第28話 移りゆく心 (3)
前書き
知人が車を運転中、突然イノシシが横から飛び出してきたそうです。衝突音と共に、イノシシは転がりながらも逃げていったらしいですが、車はラジエーターを破損して、立ち往生したそうです。
皆さん、イノシシには気をつけましょう。
え?見かける機会がない?
私の家の周り、うろうろしてますよ (笑)
◇
「はい、頼まれていた帳簿のコピーね」
パソコンを見ていた麗にUSBメモリを渡すと、ここ最近詰めていた仕事がやっと終わり、大きく伸びをする。久しぶりの仕事に知らずのうちに緊張していたらしい。
「復職の良いリハビリになったでしょう」
「ええ、お陰さまでね。
新入社員に任せるような案件には思えなかったわよ」
「何言ってるの。私に事務所を押し付けたくせに」
「それは感謝してる」
麗の皮肉を聞き流してスマホを見る。夕貴から連絡はないようだ。ふと視線を感じて顔を上げると、麗が見つめていた。
「あの子とまだ一緒にいるの?」
「まあね」
「もう寝たの」
「そんな関係じゃないから」
「へぇ、それなら、どんな関係なの?」
くすくすと笑う麗を軽く睨むも、彼女の目は笑っていない。嘘も言い訳も許さない表情に、仕方なくソファーに座る。
「私の家に住む代わりに、ご飯を作ってもらってる。それだけよ」
「随分と初々しい関係じゃない。
ふふ、私の忠告を聞かなかったのね、あの子」
「……いつの話?」
「あの子をあなたの家に送ったときに言ったのよ。あなたから離れなさいって」
あの時、帰って来た夕貴の態度がおかしかったのは麗のせいだったのか、と納得した。本当はとっくに自分で言わなければならないはずなのに、麗にはどうやらお見通しだったらしい。そんな私を麗が真っ直ぐ見つめる。
「セイ、あなたがあの子から離れなさい。
あの子はきっと、あなたに好意以上のものを感じているわ」
「それは何となく分かってる」
「そしてそれは、あなたも同じでしょう」
ため息を一つついて答える。
「ええ」
「あなたは死ぬから良いけれど、残されたあの子がどんな思いで過ごさなければいけないか、一番良く知っているじゃない」
「………………分かってる」
目を閉じて呻くように返事をした。麗の言葉が正論過ぎてぐうの音も出ない。
「セイ、正直に答えて。
本気なの?」
「…………抱きたいとかじゃない、ただ傍にいて欲しいの」
「…………」
小さくため息をついた麗が隣に座った気配に、閉じた目を開ける。麗の呆れたような表情に自分が今どんな顔をしているのか分からない。
「あなたにそんな表情をさせるなんてさすが母子ね」
「違う!
私は夕貴に恋愛感情なんて持ってないわ」
「そんなにむきになって否定しなくても良いわよ。
分かったから、落ち着きなさい」
熱くなった感情を指摘されてはっと我にかえると、何度か深呼吸して心を落ち着かせる。差し出された煙草を悩みながら結局咥えると、麗が火を寄せてくれた。苦々しい煙を肺に入れると、大きく息を吐いた。
「全く厄介ね、あなたもあの子も」
「…………」
「……契約、破棄しても良いのよ」
麗がぽつりとこぼした言葉に思わず笑い出す。契約を受けた以上キャンセルはあり得ない、それがこの事務所のモットーだからだ。
「私との契約に何を組み合わせたの?」
「…………警察が以前から目をつけている県議員を引っ張りたいそうよ」
「あら、責任重大じゃない」
「どんな容疑でも構わないらしいから」
「それなら尚のことミスは許されないわね」
この事務所では様々な依頼を効率良くこなすために、複数の依頼を組み合わせて実行する。その為に念入りな調査と下準備、綿密な計画が必要で、時間はかかるものの、依頼の失敗は事務所を開いて以来一度きりだった。高確率で依頼を達成するという噂が噂を呼び、今や多方面に渡り信頼を得ていた。既に打ち合わせは済んでいる事だろう、今さらキャンセル出来るはずもない。
煙草をもう一度味わった後、自分の迷いを潰す様に灰皿の中に押し付けた。死ぬ覚悟なんてとっくに出来ている、私が出来ていないのは夕貴と離れる覚悟だ――
「それじゃあ、お疲れ。麗」
伝えたい言葉を飲み込むと、微笑んで立ち上がり、バックを持つ。煙草を燻らせながら麗が苦く笑った。
「セイのその生真面目さは、一度死なないと治らないわね」
「ふふふ、私もそう思うわ」
「疲れているみたいだし、明日は休みで良いわよ」
「了解」
後ろを振り向くことなく手を振って応えると、ドアを閉めて歩き出した。
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