第36話 すれ違う想い (1) ~夕貴~

前書き


本日我が家で論争がありました。と、言っても大したものではないのですが……

昼食のメニューを唐揚げにするか、チキン南蛮にするか、アジフライにするか、ということで大いに揉めました。それぞれに一票入っているので、仕方なく全て作ってみました。


結論としては、夕方までお腹一杯のままでした。何事も程々ですね。



私達の関係はあまりにも脆いものだと気がついたときには、既にその関係を失った後だった。


 あの日以来、セイは家に帰ってきていない。ほんの僅かの間うたた寝をしたすきに、部屋の鍵も、スマホも、財布も置きっぱなしのまま、まるで私が関わるのを拒むかのかのようにセイはいなくなってしまった。彼女のことだからきっと神山さんの所にいるのだろう、何となくそう思っていても足は一向に動かなかった。


 あの日私が契約の事を言わなければ、今も楽しく過ごすことが出来たのだろうか、だけど、タイムリミットが近づいてくるのに、知らない振りなんて出来なくて、あの日でなくとも私は同じ事を繰り返していたに違いない。そしてきっと、私の言葉を聞いたセイはやっぱり部屋を出ていったに違いなかった。




 夏期講習が終わり、本格的な休みが訪れたが、私は自分の家には戻らずに、セイの部屋にいた。このままセイとの繋がりが消えてしまうことが怖くて、必要最低限の外出だけをして一日中セイの帰りを待ち続けた。


「あ…………」


 ぼんやりしながら夕食を作っていると、二人分の皿を準備していた事に気がつく。食事に限ったことではなくて、セイの服やお弁当箱もついつい手に取ってしまうことがしょっちゅうだった。作った野菜炒めをテーブルに運ぶと一人で食べる。セイがいたときも一人のご飯の方が多かったのに、どうしてこんなに美味しくないのだろう、結局殆ど残したまま切り上げると、ラップをかけて冷蔵庫に入れる。フライパンにはまだ一人分の野菜炒めが残っていて、一人では食べきれそうにない。仕方なく、タッパーに移し変えて冷蔵庫に入れた。

何もしたくなくて押し入れからタオルケットを取り出すと、ふわふわの感触に顔を強く押し付ける。まだ微かに薫るセイの香りが懐かしさと胸の痛みを呼び起こした。


「セイ…………ごめん……」


 じわりと滲む涙混じりに呟いても、謝罪は誰にも届かない。彼女の存在が私の心の大部分を占めていて、その彼女を失った事が今は何よりも辛かった。



 玄関のチャイムの音で自分がいつの間にか眠っていたことに気がつく。時計を見ると、時刻は22時を過ぎていた。こんな時間に訪ねてくる人など他に思いつかなくて、急いで玄関に向かうと、ドアの向こうにいたのは思ってもみない人物だった。


「こんばんは、夕貴ちゃん」


「…………こんばんは」


 明らかにテンションが下がった私を気にする風でもなく、神山さんがにこりと微笑む。


「今日はこれを渡しに来たの」


「? …………えっ!?

 な、何ですか、このお金!?」


 受け取った封筒にはお金が詰まっていて、渡された意図が分からずに戸惑う。


「あなたに渡して欲しいってセイに頼まれたのよ」


「っ、こんなお金、要りません!!セイは!…………………セイは、元気ですか?」


 思わず詰め寄ろうとした自分に気がつき、はっとして小さく訊ねる私をくすくすと神山さんが笑った。


「そんな事訊ねてどうするの?」


「………………あなたには関係ありません」


「ふふ、まあ、元気なんじゃない。

泊まり込みの調査に行って姿は見てないけど、調査結果は届いてるから」


「…………そうですか」


 言葉に詰まる私をしばらく見つめた後、神山さんは「じゃあね」と立ち去ろうとする。


「あのっ、待ってください!」


 神山さんを呼び止めて待ってもらうと、セイのスマホと財布を取りに行く。


「私、お金はやっぱり受け取れません。ごめんなさい。

 あの、その代わり、これをセイに渡してもらえますか?

財布もスマホもなかったら、きっと不便だろうし…………」


 私の差し出したスマホと財布を一瞥した後、神山さんは嫌そうにため息をついた。


「夕貴ちゃん、そういうことは本人に直接言ってくれる?」


「え、でも…………」


「子供の喧嘩じゃあるまいし、私に何もかも押し付けるのは勘弁してよ」


「…………すいません」


 神山さんの言葉に何も言い返せなくて下唇を噛んで俯く。シュボッと音がして、煙草の匂いが辺りに広がった。アパートの壁にもたれて、苛ただしげに煙草を吐き出す神山さんの無言の視線が痛い。


「だから、言ったでしょう。セイから離れなさいって」


「…………」


「あなた達の間に何があったか知らないし、知りたくもないけど、いい加減な気持ちであの子を振り回すのはやめてくれる?」


「わ、私! そんなつもりじゃありません!」


「そうね。

あなたがそんな調子だからセイも放っておけなかったのよね」


 ずいっと神山さんが詰め寄ってきて、思わず後ずさりする。


「目の前にあることが全てで、自分で物事を確認しようともしない。自分だけが傷ついていると思い込んで、ひたすら待つことしか出来ない」


「こんな子供のどこが良いんだか…………あの子、本当に馬鹿なんだから」


 吐き捨てられるような言葉が胸に突き刺さる。それでも、セイの事だけは聞き逃せなくて気がついたら、口を開いていた。


「…………やめて下さい」


「?」


「私は何と言われようとも構いません。だけど、セイを悪く言うのだけはやめて下さい!」


「へぇ…………」


 私の言葉に神山さんが途端に表情を変える。にやにやと見下ろす神山さんの視線に怯みそうになりながらも、必死で見返した。


「セイに、随分肩入れするのね。そんなにあの子の事が好きなわけ?」


「……………」


「セイは寝てないって言っていたけど、キスくらいしたのかしら?」


「……………」


「捨てられても忘れられないのね」


「っ! …………」


 質問する度に私の反応を楽しむかの様な神山さんに、滲み出す涙を見られたくなくて必死で我慢しながら、それでも視線を逸らさない。今、私が逃げたならそれはセイへの気持ちを否定することになってしまうから。


「良いこと教えてあげようか」


「…………何ですか」


「彼女、凄く、上手よ」


「!!

 っ、帰って下さいっ!!」


 簡単な言葉ながらセイとの関係を見せつけるような神山さんの表情に、我慢はもう限界だった。あの日のセイの告白を思いだし、神山さんをドアの外に押し出すと、扉を閉める。部屋の奥に駆け込んで、タオルケットに抱きつくと、声を上げて泣いた。


「似た者同士ね、あの子達…………」


 呆れたように呟いて、落ちた財布とスマホを拾う神山さんはアパートを後にした。

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