宵の口に爆弾は鳴る
久し振りに呑まないか。律果の問いにああ、とも、おう、ともつかない声で承諾した。連休中に出ずっぱりだった居酒屋のアルバイトは休みで、律果もそれを見越して打診したのだろう。
大学近辺に住む一人暮らしの部屋は、往々にして宴会場や合宿所の役割を課せられるものだ。この場合も呑みの場は大学から徒歩十五分の紫雁の自宅だ。夜七時からというのは、三年余りの付き合いの中で既に暗黙の了解だった。
本屋とスーパーで買い物を済ませて帰宅したのは午後六時を回った頃合いだった。五月の太陽はまだ空に在って、三階建てアパートの二階を明るく保っている。日が長くなったなとこんなふとした瞬間に感じる。
出来合いの
バイブレーションがテーブルを叩く音が、酷く耳障りだった。八回、九回、十回。留守番電話サービスに切り替わり、コールが止むまで、紫雁は卓上の爆弾から目を逸らすことも出来ず凍り付いていた。静寂を取り戻した部屋で
長野の実家は嫌いだった。県庁所在地からも外れた、岐阜側の小さな町にある。平安時代末期に源氏の武将がどうこうという土地で、紫雁の先祖も古くから住んでいるから関わったことがあるとか無いとか。幼い頃に聞きかじったことはあるが、そんな歴史など、どうでも良かった。
物心付いたときから、家の中の空気は妙だった。仕事人間で笑った顔など見たことが無い父親と、やたらに紫雁を溺愛する母親。珍しくもない家庭の構図なのに、祖父の代に建て替えられたという古びた平屋を満たす空気が、腐敗したように
それまでの本能的な拒否反応は、明確な嫌悪感へと昇格を果たした。虎視眈々と機会を窺い、紫雁は大学進学を大義名分に、あの家から逃げ出したのだった。
文学文化学部表現学科。そんな物珍しい名称の学科を選んだのは、地元の大学で良いじゃない、と紫雁を囲いたがる母親を黙らせるためだった。長野から離れた大学で、他に類の無いような研究や学問を扱っているところを、地元の高校に押し込まれた紫雁は必死に探した。
内申点を稼ぐために模範的な優等生も演じてみせた。三者面談の場で、授業参観や校内行事で、出来の良い息子だと褒められて誇らしげに笑う母親の横で、紫雁は歯を食い縛って腹の内で暴れる
自立の一歩を口実に、仕送りの一切を拒絶して、バイト代で生活することを選んだ。築二十八年、家賃四万二千円の六畳間。布団と
流石に長期休暇ともなれば一度も帰省しないわけにもいかなかったが、一日二日、自室に籠もって、大学から持ってきた資料を読み
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