第17話 孤独な心 (10) ~夕貴~
前書き
子供の頃から、暑い夏が好きです。寒い冬も、暖かい春も、何となくもの悲しい秋も大好きです。日本人で良かったな~とつくづく思います。
夏の空と、海の色が好きで毎年海に行きましたが、何をどうしたのか、今では海と山と川に囲まれた場所に住んでいます。
人生って不思議ですよね~
◇
「…………」
目を開けると、制服を着たまま布団の中にいた。泣き疲れて寝たせいで、喉が酷く渇いている。身体を起こすとテーブルの上にスポーツドリンクとメモが置かれていた。どうやらセイは外出しているらしく、何かあったら連絡するようにと書かれている。起きているのが億劫で、スポーツドリンクで喉を潤すと再び布団に潜り込んだ。枕に顔を押し付けると、柔軟剤の香りの中にセイの匂いが混じっている気がして、先程自分でした事を思い出すと思わず顔が赤くなる。
「どうしよう………」
どんな顔で彼女と向かい合えば良いのか分からなくて、うだうだと悩んでいると、やがて静かに鍵を開ける音が聞こえた。
「ただいま」
小声で入ってきたセイにどきどきして、思わず布団の中に隠れると真っ直ぐ私に近づいてくる。
「夕貴、起きてる?」
「…………うん」
いつもの口調に少しだけ安心して小さく返事をすると「先生」と呼ぶ声が聞こえた。
「…………誰かいるの?」
「私がいつもお世話になってる先生。お爺ちゃんだけど腕は確かよ」
布団から顔を出すと、ポロシャツ姿で白髪頭の背の低い老人がゆっくり歩み寄ってくる。セイに支えてもらいながら身体を起こすと老人はにっこり笑って布団の直ぐ傍に座り込んだ。
「ほいほい、この子がセイちゃんの言っておった子かね」
「先生、鞄玄関に忘れてるよ。
夕貴、一人で座れる?」
「う、うん」
セイが鞄を取りに行くのを、老人はにこにこしながら眺めていた。鞄を受けとり、ゆっくりチャックを開けていく。その動きにもどかしそうにセイが鞄を開け、中から聴診器を取り出して老人に持たせた。
「それじゃ、少し身体をさわるでのう」
のんびりした口調に絆されるように、問診を受け、胸の音を聴いて喉を診て、目や耳を診た後、バックに聴診器をしまうと「疲れによるものかね」と一言告げた。
「特に異常も見当たらんで、休養と栄養を取れば良くなるわい。無理せんようにな」
「はい………分かりました」
「先生、本当に大丈夫?」
「ほほう、信用ならんか?」
「ううん、勿論信用してるけど……」
孫と祖父の様なやり取りを見守っていると、おじいさんがセイの方を向いた。
「それなら約束通り、次はセイちゃんの番な」
「私は何ともないって」
「きちんと消毒に来るよう言っとったろうが」
「一応自分でしてたから平気よ」
左手の包帯を外しながらセイが手を先生に見せる。私から隠すように背中を向けた先で、赤黒く腫れた手がちらりと見えた。
カチャカチャと音が聞こえた後「ほい、終わり」と声が聞こえて、セイが立ち上がり私を見た。
「先生を送ってくるから、ゆっくり休んでいてね」
「うん……」
ドアが閉まる音が聞こえると、大きく息を吐いた。心の中がざわめいて、胸が苦しい。にじむ涙を体調の悪さのせいにして、ごしごしと拭うと布団を被って目を閉じた。
ひんやりとした手が額に触れて、自分がうとうとと微睡んでいたのに気がつく。
「ごめん、起こしちゃった?」
「…………今、何時?」
「夜の9時を過ぎたところ。何か食べる?」
「……」
首を横に振ると、セイが少し困った様に眉を寄せた。起き上がり辺りを見回すと、当たり前のように二人きりだ。飲みかけのスポーツドリンクをもらって、ごくごくと飲むと自分が思っていた以上に渇いていた事に気がつく。ずっと見守りながら隣に座るセイの視線を避けるように小さく訊ねた。
「…………ゼリーかヨーグルトがある?」
「プリンでも良い?」
「うん」
心配してくれていることが分かってしまうから、食べる気がなくても訊ねたのだが、冷蔵庫に向かう彼女は何だか安心した様に見えた。スプーンとプリンを受け取ると一口ずつ口に運ぶ。優しい甘さが空っぽの身体に染み込んでいくようだ。
「セイはご飯食べないの?」
「私? 後で食べるから心配しないで良いわよ。
今は自分の身体を心配しなさい。先生から薬をもらったから後で飲んでね」
「分かった」
返事を返すとセイが黙り込んだ。彼女の目が丸くなっているのを見て、驚いていることが分かる。無表情と思っていたけど、細かく観察すると何となく分かってしまう。
「………何?」
「夕貴がやけに素直だから、驚いた……」
「………うるさい」
「いつもそんなに素直なら可愛いのに」
「…………」
”可愛い“という言葉に思わず反応して何も言えなくなった。プリンを口に運ぶことで返事を拒否すると、セイはくすりと小さく笑う。薬を飲んで、ついでに服を着替えるとそれだけで身体がふらつく。思った以上に体力が奪われているらしく、大人しく布団の中に入った。
テレビのない静かな室内では何もすることもなく、私は直ぐ傍にいてスマホを弄るセイを見ていた。ぱっちりとした瞳、すらっとした鼻筋、小さな唇、スウェットに隠れているけど一度見た綺麗なボディラインは女性なら誰でも憧れるような身体だった。普段殆んど表情を変えないけれど、セイと出会う前から私は彼女の表情を幾つか知っている。少しぼんやりする頭でそんな事を思い返していると、セイが視線だけで、私に訊ねる。訊ねたかった事は、するりと口からこぼれた。
「………契約、本当なの?」
「どうして?」
質問に質問を返すセイの表情は変わらなかったけど、それだけで答えは十分だった。
「私が殺そうとしたから?」
「ふふふ」
可笑しそうな声にセイを見上げると彼女は笑っていた。
「元々私が望んでいたの」
「…………ずっと死にたかったの?」
「それは少し違うかな」
震える声を誤魔化したくて小さく訊ねた質問に、何気ない口調で答えるセイはどこか優しげに私を見ていた。
「これ以上生きていく意味がなくなったから、かな」
「…………分かんない」
「そうよね。忘れてくれて良いわ」
セイが話を終わらせるように額にそっと手を当てるのを黙って見つめていた。ひやり、とした手の感触が気持ち良くてもっと触れてほしくなる。
「もうお喋りはおしまい。ちゃんと休みなさい」
「ねぇ、セイ」
「ん?」
「………何でもない」
「ふふ、おやすみなさい」
口にしたかった言葉をのみ込んで目を閉じると、涙がにじんでいく。そっと目尻を拭う指先にすがり付きたくなるのを我慢して眠りについた。
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