梅雨、長雨の降る

 六月になっていたと紫雁が実感したのは、関東全域が梅雨入りしたと天気予報が騒いだ中旬のことだ。日付も曜日もランダムに詰め込まれる選考とバイトで生活していると、簡単に月日の感覚が狂っていく。週に一度、決まって木曜の三限にゼミがあるから、かろうじて一週間が経ったと分かる。

 明確な目標も未来像も持たない紫雁は、面接する人事としても扱いに難有りと判断しているようで、未だ内々定は無かった。根気良く、とポジティブにばかり考えていられるほど気楽な性質でもなく、焦りを押し殺しながら涼しい顔を取りつくろっている。

 浮き世離れした雰囲気ではあるが人当たりの良いはずの律果とて、紫雁と大して変わらない進捗であるらしかった。選考帰りか、一度リクルートスーツ姿でゼミに現れた彼女は、アイラインが滲んで疲れた顔をしていた。普段のろくに化粧をしていない顔の方が、余程ましだろうと思う。

 新卒就活が佳境を迎えていると報道があったせいだろう。紫雁のスマートフォンには連日のように実家の文字が表示された。企業からかと手に取っては、画面を伏せてバイブレーションが止むまで耳をふさぐ。言われることなんて最初から分かっている。定型文のような健康の心配と、形ばかりの就活の心配。長野に帰っていらっしゃいと手招く。あとは呪詛じゅそのような愛情が注ぎ込まれるだけ。聞きたくない。聞く価値など無い。紫雁は、絶対に帰らない。

 着信拒否してしまうと後々面倒なのは分かっていたから、紫雁はひたすらに耐えた。不在着信の履歴と再生されない留守電が増えていく。



くまひどいな」

 顔を合わせるなりそう言われる。珍しく律果が眉をひそめていた。ドリンク剤を差し出されたが、弱った身体にそんな濃いものを入れたら間違いなくこの場で胃が引っ繰り返る。無言で首を横に振る紫雁の前で、溜息を吐いて律果が不味まずそうにそれを飲み干した。

「寝ているのか? 食事は?」

「横にはなるしカロリーはってる」

 パウチのゼリー飲料と携帯食の数々がこれほど役に立つと思えたことは無い。微熱のように熱くぼんやりとしびれている頭とひりひりきしむ目を押さえ、紫雁は小さくうめいた。布団に転がっても眠れないのだ。脳も身体も限界を訴えているはずなのに、意識が落ちることを拒んでいる。そうして天井ばかり見上げて迎える朝が何度目になるのか、数える気もしなかった。

 吐き出す息までも重い気がした。全身に溜まったおりが呼気に溶けて出て行ってくれるなら、少しは気分も軽くなれるのだろうに。無意味に重たいそれは、無意味に低気圧に混ざって、紫雁の全身にまとわり付いた。

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