或る女の話
律果の母親は、元々、長野の片田舎に住むホステスだった。
繁華街とも呼べないような小さな裏通りが、どこの町にもひとつやふたつはある。そこに
やがて子供が出来た。久成に熱を上げていた彼女は、これで一緒になれると喜んだ。久成が既婚者であることは知っていたが、子供まで出来たのだから離婚して自分と一緒になってくれるだろうと、久成が愛しているのは、選ぶのは自分だと、彼女はそう信じていた。
しかし時を同じくして久成の妻も妊娠していた。
「諦めきれなくて、何度か長野まで戻ったらしいけれどね、母は。でも結果はこの通りだ。私が三歳くらいのときかな。四辻の家で最後の話し合いがあって、それきり」
「
「私ははっきりと憶えているよ」
ベッドにうつ伏せて頬杖を突いた律果が笑うと、隣に転がる紫雁にも振動が伝わった。大人たちが話している間、怒号の飛び交う応接間から追い出された律果は
お互いに手を伸ばし、指先が触れようかというとき、
「腹違いの兄か弟の存在と、その名前がヨツツジユカリだということは知っていたんだ。流石に東京の大学で
「何で言わなかったんだ」
言えるわけもないと分かっていて、それでも紫雁の口から不満が零れた。自分が律果の立場であっても言えなかっただろう。言われたところで、紫雁は受け容れられたか自信が無い。
それでも、もっと早く知りたかった、そう思った。そうだなあ、と寝返りを打って律果も零す。
「私も言いたかったな。何度言おうと思ったか分からない。苗字ではなく名前で呼びたかった」
恋人ではなく、親友でもなく。きょうだいに、なりたかった。同じ日に生まれた、双子のきょうだいに。
どうして、腹違いだったのだろう。同じ母親から生まれたかった。そうすればきっとこんな面倒事はひとつも無くて。仕事熱心な父親と、程良く優しい母親のいる家で。お互いを名前で呼び合って、一緒に育ってこられただろう。
けれど、そんなことは
「母さんは、ずっと言っていたよ」
ぽつりと律果が吐き出した。
律果の母親は何度も律果に向けて吐いた。紫雁と紫雁の母親への
律果はあの男の子に負けたのだと。律果のせいで、母は父を得られなかったのだ、と。
母にとって律果は父を繋ぎ留める
それでも最低限の世話を焼いたのは、虐待の疑いを掛けられる方が自分にとって不利益だと考える冷静さが彼女に残っていたからだ。だから律果は生きている。
本に没頭している間、物語に入り込んでいる間は、律果は律果以外の誰かになれた。成長して映画や演劇の存在を知ると、ますます物語の世界に傾倒していった。表現学科などという稀な学科を選んだのはそれが理由だ。
出て行けと繰り返す母はきっと高校卒業を、或いは義務教育を終えたら、律果を目の前から消し去りたかったことだろう。だが未成年の律果がどこかで問題を起こせば、結局自分が呼び出される――渋々律果の存在を認めているのはそういうことだ。
よもや生き別れたきょうだいも逃げてきた先が、自分が逃げ場を求めた果ての同じ場所だとは、夢にも思わずに。
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