後の祭り 中編

 祭りの当日。成たちは19時に会場で集合することにしていた。花火大会は20時から開催される。それまで屋台を巡って過ごす計画だった。

 成が予定より10分ほど早く集合場所に到着すると、既に柚葉と杏月が来ていた。

「あ……」

 思わず声が出た。柚葉と杏月は2人とも浴衣を身にまとっている。

 飼い主を見つけた子犬のように柚葉が駆け寄ってきた。

「やっと来た」

「集合時間よりは早く来ただろ」

 柚葉の後ろから杏月が歩いてくる。

「久しぶりだね、成」

「ああ、久しぶり」

 成は笑ったが、その表情には緊張が入り混じっている。

 柚葉が浴衣の袖をひらひらと振った。

「ところで成、私たちを見て何か言うことは無いの?」

「そうだな。似合ってると思うよ。その浴衣」

「成、なんで杏月の方だけ見て言うの?」

 杏月は2人を見て楽しそうに笑っている。柚葉が溜息をついた。

「せっかく人が可愛い浴衣を着てきたのに」

「冗談だって。2人とも似合ってるよ」

 柚葉の頬がかすかに紅潮した。

「成も似合ってるね。私服姿って新鮮」

「そうか? そりゃどうも……」

 杏月に褒められた成は照れた表情をしている。柚葉は不満そうに口を開いた。

「いつもはもっと適当なのに」

「ほっとけ」

 3人は他愛もない会話を続け、それが一段落すると柚葉が高らかに言った。

「屋台に行こう! 祭りといえば屋台だよ!」

 成は肩をすくめた。

「お前、昔から本当に屋台が好きだよな。もう高校生だろ」

「いくつになっても祭りの楽しみは屋台で美味しいものを食べることだよ。わかってないなあ」

「花より団子とはお前のことだな」

 柚葉は成の言葉を気にせず、何が悪いと言いたげに胸を張った。

 杏月がにこにこ笑いながら言う。

「まあ、柚が言うことも一理あるんじゃないかな。せっかくの祭りだし、いい記念だと思うよ」

「祭りの雰囲気で儲けようという大人の策略に乗せられてる気がするんだよな……まあいいか」

 成たちは屋台が並ぶ道を歩いた。わたあめ、チョコバナナ、かき氷、焼きそば、唐揚げ、ケバブ……食べ物の店を見つける度、柚葉は瞳を輝かせた。

「よくあんなに食欲が出てくるよな」

「柚、屋台のために晩ご飯を食べないで来たって言ってたもん」

「なるほどな。俺も食べないで来れば良かったのかね」

「私も食べてから来たし、大丈夫だと思うよ」

 柚葉は最初に食べるものを吟味した末、たこ焼きの屋台に並んでいた。

「満腹ってわけじゃないでしょ? 私たちも軽く何か食べようよ」

 杏月の提案を受けて成は周囲を見渡した。ふいにクレープ屋が目に留まる。

「あれが食べたいの?」

 成は少し恥ずかしそうに頷いた。

「前に晴が作ってくれたんだけど、それが美味しかったから」

「成のお姉さんは優しいね」

「そうでもない。今日も絡まれて酷い目に遭った」

 げんなりした成の顔を見て杏月が笑った。

「とりあえず、私もクレープにしようかな」

「じゃあどの味にする? 一緒に買ってくるから」

「私の分も?」

 杏月は少し驚いた表情をした。

「今日は財布に少し余裕がある」

 柚葉たちと祭りへ行くと知った成の母親は彼に臨時のお小遣いを渡していた。

「嬉しいけど……柚に買ってあげた方がいいんじゃない?」

「あいつは全く遠慮しないだろうし、俺が買う前に自分で買うからな」

「そっか。それなら私が柚におごっちゃおうかな」

「なんだそりゃ」

 それから成はクレープ屋へ向かい、2人分のクレープを買った。自分の分はイチゴのジャムが入ったもの、杏月にはマンゴーのジャムが入ったものである。

 買ってから柚葉を探すと、彼女はたこ焼きを片手に他の屋台の行列に並んでいた。そのバイタリティには素直に感心した。成は祭りだからといって行列待ちをしてまで屋台で何かを食べたいとは思わない。手に持っているクレープにも500円分の価値があるかどうか疑わしく感じてしまう。クレープの相場なんて知らないけど。

「なんか食べにくいし」

 クレープは大部分が厚めの紙に包まれていて、どうすれば綺麗に食べられるのかよくわからなかった。

「確かに意外と難しいよね」

 成は空いているベンチを見つけて腰掛け、隣に座る杏月に食べ方を教えてもらいつつクレープを口に運んでいた。

 その目の前を若い男性の集団が通り過ぎていった。彼らが話題にしているのは昼に中継されていた夏の甲子園だった。

 成はその集団の背中をしばらく見つめていた。それから杏月を見ると、彼女はクレープを黙々と口に運んでいるところだった。

「あっという間だったな」

 杏月はクレープを咀嚼していたのか、少し間を置いてから反応した。

「野球のこと?」

「ああ」

 成は空を見上げた。

「終わってみるとすごく早かった」

「必死に頑張ったからだよ」

 杏月はマネージャーをやっていた時と変わらず、透明で優しい表情をしていた。成は思わず苦笑いをしてしまう。

「杏月が目指していた甲子園には行けなかったけどな」

「仕方ないよ。どのチームも本気で勝とうとしていて、それでも最後まで勝って甲子園に行けるチームは1つだけなんだから。最後は運が悪かったと思うしかないこともあるよ」

 同調も否定も気が引け、成は杏月を直視できなかった。準決勝で炎上したのは本当に運だろうか。それを言うなら、白銀農業に勝てたことが運でしかなく大した意味も無いようにすら思えてくる。

 成は杏月自身ではなく、彼女が手に持っているクレープを見るような状態になっていた。自分もマンゴーにすれば良かったかもしれないと一瞬だけ思った。

「成は頑張ったよ。お疲れさま」

 無言のまま成は頷いた。

 祭りの喧騒の中で、2人の周囲にだけ沈黙が訪れる。成がそれを破れずにいると、杏月が立ち上がった。

「ねえ、あれやりたい!」

 杏月が指差す先には射的の屋台があった。それをしばし見つめてから成も立ち上がる。

「そうするか」

 成は射的の屋台へ向かいかけたが、すぐに足を止めた。

「先に柚葉に声をかけてくる。迷子にでもなられたら恥ずかしいからな」

「わかった。先に行って待ってるね」

 柚葉の元へ向かう成は、自分の胸中にどこか満たされない思いがあることに気づいていた。たぶん、杏月との会話を通して何かに落胆している。その理由はよくわからない。そんなに贅沢なことは望んでいないと、自分では思うのだけど。

 きっと、苦手な射的に気が乗らないだけだろう。成はそう思うことにした。




 成は焼きそばの屋台で順番待ちしている柚葉の元を訪れて声をかけた。

「食ってるか」

「おかげさまで」

 どのへんがおかげさまなのかわからず困惑する成の目の前に、たこ焼きが差し出された。

「1個食べる?」

「ああ。もらうよ」

 成はたこ焼きを頬張った。咀嚼する彼を見つめ、柚葉が尋ねた。

「なんか元気無くない?」

 たこ焼きを飲み込み、成は答えた。

「そうか?」

「久しぶりに杏月と話すから緊張してるでしょ」

 成は反論を試みたが、悔しいことに言葉が全く出てこなかった。

「そうかもな」

 柚葉が笑う。

「今日の杏月は綺麗だからね。浴衣だし」

「確かに」

 成の視線が周囲を歩く人々に向き、それから再び柚葉を見た。

「浴衣を着ればお前でも可愛いもんな」

「私でもって何」

 ほのかに紅潮した頬を膨らませる柚葉の視線を受け流し、成は要件を伝えた。

「俺と杏月は射的やってくるから。迷子になるなよ」

「ならないよ」

 からかうように笑って、成は射的の屋台へ向けて歩き出す。

「成」

 呼びかけに振り向いた成は首をひねり、柚葉の言葉を待った。

 柚葉は成をじっと見つめ、一瞬だけ目を伏せてから口を開いた。

「花火楽しみだね」

「だな」

 成は再び歩き出した。




 昔からそうだった。欲しいと思ったものは手に入らない。どんなに集中して狙っても、決して届くことは無い。かつての成はその現実に泣いて、それを見た人々は笑っていた。

「何と言うかその、成は下手だね。射的」

「ボールを投げて当てるなら自信あるんだけどな」

「それはダメだよ」

 杏月が笑った。

 昔から成は射的が大の苦手だった。杏月が欲しがっていた熊のぬいぐるみを射止めるべく挑戦したが、成のコルク銃は明後日の方向へ弾を吐き出すばかりだった。

「すまん……俺には無理だったらしい」

「難しいもんね。私もダメだったし、仕方ないよ」

 成はすっかり肩を落としていた。

 その背後から、ソースの香りが漂ってきた。

「成、杏月、調子はどう……って、訊くまでもなさそうだね」

 焼きそばのパックを片手に柚葉が立っていた。

「俺を笑いに来たのか」

「そこまで卑屈にならなくても……。成が笑ってほしいならそうするけど」

 柚葉は真面目な顔で言った。

「必死にやったけど運が悪かっただけじゃん」

「本当に運とかそういう問題か?」

「そういうもんだよ」

 柚葉の視線が屋台の奥に並べられた景品に向いた。

「私もやってみるよ。どれが欲しかったの?」

「あのぬいぐるみ」

 杏月が指差した熊を見て、柚葉は頷いた。

「わかった。成、これ持ってて」

 柚葉は成に焼きそばのパックを差し出した。

「食べないでよ」

「食べねえよ」

「ちょっとならいいけど」

「どっちだよ」

 店主の男性に参加費を渡し、柚葉は銃を構えた。成と杏月が驚くには最初の一発だけで十分だった。放たれたコルク弾は、綿の詰まった熊を簡単に仕留めてしまった。

 さらに柚葉はお菓子や小さな置物といった景品を次々に確保していった。途中からは店主もすっかり困惑した表情になっていた。

「柚! すごい!」

「祭りが大好きだからね」

 柚葉が得意げに胸を張った。

「本当にびっくりした。ね、成」

「え? あ、ああ」

 成は杏月の言葉に驚いた様子だった。

「どうしたの?」

「いや、ちょっと考え事をしてた」

「ねえ、私の活躍を見てなかったの?」

「見てたって」

「ほんとかなあ」

 柚葉が成へ訝しむような視線を向けた。

 成の考え事とは、幼い頃の思い出だった。彼は自身の家族と柚葉の家族で一緒に夏祭りに来ていた。今日と同じように成が取れなかった射的の景品を、柚葉が命中させてくれたのだった。

「このぬいぐるみ、すごく可愛い。本当に嬉しいよ」

「杏月に喜んでもらえて良かった」

「柚、大好き!」

 杏月が柚葉に抱き着いた。成はそれをどこか羨ましく思いながら見つめている。少し前に生まれた重く冷たい感情はまだ消えていない。




 3人で屋台を巡ったり、設置されたステージで行われている余興を眺めたりしているうちに、花火大会が始まった。

 小さな田舎町の花火大会だから打ち上げられる花火もそれほどのものではない。それでも杏月や柚葉と一緒に眺める花火は、成の目にとても美しく映った。

 夜空に咲く花火を見上げながら、柚葉は言った。

「マンガとか読んでると、こうやって花火が上がってる時に告白するシーンあるじゃん」

「花火の音と被って聞こえないやつだよね」

「そうそう。そんなに都合よく聞こえなくなるかなって思うんだよ」

 大きめの花火が弾けた。成はそれが消えていくのを見つめた。

「意外と大きい音だし、ありえるかもしれないな」

 それを聞いて杏月は柚葉を見つめた。柚葉も視線に気づいて見つめ返す。

「どうしたの?」

「柚」

「うん」

「好きだよ」

 沈黙が3人を覆った。成が居心地の悪い思いで視線を送ると、柚葉は口を開いた。

「本当だ。聞こえない」

「ねえ! 花火と全く被ってなかったよね!?」

 頬を膨らませた杏月に向けて、柚葉がいたずらっぽく笑った。

「うそうそ。ちゃんと聞こえたよ。私も好き」

 杏月が嬉しそうに頷いた。その表情からは本当に柚葉のことが好きだということが伝わってくる。

 自分はどうだろう。成は考えてみた。自分は杏月のことが好きなのだろうか?

 去年の秋から少し前まで、杏月のためにという一心で野球を続けてきた。彼女はずっと特別な存在だった。しかし、それが恋愛感情を抱いているということかどうかはよくわからない。

 3人で祭りに来て、成はとても楽しいと思っている。しかし、何となくがっかりして、満たされないという気持ちも存在している。心の中にある小さな空洞は、杏月との恋で埋まるのだろうか?

 花火が次々に打ち上げられていく。

 恋について考えていた成の脳内に、突如として目下の悩みだった進路の問題が思い浮かんだ。どちらもどう対処していいのか見当がつかない。

 成の頬を一筋の汗が流れていった。花火は上がる度に消えていく。その事実が惜しいものに感じられた。

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