第11話 孤独な心 (4) ~夕貴~

前書き


家の近所にはニガウリ農家が二件あり、今が出荷の最盛期です。傷物や形が曲がったものは出荷出来ないらしくお裾分けとして頂きますが、どちらの農家からも交互に頂くため、このシーズンは冷蔵庫の中に常にニガウリが入っています。

美味しいんですよ、ニガウリ。

私は好きなんですが、野菜室に常に入っているのを見ると、それだけで何だか食べた気がするのはおかしいですかね……


きちんと消費していますので、その点はご心配なく。



それからしばらくは何事もなく過ぎた。学校で勉強して帰宅する毎日の中であれから山本と何度か遭遇したものの、常に誰かと一緒だった為か、話しかけられはするものの、ただそれだけで何もされることなく済んだ。少し前の日常が再び戻ってきた様に思える一方で、変わったこともあった。


「お疲れ、夕貴」


「…………お疲れ」


 毎日彼女の仕事が終わる時間にホームセンターに行き、そのまま歩いて帰る。何も話さず、並んで帰るだけ。最初驚いた様にしていた彼女も三度目からは何も言わなくなった。感情を見せない表情の中でも彼女は喜んでいるのだろうか、待ち合わせ場所に現れる手には必ず何かを持っていた。お菓子だったり、おにぎりだったり、飲み物だったり……予測出来ない買い物の仕方に早めに釘を刺したお陰で、あれから袋の中身は二つしか入っていない。片手でも持てる荷物をそれでも自転車のかごにバックと一緒に入れて歩き、アパートの前で別れる。


そんな事を繰り返したある日、珍しく別れ際に彼女が私を呼び止めた。


「明日からしばらく迎えは良いわよ」


「…………どうして?」


 “迎え”というワードに引っ掛かったものの、確かにその通りなので追及せずに理由を訊ねる。


「一週間くらい雨が続くみたいだから。夕貴は受験生だし、風邪を引いたら大変でしょう」


「別に」


「気持ちだけ貰っておくわね。ありがとう。

お休み」


 いつもの様にビニール袋の中身を一つだけ残して彼女が荷物をかごから取る。最近はリクエストを聞いてくるので好きか嫌いかだけを答えていた。ちなみに今日は果物多めのフルーツゼリーだった。部屋に入ると、冷蔵庫でしばらく冷やしてからゼリーを食べる。同じものを買っていたので、彼女も今頃食べているのだろうか。ふと、こんな些細な事で自分が一人ではないという小さな安心感を得ていたことに思い当たり、愕然とする。慌ててゼリーを食べ終わると、そんな考えを振り払うように再び勉強に取りかかった。



 安西セイの言っていた通り、朝起きるとしとしとと雨が降っていて、空はどんよりとしている。今日はぐずついた天気になりそうだ、傘を手に持って学校に向かった。昼を過ぎてますます強く降る雨にがっかりする。これ程強い雨なら帰るのも億劫になるくらいだ。ましてや、町外れのホームセンターまで自転車でわざわざ行くなんて無理だろう。自分の中の少しだけ残念な気持ちを打ち消すように、勢い良く立ち上がると帰り支度をする。


「帰ろう!京子」


「ど、どうしたの? そんなに勢い込んで」


「あ、えっと、じ、自分に気合いを入れてみたの」


「ああ、確かにこの雨の中を歩くのは気合いが要るかもね」


「そうでしょう」


「じゃあ、帰りますか」


京子の言葉を合図に傘を差して校舎を出るが、傘に当たる雨音のせいで会話すらままならない。徐々に濡れてぐずぐずと音を鳴らす靴が不快でどちらともなく早足で歩き進めると、手を振って別れた。びしょ濡れになって家にたどり着くと扉に茶色の封筒が挟まっている。鍵を開けて玄関で靴を脱ぐと、制服を脱ぎながら茶色の封筒を開ける。中に入っているのは手触りからして写真だろうか、不思議に思いながら取り出した途端、悲鳴を上げた。


「な、何、これ……」


 咄嗟に投げ捨てたそれを恐る恐る見ると、そこには間違いなく私が写っていた。スーパーで買い物をしている姿、玄関に入る後ろ姿、洗濯物を干している姿、京子と笑っている姿……一枚も前を向いていないそれらが全て盗撮されたものだと分かり血の気が引く。慌てて部屋のカーテンを閉め、着替えを持って洗面所に入る。理由も犯人も分からないまま、自分の日常が誰かの娯楽となっていたことに恐怖を覚えた。がたがたと震える音に、いつの間にか自分が座り込んで震えている事に気づいた。雨の音しか聞こえない部屋の中で誰かに覗かれているような気がして落ち着かない。


「そうだ、警察……!!」


 救いを求めるようにスマホを手に取ると、今まで押した事もない番号に電話をかけた。




 訪れた警察官に事情を話すと、心当たりを訊ねられたがそんな事が分かっているならこんなに怖くはない。ストーカー対策の説明を受けて、この付近の見回りを約束すると、程なくして帰っていった。もう一度部屋中の戸締まりを確認してようやく安心するとぶるっと身体が震えた。未だに濡れたままの制服を着ていたことに気がついて洗面所で着替え、お湯を沸かしてココアを飲んだ。外は既に暗くて、物音一つ聞こえない部屋に一人でいると、孤独に押し潰されそうになる。


 ふと、引っ掛かっていた疑問がするりとほどける。ここに引っ越してきてからの母と二人だけの生活はゆとりがなくて、誰かを招く事なんてなく、高校生ともなれば友人に家族を紹介することもない。初めて母の写真を目にした安西セイはただじっと見つめているだけだったが、きっとあの時彼女は母を確かに思ってくれていた。どんな感情があったのかは分からないし、知りたいとも思わない。だけど、母を知ってくれている人がいた、たったそれだけの事が今の私には救いになっていて、憎んでいるはずの彼女の傍にいたいと思える理由だった。


 雨が一段と強まる音が聞こえ、時計を見ると随分時間が経っている。スマホの天気予報を開くと確かに一週間傘マークが続いていた。もうすぐテストも始まるし、勉強に取り組むには良い機会かもしれない。現実から逃げるように鞄を開けると、課題を取り出した。

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