後輩と春季大会 前編

 英星学園との練習試合から少し遡って4月上旬。誠報学院野球部に新入部員たちが入ってきた。その中に川崎真之介という投手がいる。

 川崎は通学に電車を利用している。入学して間もないある日、いつもより早く目が覚めた彼は、前日まで乗っていたものより早い時間の電車で登校することにした。当たり前の話だが学校にも早く着く。授業開始までは1時間半ほどあった。

 すぐに教室へ向かうのではなく、まずは野球部のグラウンドへ行ってみることにした。誠報学院の野球部は朝練をしない。しかし、誰かが自主的に練習をしているかもしれないと考えた。

 実際に、グラウンドには黙々と走り込みを行う1人の部員がいた。このチームのエースピッチャー小桜成である。

 川崎は翌日以降も早い時間の電車に乗った。そしてグラウンドへ向かう。そこでは必ず成が走り込みをしていた。

 誠報学院の上級生は誰もが熱心に練習をしているが、その中でも成は何かが違うように川崎の目に映った。甲子園に行くとか、シロ農の吉岡を倒すとか、チーム全体がそういう目標への熱を持っていれば誰でもそれなりに感化されてやる気を出すものだろう。しかし、成は周りに感化されたというより、他人がどうあれ自分の中にある目標を着実にクリアしようとする人間のように思えた。川崎は彼の姿に対して魅力を感じるようになった。

 朝にグラウンドへ行くようになって数日。それまで遠巻きに成の練習を見るだけだった川崎は意を決し、先輩に声をかけることにした。

「あの、すみません」

 練習を中断した成が川崎を見つめる。

「確か1年生の……」

「川崎真之介です」

 名前を聞いて成は自分の記憶を辿った。少し間を置いて、納得したと言いたげに小さく何度か頷く。

「そうだ。ムネリンとアベだな」

「はは……」

 川崎は苦笑いである。

「で、川崎くんは俺に何か用?」

「はい。その、ランニングをご一緒してもいいですか?」

 成が僅かに首をかしげた。川崎の顔を見つめ、何事かを考え込む。

 一体この先輩は何を言うのだろう。川崎は内心で怯えていた。入学してからさほど時間も経っていない1年生だ。3年生のエースは畏怖の対象である。

 そのエースが口を開いたのは、もしかして自分は迷惑がられているのだろうかと考えた川崎が謝ろうとしかけた時だった。

「ダメって言われたらどうするんだ?」

「えっ……」

 成は相変わらず川崎の顔をじっと見つめている。

「まあ、なら1人で走りますかね……」

「なんでこの先輩は断るんだろうとか思わないのか?」

「それは迷惑なら仕方ないかなと……」

「逆の立場で考えてみろよ。川崎くんが走っていて、後輩が一緒に走りたいと言ってくる。一緒に走ったとして、迷惑になることなんて無いと思わないか?」

 川崎は黙ってしまった。

「すまん、意地悪したな。走りたいなら勝手に走ればいいのに、変なこと訊く奴だなって思ったんだよ。でも礼儀正しい後輩なら訊いてくるか」

 成が柔和な笑みを浮かべた。川崎も曖昧に笑う。

「まあ、川崎くんは俺と走ることが自分のためになると思ったんだろ? なら走ればいい。川崎くんは他人がどうあれ川崎くん自身のためになることをやっていくべきだし、それを俺が止める権利なんか無いからな」

 そう言って、成は再び走り始めた。

 川崎もその後ろを追った。こうして川崎は成と共に毎朝の走り込みを行うようになった。




 5月になると春の公式戦が始まる。誠報学院は全県大会出場を目指して県北大会へ臨むことになっている。

 大会はトーナメント形式で行われ、決勝まで進んだ2校が全県大会への出場権を得られる。その前に負けてしまったとしても秋の大会と同様に敗者復活戦があり、そこでの結果によってさらに3チームが全県大会へ進めることになっていた。

 誠報学院の目標は全県大会に進み、そこでベスト8に入ることである。そうすれば夏の大会のシード権を得られて試合数が少なくなる。誠報学院は成以外のピッチャーが課題なので、彼の負担を減らすためにも試合は少ない方が良い。

 そしてこの春季大会は、成以外のピッチャーという点でさらなる問題があった。成に次ぐ2番手投手だった2年生の伊沢が肘を痛め、ノースロー調整を続けていた。堀田監督は彼をベンチ入りメンバーから外さざるをえなかった。

 伊沢に代わる2番手投手として白羽の矢が立ったのは川崎だった。夏の大会で成の状態を万全にするために、春は彼に無理をさせないことが決まっていた。当然、成が投げないという試合も出てくる。そういった試合で川崎を使う。堀田監督はその決意を固めていた。

 大会が始まると、川崎の出番は初戦から回ってきた。相手は中坂高校。決して強いチームではない。

 試合で先発したのは成だった。彼は3イニングを投げ、1人のランナーも許すことなく、5つの三振を奪ってみせた。打線も活発で、3回が終わった時に誠報学院は8点のリードを手にしていた。それで成は早々にマウンドを降りた。

 4回から登板した川崎は1つの四球を出したものの、2イニングを無安打無失点で抑えた。チームも14-0というスコアで5回コールド勝ちを収めている。5イニングとはいえ継投でノーヒットノーランを達成し、秋に果たせなかった公式戦での勝利を記録した。快調なスタートだった。

 県北大会2回戦は鷹代商業との対戦になった。秋の大会でコールド負けを喫した相手である。

 この試合にも成が先発し、今度は完投した。9イニングを投げ、3安打無失点。球数はわずかに98球だった。誠報学院は4-0でこの試合に勝利し、秋のリベンジを果たした。

 成は自身の投球に手応えを得ていた。特にチェンジアップが良くなっている。英星学園との練習試合を終えてからの数日間、彼はいかに腕の振りを緩めず遅い球を投げられるか研究した。姉からもらったスピードガンで球速を測りながら投げてみると、どうすれば球速を落とせるかというコツを掴めてきた。ストレートだけで押せずとも、彼には落ちないチェンジアップを生かしたコンビネーションがあった。




 準決勝の鷹代工業戦は川崎が先発することになった。勝てば全県大会出場が決まる大事な一戦だったが、仮に負けても敗者復活戦で1勝すれば全県の出場権は得られる。勝っても負けても次の試合で成を使うという予定を立て、この試合では成を温存することになったのだ。

 準決勝の1回表。マウンドに上がった川崎はいきなり四球を与えてしまった。そこから2番打者がバント、3番打者がタイムリー。あっさり1点を失ってしまった。

 続く4番打者にも痛烈なライナーを打たれたが、この打球はショートを守る類が横っ飛びで好捕。5番打者の打席では一塁ランナーが盗塁を仕掛けたが、キャッチャーの由が冷静に二塁へ送球して阻止した。川崎にとっては落ち着かない立ち上がりだったが、結果的には最少失点で切り抜けられたことになる。

 すると、その裏に打線が2点を奪ってすぐさま逆転した。誠報学院は2回以降もリードを保ち続け、そのまま試合に勝利してしまった。全県大会への出場権を確保したわけである。

 公式戦初先発だった川崎はこの試合で完投した。とはいえ5失点を喫している。この試合の最終的なスコアは9-5である。打線が打ち勝った試合だった。




 準決勝のもう1試合は、桂陽高校と春の甲子園に出場したこともある明峰めいほう高校が対戦することになっていた。勝った方が決勝戦で誠報学院と対戦することになる。

 誠報学院の面々が望んでいたのは秋に敗れた桂陽高校との再戦である。桂陽高校はこの春から2年生のスローカーブ使い・小木が背番号1を背負っている。誰もが彼へのリベンジに燃えていた。

 しかし、決勝戦に駒を進めたのは明峰高校だった。桂陽は背番号10の3年生・松本が先発したが、彼が7失点を喫して敗れてしまったのである。

 明峰高校と対戦することになった決勝戦は成が先発した。この大会で初めてとなる失点を喫したが、6安打しか許さずまたも完投した。成の好投に導かれたチームは5-1というスコアで勝利し、県北大会の優勝を決めた。

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