誠報学院VS白銀農業 後編

 夏の高校野球県大会9日目。第1シードの白銀農業と第8シードの誠報学院による準々決勝は白銀農業が2-1で1点をリードして前半戦を終了した。

 グラウンド整備が終わって迎えた6回表。誠報学院はワンナウトから1番の類が四球を選んで出塁した。続く竹村は打席に入るなりバントの構えを見せている。

 吉岡は初球を投じる前に一塁への牽制球を投じた。その間にキャッチャーの笹原がマスク越しに竹村を観察する。

 初球はアウトコースに外れるストレートだった。竹村はバットを引いて見送った。

 そして誠報学院ベンチが動く。1ボールから吉岡が2球目を投げようと投球モーションに入ったのを確認し、ランナーの類がスタートを切った。打席の竹村はバントの構えを通常のバッティングに切り替えた。バスターエンドラン。

 シロ農バッテリーは誠報学院の奇襲を読めなかった。バントをさせるために投じられたボールを竹村のスイングが叩いた。打球が一二塁間を抜けていく。スタートしていた類は二塁を蹴り、余裕を持って三塁まで到達した。ワンナウト一塁三塁。三塁側が大きく盛り上がる。白銀農業はこの日初めてとなる守備のタイムを取った。

「竹村のやつ、名演技だったな」

「バントだと疑ってなかったもんね」

 いつもは味方打線の結果に殆ど無頓着な成が感心していた。堀田監督が頷く。

「あいつの小技の上手さは本物だよ。伊達に2番を任されてない」

「それ、オーダー組んだ監督の自慢ですよね」

 柚葉の視線を受け流し、堀田監督は成を見つめた。

「俺の采配が当たるのは不安か?」

 成は肩をすくめた。

「今日は冴えてるって、認めますよ」

 守備のタイムが終わり、プレーが再開された。吉岡は由に対してストレートを2球続けた。由はいずれも見逃し、1ボール1ストライクとなった。

 そして3球目。またも堀田監督が動く。2人のランナーが同時にスタートを切り、由はバットを持ち替えた。スクイズである。

 しかしこれは読まれていた。キャッチャーの笹原が立ち上がる。吉岡は投球を大きく外す。由はバットに当てるためボールへ飛びついていく。

 ボールはミットに収まる寸前、バットの先端に当たって軌道が変わった。勢い余った由は地面に倒れ込んだ。急いで顔を上げると、ボールはファールゾーンを弱々しく転がっていた。ファール、と審判が告げるのが聞こえた。

「よく当ててくれた」

 本塁まで走っていた類が由に手を差し伸べて助け起こした。もし由が当てられていなければ、類は今頃タッチされてアウトになっている。

 ランナーがそれぞれの塁に戻り、試合が再開された。打席の由のカウントは1ボール2ストライクになっている。

 吉岡の4球目はスライダーだった。スイングをした由のバットはあっさりと空を切る。歓声と溜息が交差した。空振り三振でツーアウト。

 次の回の投球へ向けた準備のためベンチを出ようとした成は、堀田監督が自分に視線を向けていることに気づいた。

「どうしました?」

「いや……」

 成はベンチに戻ってくる由の様子を眺めた。悔しそうに吉岡を見ている。別にスクイズ失敗で追い込まれていなければとは思っていないはずだ。

「今日の監督が冴えてるのは変わらないんじゃないですか。まあ、少し安心したとは言っておきますよ」

 成はベンチを出ていった。

 打席には4番の中嶋が入った。一塁ランナーの竹村がスタートを切ったのはその初球のタイミングである。

 中嶋は投球を見逃した。笹原は竹村の盗塁を阻止すべく二塁へ送球しようとする。それを見て三塁ランナーの類も本塁へ向かって駆けだした。

 そのことに笹原が気づいたのはボールが手を離れる直前だ。しまったと思いつつも、もうリリースを止められない。送球が中途半端になり、二塁ベース手前のショートバウンドになった。ショートの伊藤がベースカバーに入っていたが、地面に弾き返されたボールを捕球することができない。そのままボールは外野に転がっていく。竹村は一気に三塁まで走った。類は既にホームインしている。誠報学院が同点に追いついたのだ。

 仮に、という状況を考えてみる。仮にマウンド上の吉岡が送球をカットしていれば、類が本塁を踏むことはなかっただろう。笹原だっていつも通りの送球をすれば良かった。

 しかし、全国レベルのチームと言っても、高校生が完全に予想外の出来事を冷静に処理するのは難しい。堀田監督はそれを見抜いていたわけだった。




 リードを失った白銀農業はこのイニング2度目となる守備のタイムを取った。しかし、さすがの吉岡も動揺していた。中嶋に対してフルカウントから四球を与えてしまう。ツーアウト一塁三塁と誠報学院がさらにチャンスを広げた。

 5番の橋本が打席へ向かう。前の打席で二塁打を放っている。キャッチャーの笹原が1人でマウンドに向かった。

 三塁側のベンチに座る柚葉は、グラブで口元を隠しつつ会話するシロ農バッテリーをじっと見つめた。成と由もそうだが、バッテリーは他のどんな関係にも無い独特の繋がりを持てるような気がする。彼らはこういう場面で何を話すのだろう。

 笹原が守備位置へ戻っていく。吉岡は笑顔で見送った。

 吉岡はバッテリー間の会話で気持ちもギアも切り替えられていた。橋本から三振を奪い、誠報学院の勝ち越しを許さなかった。




 6回裏。成は先頭打者を打ち取り、バッター吉岡との3度目の対決を迎えた。

 外角のストレートを2球続け、1ボール1ストライク。そこからさらに外角を続けた。ストライクゾーンから外れそうな軌道のボールを吉岡が見逃すと、それはホームベース手前で曲がり、ストライクゾーンへ食い込んできた。ボールからストライクになるスライダー。バッテリーが吉岡の裏をかいて追い込んだ。

 そして、追い込んでからはまたも内角へ投じる。吉岡はその直球を見逃し、球審もストライクを取らなかった。

 カウントは2ボール2ストライクとなる。バッテリーにしてみれば、追い込んでからのボール球は計算通りだった。これまでの2打席、内角球で三振を奪った吉岡にさらなる意識付けをした。それで十分だ。

 吉岡は5球目に投じられた外角のチェンジアップを打ったが、十分に踏み込むことができず、身体が泳いでいた。ショート正面のゴロは類に難なく処理された。

 3打席続けて吉岡を打ち取った成は、前の打席で二塁打を放った4番の立川も抑えた。5回に続いて三者凡退に抑え、ベンチへ戻っていく。




 7回表。成はベンチで打席へ向かう準備を済ませ、6番の和田が打席に立つのを見守っている。次の近藤が打席に入れば、自分はネクストバッターズサークルに向かわなければならない。とはいえ自分が吉岡から打てるとは思っていないので、気は楽なものである。話しかけても問題なさそうな雰囲気を見て柚葉が声をかけてくる。

「あのさ」

「どうした?」

「ピンチでキャッチャーがマウンドに行くことあるじゃん。2人で何を話してるの?」

 気が楽と言ってもこのタイミングで訊いてくることかとは思ったが、成は答えてやることにした。

「そりゃ作戦とか……はあまり話さないか。試合に関係ないことを話して気分転換するんだよ。人によるだろうけど」

 柚葉は小首をかしげた。

「例えば?」

「相手のマネージャーが可愛いなとか、そんな感じ」

 柚葉が成を見つめた。

 打席に立つ和田は2ストライクに追い込まれている。たぶん、吉岡は遊ぶことなく、次のボールで奪三振を狙うだろう。

「サイテー」

 実際に吉岡はスライダーで和田から三振を奪った。

「それじゃ行ってくるから」

 成はベンチを出ていった。柚葉は相変わらず軽蔑するかのような視線を向けている。

「割と真面目に予想したんだけどな」

 ネクストバッターズサークルの中で吉岡の投球を見つめ、成はつぶやいた。




 7回表の誠報学院は3イニングぶりの無得点に終わった。その裏、成は3イニングぶりのランナーを背負った。セカンドの竹村が先頭打者の痛烈なゴロを弾く失策を喫し、一塁にランナーを置くことになったのだ。

 続くバッターにはきっちりとバントを決められた。勝ち越しのランナーが二塁に進む。

 誠報学院は2度目の守備のタイムを取った。

「監督は何か言ってたか?」

 伝令の花田は由の質問を受け、首を左右に振った。

「特に何も」

「そりゃそうか」

 由は特に感慨も無さげに言った。

 励ましの言葉を期待していた竹村が肩を落とす。

「監督、今日は冴えてるのになあ」

「じゃあ監督の代わりに言ってやろう。エラーは気にするな」

「き、気にしてねえし!」

 竹村が類の肩をはたいた。

「少しは気にしろ」

 成は呆れ顔だ。類が笑った。

「とりあえず、落ち着いていけば凌げるはずだ。締まっていこう!」

「おう!」

 選手たちはそれぞれの守備位置へ戻っていった。

 成は自分がリラックスして緊張が程良く緩むのを感じた。有効なアドバイスは無くとも、間を取るタイミングは抜群だ。今日の監督は本当に冴えている。

 そして何より、成はマウンドでチームメイトと会話することに心地良さを覚えるようになっていた。少し前まで成は守備のタイムがあまり好きではなかった。マウンドは自分だけの世界だからだ。今は1試合に3回くらいなら良いだろうと思っている。特にこの試合ではそれが顕著だ。結果にこだわらなかったこれまでと違い、是が非でも勝ちたいという気持ちを共有しているからかもしれない。

 試合が再開された。打席に入った7番打者の奈良は初球を打った。タイミングが完璧に合っている。弾丸ライナーが成にめがけて放たれた。

 危ない――見る者がそう思うより早く、成の身体が反応した。顔の前にグラブを差し出し、ピッチャー返しをその中に収めた。そしてすぐさま二塁へ振り向いた。考える必要も無く身体が動いてくれる。自分も冴えているらしい。

 打球を捕るべく二遊間へ走っていた類がベースカバーに入る。三塁側へ向かいかけていたランナーは戻れていない。成から類にボールが渡され、ダブルプレーが成立した。

 歓喜と安堵の表情で駆け寄ってくるチームメイトたちとタッチを交わしつつ、成はベンチへと駆けていった。

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