青の魔女
ズウィンズウィン
序章 青の魔女
第1話 おっさんと魔女
「馬鹿な! あいつら逃げやがった……」
冒険者にとって逃げることは必須
戦闘中、恐怖で逃げ出すなど最悪の悪手だ。男の同行者達はそれを行ってしまっていた。
男を一人残して。
さらに悪いことに、ここはごく表層ではあるが
所々、苔が発光していて比較的明るい場所なのが唯一の救いか……
「これだから
男は
人間大の大きさで単体の強さはそれほどでも無いが、とにかく数が多いのが厄介だ。
同行した新米冒険者達はその数の多さと囲まれた事に驚き、恐怖して逃げ出したのだった。
男は魔物の突進をかわしざまに長剣を振るう。
魔物は「キィーッ」と断末魔の叫びをあげ、絶命した。
飛び散る体液など構ってはいられないとばかりに油断なく次の獲物を仕留める。その剣技はなかなかに見事だ。
そうして数体切り伏せたものの、減った気がまるでしない。背中からは嫌な汗が流れた。負ける気はしない。だが余裕があるわけでもなかった。
魔法で広範囲を殲滅できる魔導師ならともかく、剣士は基本的に一体ずつ対処するしかない。
数の暴力に圧され始めて、その口からは弱音がこぼれる。
「数は力だとは言うが……まいったな。全盛期なら楽勝だったろうが……」
男の年齢は四十を越えた辺り。長身で逆三角形のような体躯はとても衰えを感じている様には見えない。
しかし、その険しい顔つきや白髪の交じりの黒髪を後ろに流しているところには相応の年齢が表れていた。
装備の
そこに愛着を感じていると言ってしまうのは、男にしかわからない感覚だろうか……
ベテラン冒険者と言えば聞こえはいいが、どうにか日銭を稼いでいるのが実情だった。冒険者ギルドからも「そろそろ引退を考えませんか?」と言われてしまっている。
とはいえ、高齢でも残る人間はいる。そうした者たちはのらりくらりと冒険者を続けてきた男とは何かが決定的に違っていた。
「俺もそれなりには頑張って来たはずなんだがな……」
そう絶望的な気分に浸っている間にも魔物達はジワジワと囲いを狭めつつあった。
緊迫が最高潮に達して、冷や汗が止まらない。
剣を構えて牽制するが、この数では焼け石に水だ。
(いよいよかマズイか……?)
男がそう思い始めた頃、魔物の囲いの向こうから声がした。
「伏せてください!」
次に聞こえてきたのは呪文の詠唱だ。
「
詠唱に従い中空に
「『
とっさに伏せた男の周りを炎が渦巻いた!
熱風が撫でるように身体の上を通り過ぎていく。伏せた状態で少しだけ顔を上げると、その様子がはっきりと映る。
「これは……炎が青い?」
男は魔法には詳しくないが、経験からそれが一般的では無いことは分かる。燃え盛る蒼炎は周囲の魔物を巻き込みながら炎上していた。
延焼するように密着した魔物達は次々と燃え上がり、灰となって散っていく。
「こいつは……すげえな」
周囲の魔物を焼き尽くし、危機が去った事に安堵を覚えながら男がそう感嘆の声を上げていると。
「あまり火炎魔法は得意ではないのですが……」
蒼炎の残り火が舞う中、現れた一人の少女はそう言った。
顔立ちは美しく整い、碧眼。髪はショートの銀髪。
動きやすさを重視したぴったりとした
周囲を舞う蒼炎の青く輝く燐光によって、少女の銀髪が青味を帯びて照り映えている。
ハッとするほど深く目を惹くその青衣と相まって、薄暗いダンジョン内にあってはその佇む様は月天の女神もかくやと思わせるものがあった。
(探索仲間の一人だ。名は確かソニアだったか。どうやら彼女は逃げなかったらしい……)
グランはその場にへたり込むように座り、荒くなった息を整える。それから水袋を取り出して水を飲んだ。
彼はそれなりの年齢で、それを格好悪いなんて言っていられない。
「助かった。それにしてもよく逃げなかったな。ソニア」
「すみません、グランさん。止めたのですが……一人を追って二人とも……」
「まあ、仕方ないさ。あいつらはその方が生き残れると判断したんだ」
先ほどの悪態はどこへ行ったのかというほどの変わり身に、自分で苦笑してしまうグランだった。
(これも助かった者の特権として許してもらおう……)
そんなグランの思いとは別にソニアは心配を隠さなかった。
「探しに行かないと……」
焦燥を募らせる彼女にグランは冷酷とも言える言葉を放つ。
「本気か? こう言っちゃ悪いが、おそらく死んでるぜ?」
だが、それは自分たちの身を案じてのことだ。
恐怖に飲まれた仲間ほどタチの悪いものは無い。そう思えるほどそれは仲間を死地へ誘う。
それはもう罠と言っても過言ではない。
さらに言えば、仲間を見捨てて逃げた奴等を探しに行くほどの義理は無い。
グランのそうした忠告だったが……
「……そうだとしても、報告しなくてはならないのです」
「ああ、たしか学生さんだったか。仲が良かったのか?」
「いいえ。彼ら三人は仲が良かったのですが、私は何度かこのダンジョンに来ているので助けてほしいと言われて……」
おかしいとは思っていた。逃げた三人より彼女だけ明らかに実力が上だったためだ。
グランは金で雇われたが、彼女は案内役だったようだ。
「何で断らなかったんだ?」
「まさか、こんなことになるとは……いえ違いますね、こんなことになりそうだと思ったからです。助けられるなら、助けようと」
「なるほど。悪い予感が当たってしまったと」
「はい」
真摯な彼女の態度には頭が下がる思いだった。だからだろうか……
「了解だ。探せるだけ探そう。ただし俺ら二人しかいないんだ、疲れる前には帰るぞ」
「ありがとうございます」
勝手に逃げた奴らを探すなんて、お人好しな事だなとは思う。だがそれをするという少女を放っておくことはできなかった。
「俺もお人好しか……」
「なんですか?」
グランの独り言に彼女は首を傾げていた。
グランは気持ちを切り替えるようにして立ち上がると、ソニアに尋ねた。
「……いや、捜索なんだがやった事は?」
「いいえ、でも本で読んだことはあります」
意外にもソニアは自信あり気に答えた。両こぶしを握り、やる気も見せている。
そんな本あったか? と気になって尋ねてみる。
「本? 救助用か何かか?」
「いいえ、足跡や血痕とかの痕跡を探して、落とし物とかの証拠品を集めて、推理するんです。そうすれば犯人が分かるんですよ!」
(推理小説だった。犯人て……)
「……ああ、まあ合ってるんじゃないかな」
「む、その顔は信じてませんね?」
(顔に出てしまったようだ。正直に言うと不安だ……)
「あー、足跡は無さそうだな」
「そうですね。辺り一面、岩ばかりです」
「逃げた方向は見たか?」
「はい、たしかこの道です」
彼女は道の一つを指で指し示した。
「わかった。注意して進むぞ」
「はい」
二人は地図を確認しつつ、道の一つを慎重に進んでいく。
しばらく進んで行くと足裏に何かぬめりの様なものを感じ取る。良く調べずともグランは長年の経験でそれが何かは知っていた。
「……これは血痕だな」
その血はまだ乾ききっておらず新しいものだった。
「ここで襲撃されたのでしょうか? こっちに続いてます……」
ソニアの示す方向にさらに進むと前方に魔物が群がる気配がした。
距離を取って様子を窺うと、巨大蟻共の隙間から千切れた手足らしきものが見えた。殺されて食べられているのだろう。死んでいるのは確実だった。
「残念ながら当たりらしい」
「……はい」
彼女からは落胆の様子が伝わってくる。
「悪いが魔法で魔物ごと燃やしてやってくれないか? 敵討ち……いや、これも弔いと思って……」
「……分かりました」
酷な事を要求したかもしれないが、これも慈悲と思って欲しい。聡明な彼女は息を吞んだものの、理解して決断してくれた。
魔物達は餌に夢中でこちらには気づいていない。今が好機だ。ソニアは先と同じ呪文の詠唱を開始した。
「其は蒼き炎帝の咆哮 其は青き太陰の火炎 蒼炎よ青の書の盟約に従い我が敵を滅せよ」
先ほどは気づかなかったが、魔素で輝き、浮き上がるようにして青い本が開いている。魔導書だ。あれが青の書なのだろうか……
「『
中空に魔法陣が浮かぶ。そこから蒼炎が放たれた。放たれた蒼炎は何の障害もなく魔物達に当たり燃焼した。
蒼炎が舞った後には灰と骨と幾つかの金属が散乱していた。
その中から俺はギルドの
死亡の場合は死亡届として返還するのが冒険者の義務となっている。もちろん見つけた場合で、危機的状況などではその限りではない。
「後二人、だが大丈夫か?」
ソニアは流石に顔色が悪くなっている。しかし決然として「大丈夫です」と答えた。
「そうは言っても、これ以上痕跡は無さそうだが……」
「いえ、魔法を使った痕跡が残っています」
「分かるのか?」
「はい。こっちです」
どうやら彼女は目が良いらしい。
そこからしばらくついて行くと確かに死体があった。その死体は燃えていた。こちらは一般的な赤い炎だ。周りに魔物がいない。灰が残っているので一緒に燃えたのだろう。
「至近距離からの魔法で
恐怖に囚われた人間は普段は絶対やらない失敗を犯す事がある。
「……そのようですね」
残っていた認識票を拾う。それは熱で変形していた。
それを見たせいか炎に照らされたソニアの顔色は、もはや蒼白となっていた。
それはグランに決断を促した。
「あと一人。だがここまでだ。後はギルドに任せよう」
その言葉にソニアは激しく反応した。
「どうして! あと一人なんですよ!」
声を荒げた事にソニアは自分で驚いていた様子だった。
「疲れる前に帰ると決めたはずだ。ソニア、君が今怒ったことは認識できているか?」
「……はい。すみませんでした」
「いや、いい。その認識ができているなら君はあいつらとは違う。俺は魔法は使えないが、魔導師にとって重要なのは精神力なのだろう?」
「……そうですね。私は今、疲れてしまっているようです」
「では、街へ帰ろう。
グランはそう言って死体を指す。
こうした状況で自身の状態を冷静に判断できる人間は少ない。
しかし、それができるかできないかで生死を分かつのは長年の冒険者としての経験で分かっていた。
どうやら彼女はできる方らしい。
彼女は息を整えると、切り替えるようにして言った。
「グランさんって結構根に持つタイプですか?」
そう言って彼女は力なく笑った。前衛で一人残されたことを言っているのだろう。
だが、それは紛れもなく彼女なりの気遣いだった。
(やれやれ……怖がらせてしまったか……)
グランは少し反省しながら身振りで降参を示す。
「そうかもな」
グランは苦笑してそう答えるのだった……
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