第52話 最終話 私の望む未来を愛する彼女は望まない ~夕貴~
「!?」
気がつけば、晴に組み敷かれていた。僅かな光が逆光となって、晴の表情は見えない。ただ、酷くぴりぴりとした雰囲気の彼女が私を見下ろしているのが分かった。両手を抑え込まれ、馬乗りになった晴に、初めて会った時を思い出す。あの時と違うのは、ここがベッドの上で、晴の手は優しく私の腕を掴んでいること。それでも、彼女の殺伐とした雰囲気が何だか懐かしくて、思わず笑みがこぼれた。
「晴………」
「………………」
怒りの為か無言のままの晴を見つめる。こんな彼女でさえも嫌いになれなくて、いっそのこと、このまま晴に殺されても良いとさえ思えた。
「……私、怖かった。……傍にいれば、いるほど、晴を好きになるから。
だから、嫌われたくなかった。嫌われるくらいなら、見たくない花火だって我慢出来るし、お母さんの替わりにだってなれる……」
「初めはそう思っていた。だけどね、それじゃ、もう我慢できないの。お母さんじゃなくて、私を見て欲しい。晴にとって、一番は私であって欲しい!」
「…………」
「ねぇ、晴。人を好きになるって、楽しいんでしょう? 嬉しいんでしょう?
………それなのに、どうして、どうして、私は、こんなに苦しいの? 胸が痛いの?
晴だって、お母さんを好きになって嬉しかったんだよね? 教えてよ、晴!」
「…………」
涙と共に隠し続けてきた想いが、ぼろぼろとこぼれていく。もう、駄目だ、きっと私は、晴に嫌われる…………
「こんな私はおかしいよね? 好きでいてくれるはずないよね?
こんなに……嫉妬深くて、根暗で、うじうじして、いつまでも馬鹿みたいに悩んでいる私なんて………大っ嫌いって言ってよ!!」
「好きよ」
「!?」
一瞬のためらいもなく告げられた言葉に、虚を突かれて言葉に詰まる。すぐ目の前にいつもの晴がいた。
「嫉妬深くて、根暗で、うじうじして、いつまでも馬鹿みたいに悩んでいる夕貴が私は好きなの」
「…………嘘」
「本当よ」
自分で言った言葉に自分で傷つきながら、信じられなくて晴から顔を反らす。そんな私を、母に微笑んだあの時と同じ様に、晴が呼ぶ。
「大好きよ、夕貴」
「…………」
晴が身体を起こすと、私を膝の上に跨がらせ、腰に手を回す。晴の膝の上で抱き合っている態勢に恥ずかしくなり、逃げようとするが、がっちり押さえられてしまった。晴が、羞恥で俯く私の顔を上げさせると、嬉しそうに微笑んだ。
「やっと聞けたわね。
夕貴の本音」
「晴………怒らないの?」
恐る恐る訊ねた私へ返事の代わりに、ちゅっ、と軽くキスする。
「あのね、私は確かに良子さんが好きだった。それは事実。勿論、忘れるつもりなんてないわ」
彼女にとって、母はそれほど大切な存在だったのか………また胸が痛い。少しだけ考えるように視線をさ迷わせた晴が、私を見つめた。
「だけど、良子さんとの事は思い出でしかないの。私の心の中にはね、毎日少しずつ夕貴との思い出が積み重なっているわ。楽しかった事、喧嘩した事、悩んだ事……良子さんとの思い出はあの時止まったままだけど、夕貴との思い出はずっとずっと増えている。夕貴と分かち合っていける。その事が凄く嬉しいの」
「…………」
「それに、私は一度だって夕貴を良子さんの代わりだなんて思っていないわ。
夕貴、私とあなたが一番最初に会ったとき、覚えてる?
あなたがナイフを向けて、私があしらったときの言葉」
「…………」
あの時を思い出すように、晴がくすぐったそうに優しく微笑んだ。彼女の左手には今もあの時の傷跡が残っている。
「あなたは『立野夕貴』だから」
「…………」
「私は初めから夕貴を夕貴としか見ていないわ。あなたは良子さんとは違う。
意地っ張りで、甘えたがりで、可愛くて、一生懸命で、料理が得意で、我慢ばかりして、私の為に頑張ってくれて、誰よりも私を好きでいてくれる、そんな夕貴を嫌いになる訳ないじゃない」
「…………晴」
晴の言葉が心の中に染み渡っていく。そうだ、ずっと、ずっと前から、晴は私を『立野夕貴』として見ていてくれた。それに、私は気がつかなかっただけだ。
「勿論、母子だから容姿は似ているかもしれない。
だけど、正直なところ、夕貴は良子さんに似て欲しくないの」
「…………どうして」
「あの人の笑顔はいつも寂しそうだったから。
私は、夕貴にそんな風に笑って欲しくないの。もっともっと幸せに笑って欲しい」
「だから、我慢しないで、夕貴。
あなたの痛みも、苦しみも、全て私が引き受けるから……」
晴が私を真っ直ぐ見つめた。まるで、大切な物を見るように、少しだけ目を細めて……
「あなたはもう十分に頑張ったわ。
夕貴はもっと自由で、我が儘で良いのよ」
「晴っ………!!」
晴にしがみついて、顔を押し付ける。何度も名前を呼ぶ私に、同じ数だけ晴が応えてくれた。
白々とした空に、長かった夜が終わるのを感じる。
結局、一睡もせず、晴が私を後ろから抱きしめたままの姿勢で少しずつ明るくなる風景を眺めていた。
「晴」
「何?」
「私……やってみたい事があるの」
「何?」
「……アルバイト」
ずっと晴に頼りきりの生活に不自由はなかったけど、自分でお金を稼いでみたかった。私と晴で決めた彼女の誕生日に、どうしてもプレゼントを贈りたいから。
「良いんじゃない。何事も経験だって言うしね」
「ん。ありがと。
頑張ってみるね」
微笑み合うと、晴が顔を寄せて囁く。
「夕貴が私をどれだけ好きか教えてくれたから言うけれども、私だってずっと不安なのよ」
「えっ……?」
全然不安そうに見えない晴に驚くと、少しだけ晴がむっとした表情を浮かべる。
「当たり前でしょう? 性格も良いし、こんなに可愛い夕貴を周りが放って置くわけないじゃない。本当は毎日大学でも夕貴に張り付いていたいくらいなのよ」
「わ、私っ、友達はいるけど、晴以外誰も好きになるつもりなんてないよ!?」
慌てる私の鼻をちょん、と晴がつつく。
「私も、よ。夕貴。
私は誰よりも夕貴と過ごしたい。一緒にいたいって思えるの。だけどね、あなたを束縛なんてしたくない。
だから、信じてるわ」
優しく頭を撫でて、微笑んで………そんな晴が、私はやはり、好きだった。
回された手に自分の手を重ねると、指を絡めた。苦しくて、締め付けられるような胸の痛みに幸せを感じて、微笑んで見つめる彼女に、溢れる自分の気持ちを伝える。
「晴、大好きだよ」
「私も好きよ、夕貴」
朝日が照らす室内が眩しくて目を閉じると、そっと重なる前の唇に小さく「愛してる」と呟いた。
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