二 茶話会《タフ・カラシル》ⰕⰀⰝ ⰍⰀⰓⰀⰔⰓ
灰とザクロの哀惜杯(前)
貴族は、労働階級とは別の意味で多忙だ。自分の領地さえ守っていれば良いというものでもなく、全体の奉仕者であることを暗に求められる。
その点ではザデュイラルもさほど変わらないらしく、名目上の〝伯爵〟であるカズスムクも、マルソイン家を将来負って立つ身として、せわしなく働いていた。
後見人である叔母のレディ・フリソッカ〔
一方の僕はどうしていたかというと、仮にも【肉】として購入された立場なので、図書係の仕事を与えられた。だが待遇としてはあくまで客人らしく、仕事と言っても蔵書の閲覧許可に等しい。なんたる僥倖!
最初の朝食は苔を練りこんだ緑のパン、アーモンドバター、チーズ、きゅうり、トマト。それと砂糖煮のプラムを添えた、ブルーベリーとリンゴのオートミール粥。穀類の甘みにしゃきっとしたリンゴの歯ごたえが合わさり、起き抜けの胃に優しい。
うっかり〝チーズ〟と書いてしまったが、これは
ザデュイラルで
貴族のようにもてなされているとは思わないが、それにしても、こんなに厚遇されていていいのだろうか?
「まあ、のびのび過ごしとけよ。オレを助けると思って」
僕の疑問にそんなことを言って、ハーシュサクは朝の内に館を発った。この時の彼の発言にはずいぶんと含意があったものだが、それを語るのは後にしよう。
そして昼下がり、僕は雪の結晶を描くタイル敷きの廊下で、あちこちの浮き彫り細工をスケッチしていた。突然、バシーン! と背中をぶっ叩かれる。
「いだっ!?」と抗議の声を上げて振り返ると、タミーラクが立っていた。
「よう、
「どうも、ご挨拶さまです」
懲りないお人だなと思いながら、僕は特に反論しない。少なくとも、刃物のように鋭い目元口元からは、昨日ほどの敵意は感じなかった。
「お声をかけていただき感謝します。でも一応、僕は怪我人なのですが」
「そうだったな、死んだら美味しく食ってやるよ」
「謹んでご遠慮いたします」
……ところで今日は平日のはずである。
「あなたは士官学校で寄宿舎に入っておられる、とお聞きしましたが」
タミーラクは先日と同じような赤革の長衣姿だった。ロングコートの一種だろうか。今日も帯びている彼の軍刀は、軍属学徒の身分証も兼ねるそうだ。
「この国じゃ〝三時のお茶〟に招かれたら、外出申請が通りやすいんだ。それに、もう少ししたら祭礼に合わせて、夏の休みだしな」
僕らは話しながら、案内の使用人と共に会場である図書室へ向かった。
先ほど僕は図書係を拝命したと書いたが、午後からは茶話会の準備をするため、使用人の面々に「余計なことはしないでください」と追い出されてしまった。ので、部屋でマナー教本を読んでいたが、飽きて装飾のスケッチを始めたのである。
「てっきり、あなたは人族がお嫌いなのかと」
「いやー別に? 物見遊山のつもりで来たいけすかねえ野郎なら、本格的に追い返してやろうと思っていただけだ。意外と角が太い……あ、度胸あるって意味な」
タミーラクの警戒は妥当だろう。
ガラテヤに限らず、これまで魔族を研究した学者たちは、およそ彼らを〝人間〟と扱わず、勝手な見解を述べたものだ。
それでは僕はどうなのかと言うと、まず「魔族も人間である」と定義した上でこの旅に臨んだ。でなければ、話が始まらない!
それより、思ったよりも彼らの態度が寛容で、僕はほっとしている。大伯父に必死に頼み込んだ甲斐があったというものだ。
「あなた方の礼儀作法については、全くの無知なので、それで怒らせてしまうかも」
「
Paxch――「(ザドゥヤ語)祭りの宴席、感謝の祭儀とその会食、【肉】の晩餐、生け贄を奉納し受け取ること」。
僕はカズスムクの
「そういえば、茶話会では会話しても許されるんですか?」
僕はガラテヤで、魔族の食事作法に関するまともな文献も見つけられなかった。どうにか知り得たのは、〝決して食事中はしゃべらない〟ということだけだ。
マナー教本を見る限り、基本的な作法は大して変わらないように見えた。
だがガラテヤの場合、作法は常に社交家や美食家が更新し続けており、本に載った時には流行遅れになってしまっている。だから教本だけを信用するのは不安だった。
「あなた方の間では、食事中の口と舌は料理のために使うべきであって、会話に使うことは食材に対して敬意を欠く行為――と聞きましたが」
「あんたの国でも、供えものぐらいするだろ? 神とか、祖先とか、悪霊とかにさ。
(※編註……ここでタミーラクが言っている「食事」とは正餐、晩餐、ディナー)
だから茶話会では会話して良い、と。
ザデュイラルでは日常の食事もまた、宗教的儀式の側面を持つようだ。教本を読んだ限りでは、カトラリーの使い方も配膳形式もさほど違いはなかったのだが。
昨夜から昼にかけて、僕の食事は直接部屋に運ばれてきた。だから彼らと飲食を共にするのは、この茶話会が初めてとなる。失礼がなければいいのだが……。
◆
図書室の一角には外に張り出した陽当たりの良いスペースがあり、そこは直射日光を避けて書架も離されていた。元から茶会などに使う場所なのだろう。
場にしつらえられた六角テーブルは、幾何学模様を描く見事な寄木細工だ。木材の他にも貝殻の真珠層や金属が使われており、さぞかし職人が手をかけたことだろう。
なめらかな天板の上には、ライラックやデルフィニウムが生けられ、銀の湯沸かしと磁器のティーセット、様々なお茶の友が並べられている。
テーブルにはカズスムクの他に、見知らぬ少女がすでに着席していた。青みがかかった長い銀髪を高く結い上げ、眼鏡をかけている。
彼女の白と水色のドレスは驚くほどタイトで、僕は眼のやり場に困った。パニエやクリノリン、はてはバッスルすらない体の線そのままのワンピースなのだ。
袖口だけは花のようにフリルが広がって優美だが、首元は禁欲的に詰めた立て襟で、首から肩、脇腹へと斜め開く襟を華やかな飾りボタンで留めている。
後で彼女の立ち姿を見た時には、スカートに深くスリットまで入っていてひっくり返りそうになった(タミーラクにまた笑われた)。下にロングスカートを履いているとはいえ、こんな若い女性が破廉恥な……。
しかも、これはザドゥヤ女性の礼服・ユエタリャ〔
礼服! いっそ煽情的ですらあるこの大胆な衣装が!?
(※編註……当時のガラテヤでは、女性は厚着で体の線を隠すものであった)
「今日はお招きいただき……」
「ごきげんよう我が親愛なる友人たち。お客人の味はどうだったよ、カズー」
言いかけた僕の挨拶は、しゃっくりに潰された。自分の肉を食人鬼がどう味わったか聞く、中々出来ない体験だ。一口では大して分からないとは思うが。
眼帯の伯爵は明るい日の下にいると、ほとんど透明のように見えた。髪の色に反して肌の色素が薄く、命を吹きこまれた氷雪の人形だ。
「ごきげんよう、ミル。シグ・カンニバラ、あなたから頂いた血肉は、昨夜のうちにありがたく賞味いたしました」
「あ、どうも。お粗末さまです……」
「なんだそりゃ」
どう答えたらいいものか、つい口走った僕をタミーラクが笑った。
カズスムクは筒のような立て襟の
ボタンは見当たらず、前の合わせ部分のフチに蔓草紋様があしらわれ、裾や袖には、花びらのように刃を連ねた意匠(※八輪剣花章)が刺繍されている。
「角がないのって変な感じね、ガラテヤ人は」
同席していた少女が口を開く。決断し終えた戦術家のように、冷たく研ぎ澄まされた表情をしていた。きりっとした目鼻口は神経質なまでに整った配置で、「たるむぐらいなら死ぬ」という気迫させうかがえそうな、常在戦場の美貌である。
高嶺の花を擬人化して完全武装させ、冬の海へ発つ戦艦に乗せたような人だ。
「こちらは私の婚約者で、イェキオリシ伯爵〔L'm Ý'l Ýseue Hekgoris〕令嬢ソムスキッラ〔
なるほど、未来の配偶者が本日のもてなし役として同席しているというわけだ。角の良し悪しは僕には分からないが、美男美女カップルである。
「初めまして、ユア・レディシップ。〝片角の海軍魔女〟と同じお名前ですね」
挨拶を済ませ、僕らはそれぞれ椅子を引かれた席に座った。タミーラクとソムスキッラにカズスムクが挟まれ、僕は彼と対面する格好で、順次熱いお茶が供される。
ソムスキッラはつんと視線をそらした。
「次に魔女呼ばわりしたら、その舌抜いて塩漬けにするわよ、ガラテヤ人」
「キュレー〔Kcyllé〕、あまりからかわないで」
カズスムクが間に入ってくれて僕はほっとした。「キュレーは魔女が気に入ってんだよ」とタミーラクが付け加える。
彼女の声には言葉ほどの険はない。だがその表情は、不動の峻厳。
「舌の味が良いかどうかは話術の巧拙次第。ガラテヤ人、イオと言ったわね、わたくしの前でガラテヤ語は禁止。あちらの敬称で呼ばないで」
「分かりました。なんとお呼びしましょう」
「わたくしのことは、ユーダフラトル〔Ydafratl〕と呼びなさい」
「分かりました、
僕はガラテヤの製菓文化は優れたものと信じてやまないが、ザデュイラルのそれも負けてはいない。茶話会のために用意された菓子は、見事なものだった。
干し果物とナッツ、甘く煮た野菜とナッツ、豆とナッツで三種類の具がごろごろ入った焼き菓子・ザルガカカムス〔
サフランとレーズンを入れた黄金色のパン・センブラカヤ〔
スグリとベリー類の果汁を混ぜた冷たいプディング・バタトーリ〔
そしてこのすべてが卵、牛乳、バター不使用!
給仕されたのは明るく薄い桃色の
「まずは、フィカ〔Fika〕をどうぞ」
カズスムクは個々のカップの横に置かれた小さなボウルを勧めた。白く繊細な器には弾丸ほどの小さな実が盛られ、ピンが刺さっている。
全体はリンゴに似た淡い黄みがかかった白で、細長い先端はぶどう酒のように赤い。何の果物か分からないが、蜜漬けのようだ。
ガラテヤの茶会で最初に食べるのはサンドイッチだったが、ザデュイラルではフィカらしい。一つ食べてみると、想像していたような甘ったるい味ではなかった。
シャキシャキと軽快な歯ごたえに、甘酸っぱくてとてもさっぱりしている。爽やかな気分で飲み込むと、花のような香りが心地よい後味を残して去っていった。
もっと驚いたのは、カズスムクに勧められて花茶を口にすると、香りがさらに増したことだ。この茶とフィカは、完全に二つで一つの組み合わせなのである。
ソムスキッラは満足げにため息をついた。頬が少し緩んでいる。
「カズー、今年のフィカ、今までで一番だわ」
「ついにお婆さまにも
「あなたが作ったのですか?」
後で知ったが、フィカに使う果実はアクや毒抜きの処理が難しく、これを上手く作れるかどうかが技術を測る一つの指標にされているのだ。
「はい、多忙ゆえフィカ以外は厨房に任せました。ご容赦下さい」
「
「え? この国では貴族が料理や菓子を作られることは一般的なのですか?」
三人のザドゥヤ貴族は、おやっと怪訝な顔になった。どうやらお互い、異なる常識にぶつかったらしい、ワクワクする。タミーラクが訊ねた。
「あんた、トリとかウシとかさばかねえの? あっちじゃそういうの食うんだろ」
「それは専門の料理人に任せますね」
ガラテヤでも、何百年か前の貴族は狩りをして獲物を持ち帰ると、自ら皮を剥いだりさばいたりしたそうだ。時代が下るとそういう仕事は料理人に任せることが普通になったが、ザデュイラルでは
「伯爵は、日々の食卓をご自分で用意されるのですか?」
「いえ、それは当家の
……嫌な予感がしてきたが、基本的にイオ・カンニバラの主人はその好奇心である。
「では、伯爵はご自分の手で、人間をさばいて調理されるのですか?」
「もちろん、します。当主の大切な務めですから」
まばゆい氷の笑みには、一点の曇りも無かった。
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