後輩と春季大会 後編
全県大会は19校が参加するトーナメントで行われる。県北よりも学校数の多い中央地区と県南地区からはそれぞれ7校が出場していた。
6校は1回戦からの登場となるが、残りの13校は2回戦のベスト16の位置から始まる。誠報学院も2回戦からの戦いである。つまり、初戦に勝てば目標としていた夏のシード権は手に入る。
その初戦は県南地区から勝ち上がってきた
「なんか腹痛くなってきた……」
由がつぶやいた。
「それ、さっきから何回言うつもりだよ」
呆れ顔の成が溜息をつく。
「成は緊張しないタイプだよな……」
「緊張はするけど、気にしても仕方ないからな。なるようにしかならない」
成は試合前に音楽を聴くとか、投球の時に両手を叩き合わせるとか、ルーティンに拘るところがある。それはたぶん、そうしないと落ち着かない、つまり緊張しているからなのだと成自身も思っている。
けれど、そのルーティンをやってさえいれば、後の結果は運だと割り切ることができる。これは彼の1つの強みでもあった。彼は何事も自分ができる範囲で最善を尽くせばいいと考えている。
「俺もそう考えられたらもっと楽なんだろうけど。なんか考え方のコツとかあるのか?」
「俺の場合、姉がこういう考え方の人間だったからなあ」
「そうか。成の姉さんいいよな。スピードガンもくれたし」
「いや、いい姉ではないぞ」
成はげんなりした顔で否定した。しかし、今のメンタリティを与えてくれたことに関しては感謝してもいいかもしれない。
姉の晴との間にはこんな出来事があった。そのことだけが成の考え方を作り上げたというわけではないが、象徴的な事例ではある。
成が小学生だった時のことである。野球部の試合に投手として登板した彼は、好投を見せながらも味方のエラーで決勝点を与えて敗れてしまった。
試合後も成は怒りが収まらず、帰宅した後も不満を口にしていた。
「なんであんな簡単なゴロも処理できないんだよあいつは!」
それを聞いた晴が彼の元に近づいてきた。そしてプロレス技をかけた。
「痛い痛い痛い!」
「自分でどうにもできないことをいつまでもグチグチ言うな!」
「じゃああんな下手くそを笑って許さなきゃいけないのか! ……痛い!」
成はたまらずギブアップした。呼吸を整えようとする彼を晴が見下ろした。
「成、あなたが怒ってるのは自分の責任も全て他人に押し付けたいからじゃないの?」
「ああ?」
「エラーで返ってきたランナーはどうやって出塁したのよ」
成は押し黙ってしまったが、晴が睨みつけると渋々口を開いた。
「……フォアボール」
「やっぱり原因を作ったのは成じゃない」
「そりゃたまにはフォアボールくらい出すだろ!」
「じゃあ他の野手だってたまにはエラーくらいするでしょ」
なおも反論を試みた成だったが、言葉が出てこなかった。自分のことばかりで野手の立場で考えていないのは確かだという反省もあった。
「人はね、ひとりで何でもできるほど強くないの。自分ができること、できないことは自覚できなきゃいけない。その上で、自分ができることで最善を貫き通すタフさを持つのが大事なの。そうすれば、人に優しくなれるから。きっと、人が生きていく中で最も価値があるものは優しさだから」
そう言った晴の顔を成はよく覚えている。そして言っていることは事実のように思えた。
プロレス技で締め落とそうとしてくる姉よりは優しい姉の方が良いと思っただけのことかもしれないが。
曲館高校との試合に先発した成は、2回のツーアウトランナーなしという状況で曲館高校の7番打者を打席に迎えた。右打席に立つその選手の苗字は「吉岡」だった。
そこまで珍しい苗字でもないのだからシロ農のエース以外にも同じ苗字の人はたくさんいるとは思うが、マウンドの上に立っていると違った感情も沸いてくる。
どうしてシロ農に負けた後、吉岡とは才能が違うから仕方ないと割り切れなかったのだろう。
自分のスタンスから言えば、そうするのが自然なはずだ。誠報学院に入学した後は、自分なりにできる範囲で最善を尽くして野球に取り組んでいたと思う。それで吉岡に勝てなかったとして、生まれ持った才能にまで責任を負う必要は無いのだから、それまで通りに最善を尽くそうとすれば良かったのだ。
しかし、成は吉岡のようになれない自分に失望した。いつの間にかプロ野球選手という夢も無くなり、野球強豪校から見向きもされなかった身だ。吉岡関係なく自分への期待は殆ど無かったし、あんなすごい投手になれるともなりたいとも思っていなかったはずなのに。
高めの速球で曲館高校の吉岡から三振を奪った。成はマウンドを駆け下りていく。
詳しい理由は自分でも思い当たらないが、あの時の自分は吉岡みたくなる必要があったのだろう。本当はそんな必要は無かったのだが、そう思い込んでいたのだ。その理由は、いつかわかってやれればいいと思う。
今は杏月のために頑張るだけだ。まずは夏のシード権を手に入れる。そのために目の前の試合に勝つ。ひたすら最善の投球をする。
成はこの試合でも完投勝利を収めた。スコアは4-1である。目標である県ベスト8には入ることができた。
先発を任されたのは川崎である。県北大会の鷹代工業戦に続く2度目の先発だったが、前回同様に立ち上がりで苦しんだ。
1回表、先頭から2者連続で四球を与えた。3番打者がセカンドゴロに倒れる間に2人のランナーが進塁し、4番打者が放ったライトへのタイムリーで2点を先制された。
さらに5番打者の打席でボークを犯してランナーの進塁を許すと、センター前に抜けるヒットを打たれてランナー一三塁とピンチが広がった。
6番打者への初球は由が捕れない暴投になり、ランナーがそれぞれ進塁した。そして打者には四球を与えた。独り相撲である。
7番打者の三遊間への打球をショートの類が上手く捌いて併殺としたことで初回の守りは終わったが、川崎は3点を失ってしまった。
「やっぱり緊張してるよね……」
1回表が終わる少し前、川崎が3つ目の四球を与えた時に、記録員としてベンチ入りしている柚葉が心配そうにつぶやいた。
「まあ緊張はしてるだろうけど……」
ベンチから試合を見つめる成は、川崎の乱調は技術的な問題の方が大きいと感じていた。
初回の守りを終えてベンチへ戻ってきた川崎にそのことを伝えた。
「いつもより左足の踏み込みが短いんだよ。次の回、投げる前にどこで着地するか確かめた方がいい」
「はい」
川崎の返事はどこか悲壮感を帯びていた。
そして2回表の守り。川崎は成に言われたことを意識し、投球時の踏み込みを初回より前にした。するとコントロールが定まるようになってきた。先頭の8番打者と続く9番打者から連続して三振を奪った。
「川崎くん、立ち直ったね」
柚葉が成を見て言ったが、その成は険しい表情で試合を見つめている。
「確かに初回よりは良くなったけどな」
「けど?」
成は首を横に振った。
「飛ばし過ぎ。全部の球をあんなに力いっぱい投げる必要はない。下位打線なんだから。あれじゃすぐスタミナが切れる」
すべての投球でベストを尽くすのと全力投球をするのでは全く意味が違った。1試合で120球を投げるとして、どんなに一流の投手でも120球とも全力投球するのは不可能なのだ。その試合でベストの投球をするには、メリハリだとかペース配分といったものが必要になる。
川崎は1番打者をセンターフライに打ち取り、2回の守りを3人で終わらせた。彼がベンチに戻ると、成から投球のペースや他の技術的なことに関していくつかのアドバイスを受けた。
3回表。マウンドに上がった川崎は、2回に見せた投球の勢いを失っていた。初回から緊張して無駄な力が入り、2回は無理に飛ばし過ぎた。その負担が一気に来てしまったのだ。
厳しいコースを狙った球が次々と甘く入り、簡単に打たれた。4回表が終わった時、この日の川崎の失点は7まで膨らんでいた。
成はイニングが終わる度に川崎へのアドバイスを続けていた。それで川崎の不満が爆発したのは4回表が終わった後のことである。
「そんなに言うなら先輩が投げてくださいよ! 見てればわかるでしょう! これが僕の限界なんです!」
ベンチ内の視線が一斉に川崎へ向かう。
成は仮面でも被っているかのように表情を変えず言った。
「俺が投げるのは最後の3イニングだ」
「でも」
成は川崎の言葉を気にすることなく、柚葉に顔を向けた。
「川崎の球数は?」
「えっと……76球だね」
柚葉の返答に成は頷き、再び川崎を見た。
「3回からのお前は甘い球を早打ちされた。おかげで失点の割にかなり球数が少ないんだよ。ここから順調にいけば100球ちょっとで6回まで投げられるだろ。せめて5回は投げろ」
「無理ですよ」
川崎が怒りと悔しさをごちゃ混ぜにした表情で苦々しく言った。
「先輩たちの目標はシロ農に勝つことですよね。この大会だって勝ち進めばシロ農と戦うチャンスじゃないですか。でも、僕がこれ以上投げたらここで負けてしまうんです。僕は先輩たちの邪魔をしたくない!」
成が舌打ちした。
「うるせえな」
「ちょっと成……」
柚葉が止めようとしたが、成は構わずに言った。
「何が先輩たちだ。俺らはお前に心配されるほど落ちぶれちゃいないし、お前も俺らを気にする余裕なんかないだろ。お前はお前自身のために投げるんだよ。それで打たれても、お前がベストを尽くした結果なら誰も責めやしない。考えてみろよ。1年の今の時期から県のベスト8で投げられるチャンスなんか滅多にないぞ。自分のために生かさなきゃ損だろ」
川崎は何も言わず俯いた。成は彼が反論の意志を失くしたことを確かめ言う。
「じゃあ川崎が続投ということで。いいですね、監督?」
「あ、ああ……」
言い合いを止めるタイミングを見失っていた堀田監督が弱々しく答えた。
4回裏が終わり、スコアは3-7と誠報学院が4点差を追う展開になっていた。5回表の守備に向かう直前に川崎が言った。
「頑張って投げますけど、どうなっても知りませんよ」
「それでいい。まあお前が真面目に練習してたのは知ってるし、大丈夫だろ」
成は川崎の目を見つめて送り出した。
川崎は5回と6回を無失点で抑えた。この日の彼は6回108球を投げて11安打7失点という内容だった。
7回からは予定通りに成が登板した。球がよく走っていたこの日の彼は、3回32球を投げて1安打無失点という成績だった。
しかし、最終的なスコアは6-7と一歩及ばずチームは敗れた。誠報学院の春季大会は県ベスト8という成績で終わることになった。
敗北が決まった瞬間から、川崎は涙を止めることができなくなった。成は彼の肩を抱きながら言った。
「仕方ない。ピッチャーなんて打たれる時は打たれるもんだからな。それで満足できないなら、打たれる時を減らすために練習するしかない。明日からまた頑張ろうぜ、真之介」
「はい」
川崎は自分の涙で溺れてしまうのではというほどの悔しさの中で声を絞り出した。
準々決勝で敗れた誠報学院の野球部員たちは、そのままマイクロバスで学校に戻って解散となった。成は柚葉に誘われて一緒に帰ることにした。
「あ、今日も私は歩きだから」
「チャリの方が速いし楽なのになんでお前は歩きたがるんだ」
成は大袈裟に肩を落としてみせたが、結局は柚葉の歩調に合わせながら自転車を押していた。
2人は街を東から西へ貫く
「川崎くん、落ち込んでないかな」
「これからもやっていく以上は落ち込んでも立ち直るしかないだろ」
柚葉が成の顔を覗き込んだ。
「川崎くんのことを心配してたならもっと優しくしてあげればいいのに」
「別に心配はしていない」
「本当? あんなに他人のピッチングを真面目に見てる成は初めて見たよ」
成は柚葉から目を逸らした。
「まあ、真之介みたいにくっついてくる後輩は今までいなかったから」
「成は話しかけにくいもんね」
「ほっとけ」
柚葉が笑った。そしてその笑いを少し意地の悪いものにして、成の脇腹を小突いた。
「でもさ、川崎くんのために投げろって言ってたけど、杏月のためって言ってる成に言われても説得力無いじゃん」
成はわずかに顔をしかめた。
「あいつはもっと上にいきたいっていう気持ちを持っていて、それで俺と一緒に練習をするようになった。自分だけじゃ頑張る理由を見出せなくなった俺とは違う」
「ふうん」
柚葉が成を見つめた。夕日が横顔を照らしている。
「そういうもんかな」
「そういうもんだよ」
成は小さく笑って、長森川の流れに目を向けた。西日が眩しかったが、照らされながら流れていく川はただただ綺麗だと思った。
「きっと、そういうもんだよ」
同じ言葉を繰り返した。
自分は杏月のために頑張る以上、シロ農に勝たなければならない。そうでなければ彼女の夢が無駄でなかったと証明できないから。
シロ農に挑む最後のチャンスである夏の大会は1か月半後に迫っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます