第2話 ベラドンナ

 数刻前──────ヴォーダン魔導学園。


 この学園には何人もの魔女がいる。

 魔女の定義は諸説あって定かではないが、少なくとも個人の魔力量が飛びぬけて多い事は確かだ。


 そんな学園に通う魔女達の中でも一際異彩を放つ者がいる。その者の名はソニア・ロンド。

 青衣を纏い、短めの銀髪を揺らす彼女はその美貌のわりに認知度が低い。


 それは何故なのか……その説明には彼女の幼馴染に着目しなくてはならないだろう。

 生徒会長、華咲散華ハナサキサンゲ……このアストリア地方の領主である辺境伯殿のご令嬢だ。その美貌と輝きは他者の追随を許さないほどである。

 誰もが彼女の虜となってしまうのだ。それはソニア・ロンドとて例外ではない。

 つまりはソニア・ロンドは華咲散華の腰巾着と思われている節があった。


「散華様からは数段劣るがまあ、嫌いではない」


 ……お前は何様だ! と突っ込みたいところではあったが、これが学生達の大多数の意見らしい。


 一つ訂正をしよう。美貌においては何人かの追随を許している。ソニア・ロンドもその一人だ。

 しかしながら太陽の光の前には星々の光はかき消されてしまう。日が沈んだ時、ようやく気付くのだ。ああ……月が綺麗だと。


 さらには時折見られる謎の行動が彼女をミステリアスな者として認識させていた。そしてそれは彼女を近寄り難い者とさせてもいた。


 だが、そうした中でもそれに気づく者はいるらしい。

 その娘と連れの二人の男がソニア・ロンドに近づいたのは、あるいはその魔性に魅了されていたのだろうか……


 その日。学園の教室でソニア・ロンドは本を読んでいた。

 大抵の場合、彼女はそうしている。それは勉強熱心というよりは趣味だからである。



 それは少しの嫉妬だったのかもしれない、少しの悪意だったのかもしれない。無謀にも少し脅かしてやろうという気持ちが無かったとは言えない。

 ダンジョンなど粗野な冒険者如きが出入りするくらいだ。学園で魔導を習っている私達なら楽勝なはずだ。

 それは若者故の無鉄砲さだったのか……その三人はそんな自信を持ってソニア・ロンドへ声をかけた。


「ご存知かしら? わたくしベラドンナと申します。こっちはジョシュとカイエル。同じ魔導科ですわ」

「よろしくソニアさん」

「……よろしく」


 その三人の中でベラドンナはリーダー格だった。その吊り上がり気味な眉や瞳からは自信が溢れ、とても魅力的な女の子だ。ジョシュは気の弱そうな少年だ。カイエルは割と無口で、魔導科にしては大柄な男だった。 


「よろしく……それで何か用でしょうか?」


 本から顔を上げてソニアは用件を訊いた。


「ええと、ソニア・ロンドさん……私達これからダンジョンへ参りますの。手伝ってくださらない?」

「何故私に?」

「聞いてますわよ。貴女、散華様と何度も出入りしているはずね? 案内して欲しいの。私達初めてですから」


 ベラドンナがそれを告げるとソニアは彼女達を値踏みするように見た。それには少しむっとしながらも我慢していた。


 彼女達は知らなかったが、ソニア・ロンドは度々こうした依頼を受ける。それは大抵皆、華咲散華に近づきたいがためだった。

 ……またか、と思ったソニアはそれをすげなく断ることにした。


「悪いけど止めておいた方が良い。ダンジョンはそれほど甘くない……」


(ソニアは涼し気な顔でそう言いやがりました。丁寧な言葉遣いを心掛けたつもりでしたが、そうした態度に出られるとこちらも気など使いません!)


「何ですか! それは私達にその力がないと?」

「無い……」


(断言ですか! 即答ですか!!)


 頭に血がのぼるのを自覚しながらも、余計に引くことができなくなったベラドンナは言い放った。

 

「わかりました! 絶対行きます。すぐに行ってきます。貴女の力はかりません! ……行くわよ!」

「そういう所……」


(ぐッ……こいつ……試しやがったのか?)


「では貴女はどうしろと!」

「もう一度言う。止めた方が良い。……どうしてもと言うなら私の指示に従うならついて行く」

「貴女をリーダーにしろと? 冗談じゃない! それにそこまで言われては引き下がれません!」

「はぁ……わかった。リーダーじゃなくていい、指示にさえ従ってくれれば。従わないなら案内しない」


 そう言われてふと冷静になるベラドンナ。

 

(あら、リーダーじゃなくても良いのですか……なら適当に従った振りでもしておけば良いじゃない)


 彼女にはその考えはとても魅力的なものに見えた。


「そうですか! ではそれでお願いいたしますわ」

「わかった。じゃあ準備して冒険者ギルドで集合で……」

「準備? 何を?」

「えっ!? 装備や回復薬とか……必要なものを……。まさか、ここまで……」

「ああ……そうですわね」


(その事にソニアはとても驚いていましたが、おやこんな顔もできますのね……とその時はあまり気にしませんでした)



 †



 ソニアは激しく不安だった。

 

 新人達の中でもタチの悪い部類の勘違いした者達だ。

 ただ……不思議と憎めない奴等ではあった。少し駆け出しの手伝いをしてやるか……そう思えるほどには。

 そして私のその不安は見事に的中した。


 冒険者ギルドに着くと三人ともパンパンに膨らんだ背嚢リュックを背負っていたのだ。


「なぜそんなに荷物がパンパンなのですか?」

「おやつに決まっているでしょう?」

「……遠足かよ」


 すでに不安しかない。ダンジョンへ挑むというのだから少しは気骨溢れる姿を見せて欲しい。

 そう思うが、三人ともがそうだとむしろ私の方がおかしいのか? という気分にさせられるのだった。


「ところで前衛をできる方は?」


 私はダメもとで聞いてみるが答えは想像通りだった。


「いるわけないでしょう? 同じ魔導科なんだから」

「ですよね……では誰か雇いましょう」

「えっ……そんなお金持ってきてないわよ?」

「……私が出しますよ」

「……悪いわね」


 そう私が言ったその時点ではしおらしくしていたのだったが……


「あの方にしましょうか」

「えっ……もっと若い方が良くない? できれば格好良い方が……」

「私もそれほど経験豊富ではありませんので、カバーしてもらえそうな方が良いかと」

「……それもそうよね」


 ほぼ同じ年齢であろう私に過度な期待をされても困る。しかし……格好良い方って、お前は既に二人も連れているだろうが!


 無駄に疲れを感じながらギルド内を見回すと、鎧はボロボロで中年過ぎの見るからに冴えない感じの男性冒険者がいた。その人はギルドの仕事が貼られた掲示板とにらめっこしている。

 しかし、その鍛え上げられた体躯にハズレということはないはずだ。

 何より私は表層を少しだけ体験させてさっさと帰りたい。その目的には非常に合致すると思われた。


 声をかけてその人と話をすると名前はグラン。ギルドランクでは三星の普通冒険者だった。

 お金に困っていたそうで銀貨一枚で了承してくれた。話して分かるが、かなり良い人だ。


 そうして私達はダンジョンへと向かったのだが……私の目論見もくろみは脆くも崩れ去っていた。

 まずこいつらは私の言う事は聞かない。

 契約違反だが、まあこの際は目を瞑ろう。グランさんの指示には従っているのだから。


 意外にも問題はグランさんだった……

 グランさんは歴戦の勇士でその指示も的確。はっきり言って私の案内など要らないほどだった。


 私は何でついて来たのだろう……帰っていいかな? 激しく帰りたい!


 そして冒険者ギルドでのあの冴えない男は何処へ行った? というほどの活躍ぶりを見せた。並み居る魔物共を次々と切り伏せる。


 昼間のパパは少し違うとでも言うのか!? ……パパじゃないけど。


 それの何が問題かというとそのせいで、ガンガン行こうぜ的な空気が流れてしまっていたことだ。

 そして案の定、新人の三人がそれを自身の実力と勘違いしだしていた。


 もちろんグランさんが悪いわけではない。彼は懸命に仕事をしてくれているだけだ。

 何でこんな人が普通冒険者なのか……冒険者ギルドちゃんと仕事しろ! と私は内心で八つ当たりする。



 そして悲劇は起きる──────

 


 増長した三人はグランさんをおだてつつも、自分達の力が通用している事に完全に浮かれていた。

 

 それは一瞬の出来事だった。

 先ずグランさんが唐突に大量に現れた巨大蟻共に囲まれて私達と分断されてしまった。

 そして次には私達もその魔物達に囲まれていた。


 私は咄嗟に短剣を抜き構えるが、ベラドンナ達はそれができない。せいぜい杖を振り回すくらいだ。よって私は中衛という感じの前衛紛いの立場になっていた。

 私は短剣で牽制しつつ魔法の援護を待つが、後方からは一向にそれが無い。


 おかしいと気付いた時には遅く、先ほどの勢いはどうした!? というほど彼女達は一転して恐怖に囚われてしまっていた。

 そんな状況では私にも余裕があるわけがなく、私が短剣を振るった時それは聞こえてきた。


「逃げて!」


 それを言ったのはベラドンナだった。

 その声に驚き振り返ると、連れの男の子が肩口を噛まれ血を流しながら泣き喚いている。名前は確かジョシュだ。

 私は両手に持った短剣の片方をその魔物へと投げつけた。注意をそらせるためだ。私も師匠に剣技を教わっているとはいえ、まだそれほどの腕は無い。


 しかし、運よくそれは魔物の目へと突き刺さった。


 「ギャッ!!」


 それは魔物の悲鳴だったのか……男の子の悲鳴だったのか……


 それによって魔物から解放されたジョシュは先の言葉を曲解したのか……泣き喚きながら逃走してしまったのだ!


 魔物達は逃がさないとばかりにそれを追って行く。


「待って!!」


 そう言ってベラドンナもジョシュを追おうとする。


「待て! 行くな!!」


 彼女はその私の言葉に一瞬こちらを振り返るが、そのまま行ってしまった。それに続いてもう一人の男、カイエルもそれを追って行ってしまった……


 最悪だ……。いや、まだグランさんを助けて追いつけば!!


 そう思って私は片手となった短剣を構えて魔物達を牽制しながら青の書を開く……


 最後に見た彼女の振り返った時の涙が忘れられない……


 その嫌な予感を払拭するように私はグランさんのいる方へ声をかけると、蒼炎の魔法を詠唱した──────



 †



 私が追いついた時にはジョシュは既に事切れていた。

 幸いと言って良いのか……群がる巨大蟻達は餌を前にこちらに気づかない。

 せめて仇だけでも……そう思った私の肩に誰かの手が置かれた。


「ひぃっ……!」

「無理だ。今は逃げよう……ベラドンナ」


 驚き振り返ると、それは後ろから追って来たカイエルだった。彼も満身創痍だ……どうやら私は庇われていたらしい。

 私が動揺して驚いてしまったせいで群がっていた数匹がこちらに気づいてしまった!


「くっ……行くぞ……」


 カイエルに促されて私達は走った。

 道などとうにわからなくなっている。ただ魔物の気配がしない方へとひたすらに逃げる。

 そうして逃げていると、いつの間にか共に走っていたはずの彼の姿が見えなくなっていた。


 はぐれたのか? 


 一人になった私は恐怖に怯える。

 それまでに攻撃を受けたのか、どこかで引っ掛けたのか私も気付けば傷だらけになっていた。

 血がにじみ出て、その痛みが恐怖を助長する。


 そのとき後方で何かが輝いた。それは魔法の炎の明かりだったのだろう……

 あるいは命の……カイエル、まさか私の盾に……?


 痛みと悲しみでもう思考がまとまらない……


 それからどこをどう歩いたのか……辺りは灯りの無い、暗い闇へと変わっていた。

 すでに痛みを感じないのはせめてもの救いだったのか……

 暗い洞窟内を彷徨さまようように歩き続ける。

 出口は一向に見つからず、さらに奥へ向かっている気さえする。

 一歩、歩むごとに意識が遠のいていく……


 ワタシはダレダ……?


 そう問いかけたのは私か……闇か……

 夢と現実の境をただひたすらに歩き続けた……

 

 視界は暗黒、視点はすでに意味をなさない。

 自我と彼我の境界は消えていく……

 そしてわたしは闇と同化した……


 ナイトシェイド……その無形の影は影を取り込む様に生命を奪っていく。恐慌状態にあるものはそれに縋りつくように永遠の安息を求める……

 

 意識が遠のく中で走馬燈なのだろうか……

 なぜか彼女の顔を思い出す。知り合って間もない彼女の姿を。

 銀髪碧眼の凛々しい彼女はとても一生懸命で美しかった……


「ああ……私は仲良くなりたかったのかな……」


 魔窟ダンジョンは不心得者を決して許さない。舐めてかかる様な者達は尚更だ。

 

 それ以来、彼女の姿を見た者はいない……



 街の噂ではダンジョンには女の影が徘徊しているらしい。

 それが真実かどうかは判明していない。

 ただ……ダンジョンにおける数多くの噂の一つとして語られるのみだ。

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