直球勝負 前編
7月18日の小野球場の第1試合は、第8シードの誠報学院が浅利工業相手にサヨナラ勝ちを収めた。誠報学院はこの日の第2試合の勝者と2日後の3回戦で対戦することになる。
第2試合は久保田工業高校と桂陽高校の対戦だった。誠報学院にとって因縁のある桂陽高校の先発は、背番号1を背負った2年生のスローカーブ使い・小木である。
試合が始まり、マウンド上の小木が山なりの軌道を描く得意球を投じていく。球場はその度にどよめいた。
次戦に向け、誠報学院の面々もこの試合を観戦している。新人マネージャーの初穂は遅球で打者をかわす小木を興味深そうに眺めていた。
「ウチは去年の秋の大会であのピッチャーに抑えられて負けたんですよね。やっぱりあのカーブが打ちにくいんですか?」
2番打者の竹村が頷いた。
「そうそう。残像が消えないんだよなあ。あのカーブの後だとストレートがめちゃくちゃ速く見える。こうやって球速を見ると120キロとかなんだけどな」
ライトを守る近藤も苦々しい表情で言う。
「あれだけ山なりだと狙ってもなかなか打てないよ。普通のストレートは線で捉えるイメージだけど、あれは点で捉えなきゃいけない感じ」
試合は桂陽高校のリードで進んでいた。
初穂が隣に座る柚葉に声をかけた。
「水守先輩、すごく真剣に見てますね」
「キャッチャーだから研究したいのもあるだろうし、去年の試合は成と由のバッテリーにとって悔しい試合だったから」
柚葉は応援席から見ていたあの試合を思い出していた。実際に見ていない初穂はスコアブックを見た時の記憶を辿る。
「9回に押し出しで決勝点ですよね」
そして初穂は首を捻った。
「でも9回2失点なら打線がもっと得点すれば良かっただけで、バッテリーは悪くないんじゃないですか?」
「まあね……」
野手陣は肩を落として苦笑した。
「次の試合は打ってくださいよ。それから柚葉さん、私の代わりにベンチ入りさせてもらってるんだから、ちゃんと勝ちに貢献してくださいね」
「善処します……」
柚葉は身を縮めた。本当に初穂の代わりとして柚葉が記録員をやっているわけではないのだけど、それを押し通してしまう迫力があった。
グラウンドで行われている試合は、桂陽高校の勝利で幕を閉じた。6-4というスコアである。小木が6回3失点と試合を作り、7回以降は3年生の松本がリリーフして3回1失点に抑え逃げ切った。
7月20日。小野球場の第1試合は誠報学院と桂陽高校の対戦である。先攻の誠報学院が成、後攻の桂陽高校が小木と、両チーム共にエースが先発することになった。
1回表。小木がマウンドに上がる。打席には誠報学院のトップバッターを務める類。
サイレンが響く中で投じられた初球はスローカーブだった。ゆらゆらと曲がり落ちるそのボールは、低めのコースに外れた。
2球目もスローカーブだった。これは少し浮いた。類がスイングを仕掛け、強い当たりが飛ぶ。しかし、飛んだ先がショートの正面だった。遊撃手がすくい上げて一塁に送球する。ワンナウト。
無事に先頭を抑えた小木は、続く竹村と由も打ち取って初回を3人で片付けた。投じた11球のうち、スローカーブを6球も投げている。
1回裏。成も桂陽の攻撃を3人で抑えた。自分の投球の手応えとして、かなり調子が良いように感じた。
初回に続き、2回も両チーム無得点で進行した。3回表の誠報学院の攻撃は、8番に座る成からである。左打席に入ってマウンド上の小木を見据える。
初球はスローカーブだった。成はこれを見送ったが、内角低めに決まってストライクになった。小木が小さく笑っている。
楽しいだろうな、と成は思った。小木はピッチングが、特にスローカーブを投げることが楽しいに違いない。かつての小木はストレートも速くなく自信を持てない投手だったはずだ。しかしスローカーブを手に入れ、公式戦でも結果を残した。力勝負をすることはできなくとも、自分なりに打者と戦うための武器。成にとっての「落ちないチェンジアップ」と同じだ。
2球目もスローカーブが投じられたが、これは低く外れた。カウントは1ボール1ストライク。
でも、と思う。「落ちないチェンジアップ」は、ストレートと同じ腕の振りで、ストレートよりずっと遅いボールが投じられることに真価がある。チェンジアップ自体が主役なのではない。単体では力に欠けるストレートを主役にするのがその役目なのだ。
小木のスローカーブも、ストレートにタイミングを合わせているところに投げられるからこそ手を焼かされる。秋の大会で対戦した時、初回の小木はいきなり真ん中めがけてストレートを投じていった。決して剛速球と言えないストレートでも、不敵に投げ込むことで自分のペースを作る。さらにスローカーブで幻惑する。それが小木のスタイルのはずだ。
しかし、今日は試合開始直後の第1球にスローカーブを投じ、その後もそれを多投している。成の目には小木が自分のカーブに溺れてしまったように映った。今日の彼はスローカーブが投球の主役になっている。
成も小木も直球勝負のピッチャーだ。自分を見失ってしまった投手にはこれっぽっちも怖さが無い。
3球目にストレートが来た。キャッチャーのミットが動く。ボールは真ん中高めの甘いコースに吸い込まれていた。
考えるよりも先に、成はバットを振っていた。小木が投じたストレートは勝負にきたストレートではなかった。秋の大会で類への初球に投じたボールや、最後に竹村から見逃し三振を奪ったボールとは違う。逃げのストレートが甘くなっただけだ。
金属バットが白球を捉えた。快音が球場に響き渡る。打球が舞い上がり、ライトの後方へぐんぐん伸びていく。
長打になると考えた成は、一塁ベースを勢いよく蹴った。走りながら今日は観客が多いのかと思った。歓声が大きすぎる。
その理由が、打球がライト後方に設置されたフェンスの向こう側に落ちたからだと気づいたのは、二塁ベース手前に到達した時だった。ホームラン。成にとって野球を始めてから経験したことの無い出来事だった。
ダイヤモンドを一周してベンチに戻った成は狂喜乱舞で迎え入れられた。誰もが成の一発に驚いている。成自身が最も驚いている。
「すごいじゃん! ホームランだよ、成!」
「ああ……」
興奮した表情の柚葉に話しかけられても、曖昧に笑うことしかできない。
由がにやけながら成の脇腹を小突いた。
「バッティングは相手に合わせなきゃいけないから嫌いとか言ってた奴が打つとはなあ」
成は肩をすくめた。
「まあ、あいつが相手だったからかな」
「どういうこと?」
柚葉が問い返した。
「あいつと投げ合って、一度負けてるから」
負けた、というのは単純な試合の結果以上の意味を持っている。柚葉はそれを瞬時に理解した。あの日、勝負できた小木と反対に成は逃げた。柚葉の前任の記録員だった杏月がベンチ入りしたのは、あの試合が最後だった。
杏月のためにという思いで駆け抜けてきた日々は、ある意味で小木との投げ合いから始まっている。意識の底に、ずっとあの1年生ピッチャーがいた。だからストレートに反応できた。
「今日は勝つぞ」
由が言った。
「そのためには俺以外も打ってくれよな。初穂ちゃんも言ってただろ」
成が笑った。柚葉もその時の初穂を思い出して苦笑した。
「とりあえず1点入って、初穂ちゃんは喜んでると思うよ。それに杏月も」
「だといいな」
今日は誠報学院の3年生全員が応援に来ている。杏月も確実にいるということになる。ベースランニングをしながら聞いた大歓声の中に杏月の声は含まれていただろうか。
とにかく今日も抑える。成は思考を次の回の投球へ切り替えた。
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