直球勝負 後編

 夏の県大会7日目。小野球場の第1試合は誠報学院高校と桂陽高校による3回戦である。

 誠報学院は3回表、ピッチャーの成にソロ本塁打が飛び出して先制した。

 さらにその後、1番を打つ類のヒットと盗塁などで二死三塁のチャンスを作り、3番の由がタイムリーを放ってさらに1点を追加した。

 ヒットを記録した由は一塁を回り、ベンチへ向かってガッツポーズを見せた。

「初穂ちゃんも一安心だな」

 成がつぶやいた。

 3回裏。2点のリードを得た成はこの回も無失点で抑えた。続く4回表。誠報学院の打線は小木に4安打を浴びせ、さらに3点を追加した。そして成は4回裏も無失点。4回を終えて5-0というスコアで誠報学院がリードしている。

「よっしゃ! 成、今日はコールド勝ちで楽にしてやるから安心しろよ」

「お前はここまでノーヒットじゃねえか」

 セカンドの竹村が高らかに宣言すると、センターの橋本が冷静に指摘した。

「勝てば明後日にシロ農戦だし、コールドならありがたいが……」

 白銀農業は前日の試合で既に準々決勝進出を決めていた。

「ピッチャーが代わったようだ」

 グラウンドを見つめていた類が言った。

 5回表。桂陽高校のマウンドは先発の小木が降板し、背番号10の3年生・松本が上がっていた。

「大丈夫だって。エースをノックアウトしたんだから」

 竹村は相変わらず楽観的だった。

「だといいけどな」

 成がつぶやいた。




 松本は4番の中嶋から始まった攻撃を3人で片付けた。ストレートの球速は殆どが120キロ台後半だったが、それを果敢に投げ込んできた。

 5点ビハインドを背負っていると思えないほど明るい表情で、野手たちとハイタッチを交わしながら松本はベンチに引き揚げていく。ベンチではすぐに小木の元へ行って、その肩を抱きながら何事かを楽しげに話している。

 成はマウンドへ向かう途中でその様子を目にした。松本と小木は普段から仲が良いのだろうと思った。

 ふと、昨年のことを思い出す。「落ちないチェンジアップ」を習得し、練習試合でも結果を残した成は夏の大会で初めて背番号1を与えられた。背番号が発表されたその日から、それまで1番を背負っていた3年生は、成に対する態度を露骨に変化させた。

 夏の大会で結果を出せたから良かったものの、そうでなかったら3年生たちから何を言われたかわからない。

 しかし、そういうリスクを背負うことが自然とも思っていた。3年生に次は無い。それまでのすべてを懸けるつもりだった最後の夏に、来年もチャンスがある2年生に出番を奪われ、不満を感じるなという方が無理な話だ。成自身、もしもこの夏に川崎や伊沢へエースの座を明け渡すようなことがあれば、あの先輩みたくならなかったとは言い切れない。

 それなのに桂陽で小木の控え投手を務める松本の姿からは、不満や嫉妬といった感情が見えない。そういったものは必ず存在したはずだ。けれども彼はそれを受け入れ、自分の登板機会以上にチームの勝利を願っている。そして出番が巡ってくれば投げる喜びを、これまで積み上げてきたものを、彼のすべてを惜しみなくぶつけてくる。

 強いピッチャーだと思った。成も松本も、圧倒的な才能を持った投手ではない。逆立ちしてもシロ農の吉岡にはなれない。それでも松本は自分を受け入れ、理想と比べたら動いてないのと同義なほど小さな一歩を積み重ねてきたのだろう。あの表情を見ればわかる。そうやって投げる幸せを噛みしめているのだ。

 杏月がマネージャーをやっていた頃、成が自分を卑下すると、彼女は必ずそれを悪い癖だと言ってたしなめた。成が松本のような気持ちで野球に臨むことこそ、杏月の願いだったのかもしれない。

 やっぱり今の自分を好きになりきれない部分はある。いつまで経っても理想へ届きそうにない歩幅の自分を。でも杏月のために投げるなら、そんな自分の最善で桂陽に、そしてシロ農に挑まなければならない。自分にはそれしかないのだと言い聞かせ、成は投球を続けていく。

 5回裏。この回も誠報学院の守りは無失点だった。




 グラウンド整備の時間を挟んで6回の攻防が始まった。松本と成が共に相手打線を無得点に封じる。

 7回表。先頭の類がセンターフライに倒れた。続く竹村も三振に倒れツーアウト。成が投球の準備をするためにベンチを出た。竹村がベンチへ駆け戻ってきていた。

「もう7回だが、コールド勝ちしてくれるんじゃなかったのか?」

「思ったよりあっちの2番手がいいんだよ!」

 竹村は悲鳴じみた声で言った。

 結局7回と8回も両チーム無得点で進んだ。スコアは5-0のまま変わらない。コールドゲームになることなく、9回の攻防に入った。

 9回表。5イニング目となった松本は9番の古川、1番の類と立て続けに打ち取った。打席にはここまで4打席でヒットの無い竹村が入る。

「あいつは予想していないタイミングで打つんだよな」

 ベンチでヘルメットを脱いだ類がぽつりと言った。その刹那、甲高い金属音が響く。

 甘めに浮いたストレートを捉えた竹村の打球は、右中間を破っていった。竹村は一塁を蹴り、二塁も蹴った。

 打球に追いついた外野手から内野に返球される。すぐさま三塁に転送され、竹村は頭から三塁に滑り込む。

「セーフ!」

 三塁の塁審が叫んだ。それを遙かに上回る勢いで、竹村が雄叫びを上げた。

「コールドが無くなってから打つのかよ」

 成がブルペンの上で呆れ顔をして言った。

「3番、キャッチャー、水守くん」

 二死三塁と追加点のチャンスで、ここまで2安打を放っている由が打席に向かった。桂陽高校が守備のタイムを取る。

「敬遠かな」

「そうかもしれないですね」

 堀田監督の言葉に柚葉も頷いた。由の次の打者である中嶋はここまで4打席でまだノーヒットだ。

 最終回へ向け投球の準備をしている成も同じことを考えていた。この場面でマウンドに上がっているのが自分だったら、たぶん敬遠をしている。それが失点をしないための最善策だからだ。

 守備のタイムが終わり、マウンド上にできていた内野手の輪が解かれた。成は、ひとりマウンドに残って仲間たちに声をかける松本の表情を窺った。敬遠をしようとするピッチャーの顔には見えなかった。成自身も含め、どんな場面でも、敬遠することへの後ろめたさを全く感じない投手は存在しないだろう。

 松本の選択はやはり勝負だった。初球から速球をストライクゾーンに投じてきた。由は思わずそれを見逃した。

 2球目もストライクゾーンへの速球が投じられた。今度は由も打ちにいく。スイングが投球を捉え、球足の速いゴロが三遊間に転がっていった。遊撃手が飛び込んだ。

 打球は、差し出されたグラブの先を抜けていった。

 三塁ランナーの竹村がホームベースを踏んだ。誠報学院の勝利を決定づける6点目がスコアボードに刻まれる。

 松本は送球のカバーに入るためキャッチャー後方のファールゾーンへ駆けていたが、失点を確認し悔しそうにマウンドへ戻っていった。彼に向けて、桂陽高校ナインが励ましの声を飛ばしている。由との勝負は明らかに分が悪かった。松本はそれに挑んで打たれてしまったが、それを責めようという者はいなかった。

 チームの全員が松本の積み上げてきた努力を知っている。松本はそれを最後の最後でぶつけたいと言い、仲間たちも賛同したのだろう。劣勢でも大きな声を絶やさないナインの姿が、そのことを雄弁に物語っている。

 エースナンバーこそ後輩に譲り、10番を背負っている。それでも、松本のような投手がエースなのだろうと成は思った。自分のために戦いたいと強く思い、仲間もそれを応援したいと思うことができる。松本のことが少し羨ましかった。




 9回裏。成は6点リードに守られてマウンドに向かう。投球練習を始める前に一瞬だけ振り返って誠報学院の応援席を見た。おそらく来ているはずの杏月がどこにいるかはわからなかった。

 イニング前の投球練習を終え、内野手がボール回しをする間に、成は帽子を持ち上げて柚葉が書いた文字を見上げた。初回に続いてこの日2度目の成の儀式。

 ファーストの中嶋からボールを受け取った。普通に投げれば、6点も取られることなく逃げ切れるだろう。しかし、決して油断はできない。桂陽の選手たちは目が死んでいない。

「9回裏、桂陽高校の攻撃は、9番、ピッチャー、松本くん」

 よりによって打ったらドラマが起こりそうな打者からだ。ギアチェンジとまではいかずとも、確実に抑えなければならない。

 成はサイン通りにストレートだけを投げ込み、松本を三球三振に仕留めた。3球とも空振りした松本は、悔しそうに、それでも爽やかに笑ってベンチへ駆けていく。成は拳でグラブを叩いた。誠報学院の応援席が沸いている。桂陽高校の応援席も、奇跡を信じて大応援が響く。

 続く2人のバッターも鬼気迫る表情で成に挑んできた。成はそれをかわし、冷静にアウトを重ねた。完封勝利。95球を投げ、被安打はわずか2本という内容だった。

 キャッチャーとしてその好投を引き出し、打撃でも3安打2打点と活躍した由が成の元に駆け寄っていく。2人はハイタッチを交わした。

「リベンジ成功、だな」

「ああ」

 かつて互いに自分を信じきれずに敗れたバッテリーが同じ相手に勝利した。桂陽高校に、そして過去の自分に勝ったのだ。

 成は小さく笑っていたが、すぐにその表情を霧散させた。

「まだリベンジしなきゃいけない相手がいる」

 視線は既に準々決勝へと向いていた。

 誠報学院と桂陽高校のそれぞれ選手たちが、ホームベースを挟んで整列した。桂陽高校側には涙を抑えられない選手もいた。先発した小木もその1人だった。

 互いに挨拶を交わして健闘を称え合う。涙ではなく晴れやかな笑顔を携えた松本が成の元に歩み寄った。

「吉岡に勝ってくれ」

「最初からそのつもりだ」

 成は力強く言い切った。

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