです。ただ、僕にはその理屈がどうしても理解できません」


 そして僕が分からない以上、ガラテヤのほとんどの人間はもっと理解できないことだろう、と自信を持って言える。


「あなたが言う〝土に埋める〟方法は、我々の間では罪人に対して施すものです。例えば、召し上げられることを拒んで、自らを損なった贄のような」


 カズスムクは氷ではなく、流水の笑みのまま語った。


「溶け石で固めて、ミミズにすら食われることも無いよう、大地の奥深くへ埋める。食われない者は、ユワ……ヒトのユワのもとへたどりつけないのです」

土葬インベドルが刑罰になるのですね」

「? Ymbedlユムベドル……土に埋めることを、ガラテヤではそう呼ぶのですか?」


 なんと土葬Ymbedlに当たる語彙が、そもそもザドゥヤにはないらしい。


「ええ、ほとんどの死者は、そのまま土に埋めて弔い、それを土葬と呼びます。もしや、火葬サンベイルというものも行いませんか。遺体を焼いて、骨の欠片や灰を保存したり、撒いて散らしてしまうのですが」

「それはTâbbashタバッシが近いですね。そちらのSenbaleジェンベルとは違って、主に死者を焼き物料理にして弔います」


 僕は後年、Tâbbashを燔祭はんさいと訳した。


「死者を料理にして弔う、ということが既に、僕らの側では冒涜に感じられるのですが……あなた達も、死者を埋めたり、食べるためでなく焼くことは、やはり冒涜と感じられる、という理解でよろしいですか?」

「ええ」

「俺は絶対にゴメンだね。美味しく食べてもらわねえと、死ぬのも無駄になる」

「わたくしも同意見よ」


 理解が追いつくと、横へ追いやった恐怖や羞恥が戻ってくる。僕は額を押さえて、胸中独り言をつぶやいた。――ああ、分かっていても、やはり感覚的には理解しがたいものだ、と。それは、お互いさまなのだろうけれど。

 カズスムクは話を続ける。


「何であれ私たちは、死者の体を食べることで、魂をユワのみもとへ送るのです。我々はユワの子らにして作物であるから、時期がくれば老いや病にて収穫される。さりとて収穫物を食らうユワの主体は、今生きている我々の中にあります」

「それは言い換えると、死者を食べる時、神のこともまた食べるということになるのではないのですか? あ、いや、でもガラテヤにも少し似たものはありますね。パンとぶどう酒で代用していますけれど」

「パンとぶどう酒のどこに、神が宿るんだか」


 タミーラクは鼻で笑い、アジガロが取り分けたクランブルケーキを受け取る。バターの代わりにひき潰したアーモンドで作った、リンゴとシナモンのケーキだ。


「形代料理と同じですよ、形を似せていませんが、聖典でガムルの御子が保証しています。が、まあ天主公教の話は置いておきましょう。分かってきました、あなた方は神の代理として贄の命を絶ち、それを食らう」


 生きとし生けるものすべてにユワは宿る、なぜなら命そのものがユワであるのだから。


「ええ。ユワも、祖先も、常に私たちの血と肉の中に生きておいでです。今もここに、明日もここに。刈り取られた命が次の命を活かし、未来においては自らを口にしたユワの生物に生まれ落ちる。それは子々孫々命が続く限り、永劫変わりません」

「輪廻転生!」


 生まれ変わりはガラテヤにない概念だが、東方世界の宗教について学ぶとしばしば出会う。まさかこんなに近い土地にもその考え方があったとは!


「ああ! では僕が『ウジ虫に食べられることは嫌なのか』と訊ねたのは、あなた方にとっては『ウジ虫に生まれ変わるのは嫌なのか』と言うことと同じなのですね!?」

「そうだよ、バーロー」


 タミーラクは頬杖をつきながら、ケラケラと笑った。マナー的にどうなのか気にかかる格好だが、敵意や嘲笑ではなさそうではある。


「やっとお分かりね、ガラテヤ人! 人は人に食べられることが、わたくしたちにとって正しい弔い方なの。輪廻の遣いコランハサ〔Qlencaza〕に捕まったら、来世は虫けらになってしまうもの」

「そういう死者は生まれ変わりたくないから、輪廻の遣いコランハサから逃げ回って悪霊になっちまう。ザツワ〔Sazvjaけだもの〕とかダルクク〔Dalkquはぐれ者〕とか。で、人間の魂を食えばまた人に生まれて来れるから、病人や子供をいつも狙ってやがんだ」

「ははあ、ザドゥヤ語の悪態(※くそっザツワ!)ってそういう由来なんですね」


 コランハサは、食われた後の魂をしかるべき転生先へ導く存在だそうだ。彼らが人間に食べられないことをどれだけ恐れ、憐れむのか少し理解が進んだ。

 一方のカズスムクは、変わらず不動の優美をたたえて静かにお茶を飲んでいる。


「……それでは、カナリアはどうなってしまったのでしょうか。結果的に、あなたは大切な友達の小鳥を食べられたのですよね?」

「結果は火葬ジェンベルですよ、シグ」


 ふ、と苦笑して、逃げる流水が足を止めた。

 カズスムクの目は僕ではなく、過去の思い出をあらためて見つめている。更にその横顔を、未来の伴侶が真摯な眼差しで見つめていた。


「父上は焼却炉でカナリアを焼いて遺灰を作り、それを厨房でザクロの絞り汁と混ぜて、飲み物に仕立てたのです。今になって思えば、私もずいぶんな我がままを言ったものですが……」


 初めて会った時と同じように、凍てつく氷の像が蒼い湖に沈んでいく。他者を遠ざけるまでもなく、誰も近づけない透徹とした面持ち。

 純水のように真っ直ぐな美しさが、自分自身をかくあるべしと定めた形だ。


「私と、妹のウィトヤと、タミーラクと、三人で三つの盃に祈りを捧げて飲みました。私たちの血肉がカナリアを迎え入れて、我らがユワの内にありますように、と。子供には飲みづらいものでしたが、私はようやく安心しました」


「死者の遺灰を取って置き、少しずつ食べる」文化圏が人族にも存在する。主に狩猟採取生活で不足するミネラルを、死体からリサイクルするためだ。

 もちろん、それを口にする者たちには死者への哀惜もあったに違いない。カズスムクがカナリアを惜しんだように。


「あれな、キツかったからな」


 カズスムクが穏やかに話を締めくくると、またタミーラクが口を挟んだ。頬杖をついたまま、片手で友人を指差して。


「父上には〝変なもの食うな!〟ってメチャクチャ怒られて全部吐かせられたし、兄上は俺がカズーにいじめられたって勘違いしやがるし……友達だからつきあったけど、苦いわエグいわ、二度とゴメンだね」

「ごめん」


 二人のやりとりを聞きながら、僕は今聞いた思い出の意味を考えていた。

 彼らにとって、死んだものを食べることは権利であると共に、義務でもあるのだろう。何であれ、食べることは相手への敬意や親愛、いっそ親切心ですらある。

――その時になって初めて、僕は彼らと僕らの決定的な違いに思い至った。ふいに、考えるより先に口が動く。


「あなた方はとても公平な生物なのですね」

「公平?」


 タミーラクが怪訝な顔をした。カズスムクとソムスキッラも、不思議そうにこちらを見る。この言葉で合っているか不安だが、僕はそのまま続ける。


「少し嫌な言い方になるのですが、〝食べてあげないと可哀想〟という感覚は、食べられる側から見れば、搾取さくしゅする側の傲慢になるんです、僕たちの場合」


 そう、人族であるならば。人ではないものを食べる僕らなら。


「僕たちが食べる牛や豚は、言葉を話せないし、自らの意志を表現することも出来ない。僕らは彼らの意見を聞くこと無く食べる。でも、あなた達が食べるものは違います。それ以上に、あなた達は自分たちが食われることも当然のこととしている」


 言いながら、僕は視界の端でアジガロの姿を追った。

 少なくともこの魔族の青年は、受け容れたように見える。そして彼らも、死後は埋葬されるのではなく、家族にその肉体を食べられるのだ。


「妙な褒め方すんなよ、食用猿ラブタスは言葉も話さねえんだぞ」

「そうですが、トルバシド伯。単純に、肉を食べる者が〝自分は食べられたくはない〟と言うよりかはまだ、バランスが取れていると。そう思えるのです」


 公平であることが正しいとは限らない。食べられる側には、結局何の慰めにもならないかもしれない。


「……考えてみれば、僕たちの種族は、ずいぶんと身勝手なのだなと」


 別に彼ら魔族を持ち上げたいわけではない。ただ、この時僕は素直にそう感じたまでだ。予断は禁物ではあるし、蛮族という思いもまた同時にある。

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