五月、就職活動

「おはよう。就職活動の進捗は如何かな」

 無機質に白い教室に入った瞬間に、厭味なくらいの微笑みでって投げ掛けられた問い。どうもこうもあるか。四辻よつつじ紫雁ゆかりはうんざりと溜息を吐いて答え、女の隣席に帆布はんぷのショルダーバッグを放った。

 先週のゼミナールはゴールデンウィークに当たって休講になっていたから、この顔を見るのはおよそ二週間振りということになる。数日前に誕生日祝いのスタンプがメッセージアプリに届いて以来、特段の遣り取りもしていなかった。交際関係に無い男女の友人なら妥当なところだろう。

「連休中は少しくらい、休めたのではないかと思っていたんだけれど。祝日に説明会をするような会社は、内情が黒いようだから辞めておいた方が良い、と聞くぞ。それとも、選考が入らない分、アルバイトに精を出していたのかな」

「世間様のお休みはサービス業にとっちゃ地獄の勤務日だからな。稼がせてもらったさ」

「それはお疲れ様だ」

 上がる口角の右下に、ぽつりと小さな黒子ほくろがあった。細められた切れ長の目は三日月のようだ。同じ就活生という立場のくせ、妙に余裕有りげな顔が憎らしく、紫雁は小さく舌打ちをして固いパイプ椅子に腰を下ろした。

 神崎かんざき律果りつかとの付き合いは、思えば早いもので四年目になる。入学前のガイダンスで偶々隣の席に座ったという、きっかけとしてはそんな些細なことだ。

 同じ学科とはいえ、男と女。オトモダチとは名ばかりの知り合い程度で終わるだろう。そう考えながら他人行儀に挨拶を交わした相手だったが、気付けば示し合わせたわけでもないのに履修科目はほとんどが丸被り、ゼミナールの選択も揃って演劇研究ときたものだ。必然的に共にする時間も多く、ここまで縁も切れずに続いた。類は友を呼ぶとはこのことだったが、紫雁としては素直に律果を類と認めるのは少々、いやかなりしゃくだった。



 文学文化学部表現学科、近世演劇専攻、杉森すぎもりゼミの神崎律果といえば、学科内外でも変わり者と認識されている。

 染めたことも無いという黒髪のショートヘアに、化粧せずともそれなりに整った目鼻立ち。常にシンプルなシャツとチノパンに身を包んでいる姿は、黙って座っていればややマニッシュなごく普通の大学生に見えるだろう。だが、どことなく芝居掛かった口調だとか、何が楽しいのだか常に緩く弧を描いている唇だとか、やなぎのように細くゆらゆらとした身体とそれに見合った掴みどころの無さだとか。喋って動いた途端に、奇妙な異質さをかもし出す。そういった特徴が集約されて人の形を成した結果、浮世離れしたこの女が出来上がっていた。

 人当たりの悪い方ではない。誰が相手であっても微笑を浮かべて応対する姿は教授や学生を問わず好感を持たれているようだし、声を荒げるような場面も見たことが無かった。

 女子の中での律果のことは紫雁は知らないので、もしかすると同性の間ではそういった場面もあるのかもしれないが、その可能性も低いのではないかというのが紫雁の中での律果に関する印象だった。男女引っくるめて考えて、少なくともこの学内において、一番律果と親しく近しい人間が紫雁であることは自他共に認めている。紫雁が見たことが無いということは、他の誰も見たことが無いのだろう。律果にとっての紫雁がそういう友人であろうと察せられる程度には、紫雁は律果と親しかった。

 その紫雁を以てしても掴みきれない浮遊感を持つのが、神崎律果という人間なのであったが。

「つか、お前の方はどうなんだよ。就活」

「さあ、どうだと思う?」

 授業開始のチャイムが鳴って数分。続々とゼミ生が集まる中、ペンケースを取り出しながら紫雁が訊くと、返ってきたのは茶化すような質問返しといつも通りのアルカイックスマイル。

 知るか、と呟いたところで、白髪頭の教授が引き戸を開いた。

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