灰とザクロの哀惜杯(後)
「一度だけ、私は自分に鳥が食べられたら、と願ったことがあるのです。その時はまだ、それを食べられない体だと理解していなかったからですが」
しぶしぶといった様子で、カズスムクは話してくれた。ソムスキッラは期待のこもった眼で耳を傾ける。
「カナリアは、おそらく寿命だったのでしょうね……。数日前からあまり鳴かなくなって、最期の朝は元気に歌っていたのに。タミーラクが訪ねてきて、妹たちと遊んでいたら、夕方には冷たくなっていました」
「あの日は、ウィトヤも元気だったな。あ、こいつの妹な」
タミーラクが言うウィトヤ嬢はこの別邸ではなく、所領の本邸にいるそうだ。
「カナリアが死んだと理解するまで、しばらくかかり……私はまず、厨房にその
(葬儀で? 母親を?)
衝撃的な言葉が流れていき、僕は話を遮りかけた。何気なく口にされたそれは、彼らの間ではごく当たり前の出来事だからなのだろう。訊ねるのは後回しだ。
タミーラクは昔を懐かしむように、宙を指さす。
「まあ厨房としちゃ困るよな。無理だ、諦めなさい、食べてもお腹を壊すよって伯爵もみんな口をそろえて。俺は『じゃあ
「待ちなさい、ミル。ガラテヤ人に確認しないと」
ソムスキッラが止め、カズスムクが僕に問うた。
「シグ、〝
「いえ、そういう文化はないですね」
僕は困惑しながら答えた。どうやらザデュイラルでは、死者を食べて弔うことが常識らしい。カズスムクは「そうですか」と、うなずいて話を進める。
「
初めてカズスムクの口調がほころびを見せた。
「ぼくは……私は、大事な友達が死んだ時、その体を食べられないということが、ひどく恐ろしかったのです。カナリアはいつも綺麗な声を聴かせてくれて、あんなに大好きだったのに。その命が私の血にも肉にもならないのなら、それは冷たい土の中で、いったいどこへ消えてしまうというのでしょう? シグ・カンニバラ、あなたの国ではそのような時、どう考えられますか」
僕は虚を突かれた気分だった。彼が言っているのは、埋葬された死者の魂は、どこへも行かず消えてしまう、ということだろうか?
「ガラテヤならば、土に埋められた死者は〝
今度は三人のザドゥヤが、虚を突かれたようになる番だった。特にカズスムクとタミーラクは同じように眼を丸くして、少し幼く見えてしまう。
〝ユワ〟はザドゥヤ語における「神」を指す一般名詞である。
だからここでの僕はガラテヤ語の神(ガムル〔Gaml〕)をして「神のみもと」「ユワという神」と説明したが、ガムル(※ザドゥヤ式発音ではイアムル)がユワとは異なる神的存在である、と納得してもらうまで一幕の騒ぎがあった。
いくらか言語が通じても、その言語が取り扱う概念が違うと上手くいかない。その経緯については割愛し、本題に戻ろう。
変なことを言うな、という顔でタミーラクが口を出した。
「土に手つかずのまま埋めて、ウジ虫やミミズの餌になれってのか?」
「そりゃ、大地に還せばそうなるでしょう。自然の摂理です」
「なんだと」
タミーラクの眉が、ぎりっと音を立てそうに逆立つ。ザドゥヤ人の未知の怒りに触れたらしいが、僕は恐怖心を横に追いやってワクワクしていた。
「ガラテヤ人の摂理は献身的だこと」
ソムスキッラは呆れた声を出して頭を振る。
人が怒っている時、怒られることより、理由の方に関心が行くバカが僕だ。礼を失することはもちろん良くないが、湧き上がる疑問を埋めたくて仕方がない。
「人間に食べられることは良くて、ウジ虫に食べられることは嫌なんですか?」
「だったらお前も海老に食われてみるか?」
テーブルに腕を乗せて、タミーラクは身を乗り出した。赤く血気をみなぎらせた顔つきは、完全に喧嘩腰のそれ。その肩にカズスムクがそっと触れた。
「ミル、落ち着いて。シグ・カンニバラも、少し言葉が過ぎますが、あなたは本当に何もご存じないのですね。自然の摂理は、一つではありませんよ」
若きマルソイン家の当主は、とろりとした流水の笑みを浮かべていた。つかみどころがなくて、するするとどこかへ逃げていく、何もこちらに与えない表情。
「すいません。過去、あなたが哀しい思いをされたことを否定するつもりはないのです。ただ、僕にはその理屈がどうしても理解できません」
そして僕が分からない以上、ガラテヤのほとんどの人間はもっと理解できないことだろう、と自信を持って言える。
「あなたが言う〝土に埋める〟方法は、我々の間では罪人に対して施すものです。例えば、召し上げられることを拒んで、自らを損なった贄のような」
カズスムクは氷ではなく、流水の笑みのまま語った。
「溶け石で固めて、ミミズにすら食われることも無いよう、大地の奥深くへ埋める。食われない者は、
「
「?
なんと
「ええ、ほとんどの死者は、そのまま土に埋めて弔い、それを土葬と呼びます。もしや、
「それは
僕は後年、Tâbbashを
「死者を料理にして弔う、ということが既に、僕らの側では冒涜に感じられるのですが……あなた達も、死者を埋めたり、食べるためでなく焼くことは、やはり冒涜と感じられる、という理解でよろしいですか?」
「ええ」
「俺は絶対にゴメンだね。美味しく食べてもらわねえと、死ぬのも無駄になる」
「わたくしも同意見よ」
理解が追いつくと、横へ追いやった恐怖や羞恥が戻ってくる。僕は額を押さえて、胸中独り言をつぶやいた。――ああ、分かっていても、やはり感覚的には理解しがたいものだ、と。それは、お互いさまなのだろうけれど。
カズスムクは話を続ける。
「何であれ私たちは、死者の体を食べることで、魂を
「それは言い換えると、死者を食べる時、神のこともまた食べるということになるのではないのですか? あ、いや、でもガラテヤにも少し似たものはありますね。パンとぶどう酒で代用していますけれど」
「パンとぶどう酒のどこに、神が宿るんだか」
タミーラクは鼻で笑い、アジガロが取り分けたクランブルケーキを受け取る。バターの代わりにひき潰したアーモンドで作った、リンゴとシナモンのケーキだ。
「形代料理と同じですよ、形を似せていませんが、聖典で
生きとし生けるものすべてに
「ええ。
「輪廻転生!」
生まれ変わりはガラテヤにない概念だが、東方世界の宗教について学ぶとしばしば出会う。まさかこんなに近い土地にもその考え方があったとは!
「ああ! では僕が『ウジ虫に食べられることは嫌なのか』と訊ねたのは、あなた方にとっては『ウジ虫に生まれ変わるのは嫌なのか』と言うことと同じなのですね!?」
「そうだよ、バーロー」
タミーラクは頬杖をつきながら、ケラケラと笑った。マナー的にどうなのか気にかかる格好だが、敵意や嘲笑ではなさそうではある。
「やっとお分かりね、ガラテヤ人! 人は人に食べられることが、わたくしたちにとって正しい弔い方なの。
「そういう死者は生まれ変わりたくないから、
「ははあ、ザドゥヤ語の悪態(※
コランハサは、食われた後の魂をしかるべき転生先へ導く存在だそうだ。彼らが人間に食べられないことをどれだけ恐れ、憐れむのか少し理解が進んだ。
一方のカズスムクは、変わらず不動の優美をたたえて静かにお茶を飲んでいる。
「……それでは、カナリアはどうなってしまったのでしょうか。結果的に、あなたは大切な友達の小鳥を食べられたのですよね?」
「結果は
ふ、と苦笑して、逃げる流水が足を止めた。
カズスムクの目は僕ではなく、過去の思い出をあらためて見つめている。更にその横顔を、未来の伴侶が真摯な眼差しで見つめていた。
「父上は焼却炉でカナリアを焼いて遺灰を作り、それを厨房でザクロの絞り汁と混ぜて、飲み物に仕立てたのです。今になって思えば、私もずいぶんな我がままを言ったものですが……」
初めて会った時と同じように、凍てつく氷の像が蒼い湖に沈んでいく。他者を遠ざけるまでもなく、誰も近づけない透徹とした面持ち。
純水のように真っ直ぐな美しさが、自分自身をかくあるべしと定めた形だ。
「私と、妹のウィトヤと、タミーラクと、三人で三つの盃に祈りを捧げて飲みました。私たちの血肉がカナリアを迎え入れて、我らが
「死者の遺灰を取って置き、少しずつ食べる」文化圏が人族にも存在する。主に狩猟採取生活で不足するミネラルを、死体からリサイクルするためだ。
もちろん、それを口にする者たちには死者への哀惜もあったに違いない。カズスムクがカナリアを惜しんだように。
「あれな、キツかったからな」
カズスムクが穏やかに話を締めくくると、またタミーラクが口を挟んだ。頬杖をついたまま、片手で友人を指差して。
「父上には〝変なもの食うな!〟ってメチャクチャ怒られて全部吐かせられたし、兄上は俺がカズーにいじめられたって勘違いしやがるし……友達だからつきあったけど、苦いわエグいわ、二度とゴメンだね」
「ごめん」
二人のやりとりを聞きながら、僕は今聞いた思い出の意味を考えていた。
彼らにとって、死んだものを食べることは権利であると共に、義務でもあるのだろう。何であれ、食べることは相手への敬意や親愛、いっそ親切心ですらある。
――その時になって初めて、僕は彼らと僕らの決定的な違いに思い至った。ふいに、考えるより先に口が動く。
「あなた方はとても公平な生物なのですね」
「公平?」
タミーラクが怪訝な顔をした。カズスムクとソムスキッラも、不思議そうにこちらを見る。この言葉で合っているか不安だが、僕はそのまま続ける。
「少し嫌な言い方になるのですが、〝食べてあげないと可哀想〟という感覚は、食べられる側から見れば、
そう、人族であるならば。人ではないものを食べる僕らなら。
「僕たちが食べる牛や豚は、言葉を話せないし、自らの意志を表現することも出来ない。僕らは彼らの意見を聞くこと無く食べる。でも、あなた達が食べるものは違います。それ以上に、あなた達は自分たちが食われることも当然のこととしている」
言いながら、僕は視界の端でアジガロの姿を追った。
少なくともこの魔族の青年は、受け容れたように見える。そして彼らも、死後は埋葬されるのではなく、家族にその肉体を食べられるのだ。
「妙な褒め方すんなよ、
「そうですが、トルバシド伯。単純に、肉を食べる者が〝自分は食べられたくはない〟と言うよりかはまだ、バランスが取れていると。そう思えるのです」
公平であることが正しいとは限らない。食べられる側には、結局何の慰めにもならないかもしれない。
「……考えてみれば、僕たちの種族は、ずいぶんと身勝手なのだなと」
別に彼ら魔族を持ち上げたいわけではない。ただ、この時僕は素直にそう感じたまでだ。予断は禁物ではあるし、蛮族という思いもまた同時にある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます