第49話 私の望む未来を愛する彼女は望まない (1) ~夕貴~

前書き


天気予報は曇りだったのに、突然のどしゃ降り……

びしょ濡れになって家に戻る途中、久しぶりに虹を見ました。学生時代も突然の雨に同じような体験をしていたと思うのに、虹を見た記憶はありません。思えば、今住んでいる土地に引っ越してから、何度も虹を見ている様に思えます。真っ直ぐ前を向いていた学生時代より、少しだけ周りを見るようになったのかな、と思ったり。



瞬く間に一年が過ぎて、夏が訪れる。


 大学生活も二年目となると、ようやくゆとりが出て来て、勉強は忙しいものの、キャンパスライフを楽しめるようになってきた。だからといって、合コンやサークルに参加はしていなくて、家と大学の往復とひたすら勉強に集中する毎日に、晴は「折角、大学生になったんだから、もっと楽しめば良いのに」といつも苦笑していた。



 夏休みに入ったある日、私は晴に誘われて泊まりがけで出掛けることになった。ここから離れた街で今年から始まった大規模な花火大会を見に行こうと言われたからだ。


 昼から出発して目的地近くの駐車場に車を停めると、流れる人混みの中に向かおうとする私を晴が引き留める。


「夕貴、こっち」


 指差した方は目の前の大きなホテルで、晴の人差し指はその上を指している。


「晴、もしかして、ここに泊まるの?」


「そう。最上階とはいかなかったけどね。行きましょう」


 慣れた様子で手続きをする晴の後ろをきょろきょろ見回しながらついていくと、案内されたのは最上階より一つ下の部屋だった。ドアを開けると、落ち着いた雰囲気の室内の広さに驚く。私達のアパートの何倍もの広さのベッド、大きな窓、ソファー、お風呂もテレビも何もかもが高級感たっぷりで、貧乏性の私は萎縮してしまう。


「晴、こんな所に泊まって、お金大丈夫なの?」


「ふふ、大丈夫よ。

折角来たのだから楽しまなくちゃ駄目よ」


 そう笑った晴に勧められるまま、豪華な夕食をとり、広々としたバスタブを堪能した頃にはすっかりリラックスしていた。ふと、窓の外をガラス越しに見てみると、真っ暗な世界に色とりどりの明かりが灯っていて、目の前には幻想的な光景が広がっている。


「…………凄い」


「綺麗ね」


 思わず呟いた言葉にいつの間にか隣にいた晴が応える。ふわり、と香る馴染みのないボディーソープの香りが、晴には良く似合っていた。やがて、小さく爆音が聞こえ、目の前に花火が広がる。


「晴、花火大会始まっちゃったよ」


「そんなに慌てなくても大丈夫よ。今日の花火大会はここで楽しむのだから」


「え、ここで観るの?」


「ええ。

 ここなら人混みも気にならないし、快適だし、第一、特等席だもの」


 確かにここは視線とほぼ同じ高さで目の前に広がる花火を堪能できる特等席だ。窓際のダブルベッドの上に移動すると、膝を抱えるようにして座る。室内の明かりが消え、ぼんやりとした闇の中、正面に広がる花火を見入るふりをして、晴に気づかれないようにそっと視線をそらした。お腹の奥底に響くような破裂音に小さく唇を噛みしめて、ただ時が過ぎるのをじっと待つ。



「!!」


 後ろから晴が私を膝ごと包むように腕を伸ばして、気がつけば晴の足の間に私が座っている状態になっていた。身体が密着した為か柔らかい感触が背中に当たり、鼓動が一気に上昇する。


「せ、晴!?」


「こうして見たかったの。夕貴は嫌?」


 顔のすぐ横でそう囁かれて、何も言い返せなくなる。背中から伝わる温もりが恋しくて晴の腕に自分の手をそっと重ねた。




「ごめんね、夕貴」



 しばらくして、突然告げられた謝罪に晴の顔を見ようとするけど、ぎゅっと抱きしめられていて、振り返れない。


「? どうしたの、急に」


「夕貴が我慢しているの、私、知っていたわ」


「えっ、私、我慢なんかしていないよ」


 晴の言葉に心当たりがなくて否定するも、晴は頷かない。晴の退院と同時に私達は一緒に暮らしだした。気持ちを確かめ合い、恋人になってからはますます私は晴を好きなっている。むしろ、好きすぎて怖いくらいに思えるときがある。


「夕貴、私はあなたに少しでも幸せでいてほしいと思ってる。出来るだけ夕貴が夕貴らしく生きていけるように支えていきたい。だけど、だけどね…………私にも限界があるの。夕貴の全てが分かる事はきっと出来ない」


「晴…………」


「だから、一番良い方法は夕貴が傷つくことを怖がらずに向き合ってくれること。

 もしも、あなたが傷ついたなら、私が必ずその傷を癒してみせるから」


 晴の言葉の一つ一つが身体に直接入ってくるような感覚を覚えながら、顔が見えなくて良かったと内心安堵する。今、自分がどんな表情をしているのかなんて分からないから。


「…………私、怖がってなんかないよ」


「…………この意地っ張り」


 くるっと身体を反転させられて両頬を軽くつねられる。力が入っていないので、全然痛くはないが軽く晴を睨む。


「いたくないもん」


「そんな顔で言っても説得力ないわよ」


 鼻先まで近づいた晴が私を真っ直ぐに見つめる。ほんの数ミリ、顔を近づければお互いの唇が触れる距離。晴の吐息に自分の鼓動が、とくん、と跳ねた。


「夕貴は花火が嫌いでしょう?」


「!?」


 先程とは違った意味で鼓動が跳ねる。どうして? いつから知ってた? 一瞬の心の動きを読み取った様に晴が悲しく微笑むのを見て、とっくにバレていた事を知る。


「…………いつから知ってたの?」


「去年の夏。そして、その理由は私よね」


 晴の言葉に思わず俯いた。自覚してから隠していたはずなのに、晴にはお見通しだった訳だ。


 あの契約の日、必死に探し回り、ようやく出会えたセイは素人の私でも分かるくらい、危険な状態だった。しっかり繋いだ手に力が入らなくなり、見つめてくれた目が少しずつ閉じられていく……花火が音を立ててセイを照らす度、彼女の命が削られていくような感覚に本当は叫びだしたかった。


『セイを助けたいのなら、彼女が生きたいと思えるように行動しなさい』


麗さんに予め言われていなければ、あの時、取り乱して何も出来なかっただろう。私の行動はあれで良かったのかなんて、今でも分からない。


 病院で手術は成功したはずなのに、何度呼びかけても目を開けてくれないセイに、自分がしでかした事の重大さを痛感した。何度も泣いて、自分を恨んで、ただひたすらセイを願った。


幸いにも、あれから、セイは『晴』として元気に過ごしているが、私には花火と共に忘れられない記憶となっている。



「今日、ここに来たのはね、夕貴の傷を癒したかったからなの」


 晴が私の手を取り、自分の胸に押しつける。下着を着けていないのか柔らかい胸の感触に思わず手を引きそうになる。


「夕貴、私の心臓が動いているのが分かる?」


「………う、うん」


「私はちゃんと生きているわ」


「晴……」


 晴が微笑むその横顔を花火が爆音と共に照らしていく。息をするのを忘れたかの様に晴を見た。



「私はここにいる。

 夕貴、あの時の記憶を上書きしましょう。

 花火を見る度に、今日の記憶を思い出せる様に。

 あなたが望むように私は振る舞うから」


 静けさが一瞬戻るものの、すぐに次の花火が打ち上がる。花火に照らされた晴は真っ直ぐ私を見つめていた。


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