誠報学院VS白銀農業 中編
野球に流れというものがあるとするならば、誠報学院は3回裏のダブルプレーでそれに乗った。
4回表。先頭打者の類がライト前にチーム初となるヒットを放った。ノーアウト一塁となって2番の竹村が打席に入る。堀田監督は送りバントのサインを送った。
吉岡が投じた剛速球を、竹村はバットに当ててどうにか転がした。次の瞬間、吉岡は猛然とマウンドを駆け下り、ボールを拾うなりすぐ二塁へ投げた。類が二塁へ滑り込む。際どいタイミングだが塁審はアウトを宣告した。打者走者の竹村は一塁に残ったが、送りバントは失敗だった。
「フィールディングも上手いとか反則だろ」
三塁側のベンチに座る成は思わずそう口にした。柚葉もこのプレーを犠打ではなく単なるピッチャーゴロとして記録することに躊躇してしまう。
「そこまで悪いバントじゃなかったよね?」
「ああ。完璧ではないにしろ、普通なら決まってる。俺もアウトにできたかわからん」
柚葉は畏怖の目で吉岡を見た。ずるい、とでも言いたげだ。
成は肩をすくめた。
「改めて怪物だな。ま、どうにか野手の皆さんに得点していただくしかない」
グラウンドでは由が打席に入って吉岡に挑んでいた。しかしストライク先行であっさり追い込まれてしまっている。
「勝てるよね?」
成は柚葉の顔を見返した。
「そのために来たからな」
結局、誠報学院は4回表も得点を挙げられなかった。野球に流れというものがあるとするならば、吉岡は自らのフィールディングでそれを引き戻したと言える。
4回裏。白銀農業の先頭打者は吉岡である。誠報学院のバッテリーは初球から3球続けてカーブを選択した。
吉岡は初球と2球目を見逃した。この時点でカウントは1ボール1ストライク。3球目はスイングしたが、3球続けてくるとは予想できておらず、捉えることができない。バットが空を切って1ボール2ストライク。
ウイニングショットに選択したのはやはりクロスファイアである。練習してきた通り、抉るようなストレートが吉岡に迫っていく。
しかし、吉岡は2度目のクロスファイアに対応した。バットの芯がボールを捉え、打球が高々と舞い上がる。大歓声に押されて見る見るうちに遠ざかっていく。
当たりとしては完璧だった。完璧だったが、わずかにタイミングが早かった。紙一重の違いが歓声を溜息に変える。あわやホームランという打球は、左翼ポールの左側を通過する大ファールとなった。
それを見送った成は息を吐き、肩の力を抜く。どんなに惜しい当たりでもファールはファールだ。失点はおろか出塁も許していない。
由からのサインを確認して頷いた。キャッチャーミットは再び内角に構えられた。
成はその通りのコースに投げ込んだ。今度こそと言わんばかりに吉岡のスイングが襲いかかる。
だがバットが届かない。ボールが止まっている。吉岡はそう思った。体勢を崩されながら必死で腕を伸ばすが、ボールは吉岡を嘲笑うかのようにバットが通過した後の虚空を進んでいった。
ボールは由のミットへ静かに収まった。球審がスイングアウトを告げた。落ちないチェンジアップによるクロスファイアを決め、吉岡を2打席連続の三振に打ち取った。成は無意識のうちに拳を小さく握っていた。
シロ農の勢いに押されていた誠報学院のベンチと応援席が活気を取り戻した。しかしそれもつかの間のことである。2年連続の甲子園を狙う白銀農業は吉岡だけのチームではない。わずかに安心した成の心に付け入るように、4番立川の二塁打をきっかけに二死三塁のチャンスを作り、6番阿部のタイムリーで1点を追加した。
4回まで終了し、誠報学院が好投を続ける吉岡相手に2点を追う展開である。
5回表。さらなる援護を受けた吉岡がマウンドに立つ。4回までは誠報学院打線をねじ伏せ、わずか1安打に封じている。観客の殆どはやはりシロ農だと感じているし、吉岡本人にも手応えはあった。しかし、彼はそれと同時にどこか釈然としない気持ちも抱えている。
昨年はホームランを打ったはずの相手から2打席連続で三振を奪われている。それだけならともかく、誠報学院のバッテリーは長打のリスクを恐れず、果敢に内角を攻めてきた。それに対して狙い通りに三振を喫している自分に腹が立った。
先頭打者の橋本に対して2球連続でストレートを投じたが、どちらも明らかなボール球となった。一旦ストライクを取って落ち着こう。キャッチャーの笹原はカーブのサインを送った。吉岡が頷く。
しかしそのカーブは橋本のバットに捉えられた。ストレートを待っていても打てないだろうと考えた橋本は、投球の殆どをストレートが占める吉岡相手に変化球だけを狙っていた。
打球が右中間を切り裂いた。橋本は悠々と二塁まで到達する。ノーアウトランナー二塁。誠報学院がこの試合で初めてのチャンスを迎えた。
続く和田は148キロのストレートにどうにか食らいついた。ボテボテのセカンドゴロだが、その間に橋本は進塁する。ワンナウトでランナーは三塁。
「7番、ライト、近藤くん」
近藤がネクストバッターズサークルから打席へ向かう。近藤の次打者として成がベンチから出た。
「俺は打てないからな! 近ちゃんがランナー返せよ!」
最初から諦めるなよと言いたげに、近藤は苦笑いで成を見た。
緊張した面持ちの近藤に対し、吉岡はストレートから入った。やや甘いコースだが、近藤は手を出せなかった。球速は154キロ。橋本や和田を相手にした時より、ギアを上げている。
2球目も154キロのストレートが来た。見逃せば確実にボールという高めの球だったが、近藤はボールの勢いによってスイングを誘われてしまう。実際の球の軌道よりずっと低いところを空振りしてあっさり追い込まれた。
やはり吉岡を打ち崩すことはできない。そんな空気が球場を満たす中、誠報学院は攻撃のタイムを取った。キャプテンの類が近藤の元へ向かう。
「攻撃のタイムは珍しいな。あの監督が」
成がつぶやいた。打席の方を見ながら、類と近藤が何を話しているのかと考える。
実際の会話はこうだった。
「合宿を思い出せ」
近藤が頷くのを確認した類が穏やかな笑みを見せた。
「ここで打てなかったらゲロの吐き損だろう」
「嫌なこと思い出させるなよ……」
近藤はげんなりした顔になったが、肩の力がいくらか抜けていた。類が満足そうに頷いた。
「おそらく次もストレートだ。リリースする前から振るくらいでちょうどいい」
「そうする」
類は近藤の肩を軽く叩いてベンチへ戻っていった。
プレーが再開された。近藤はバットを短く持って投球を待ち構える。
3球目もやはりストレートだった。球速はこの日最速の157キロを計測している。
一か八かというつもりで近藤はバットを振った。鈍い金属音と鉛を打ったかのような衝撃が、近藤にどうにかバットに当たったことを伝えてきた。
「ゴー!」
三塁コーチが叫ぶより早く、橋本は本塁へ突っ込んでいった。どん詰まりのゴロを白銀農業のショートを守る伊藤がすくい上げた。2点リードのシロ農内野陣は前進守備を敷いていない。伊藤はバックホームを諦め、一塁へボールを送った。
橋本がホームベースを踏んだ。誠報学院が2年越しで掴んだ吉岡からの初得点だった。
8番の成は2打席連続の三振に倒れて5回表が終了した。ベンチに戻ってきた成は真っ先に柚葉へ声をかけた。
「近ちゃんの時のタイムって、監督は何を言ったんだ?」
「監督じゃなくて類がタイムを取りたいって言ったんだよ」
成は何度か小さく頷いた。
「そうだよな。タイムの後で点が入るくらい上手いこと言ったわけだからな。安心した」
「ピッチングの前に疑問が解決して良かったじゃん」
「ああ」
2人のすぐ近くで堀田監督が何か言いたげに視線を送っていたが、成は気にせず準備を済ませマウンドへ向かっていった。
5回裏。白銀農業打線は初回以来となる三者凡退に倒れた。
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