第6話 殺意の出会い (6)
前書き
二人目のフォローの方、フォローありがとうございます!
そういうわけで (どういうわけ?) 本日も二話連続の更新です。
※ 今回の話には少し残酷な表現があります。
苦手な方はご注意下さい。
◇
平日の午前中というのに、繁華街の大通りはそれなりに混んでいた。道行く人にぶつからないように気をつけながら、さりげなく後ろに気を配る。何の変哲もないビルの一角で足を止めると、思わずといった様に夕貴が顔を上げる。
「この三階なの。少し休まなくても大丈夫?」
こくりと頷く夕貴を確認して中に入ると、ひんやりとした空気と外界から切り離された様な静寂に包まれる。階段を上ると”神山総合事務所”と書かれたプレートがドアの前に貼られている。
「いらっしゃいませ。あら……」
「おはよう」
広々としたエントランスの先に受付があり、受付に座っていた女性が私の姿を確認した途端、表情を崩して微笑んだ。壁も床も天井も明るい同一色で揃えられた室内は小さくクラッシックが流され、カウンターには花瓶が置かれている。ちらりと奥を確認すると、彼女が仕事用の笑顔で私を迎えた。
「随分久しぶりですね。
今日はどのようなご用件ですか?」
「社長に依頼なんだけど、いるかしら」
「ええ、奥へどうぞ」
「ありがとう」
両サイドにある幾つかのドアを無視して歩き進める私の後ろを、夕貴がおっかなびっくりといった様についてくる。彼女の歩調が少しだけ早いことに気がついて歩くペースを落とすと、一番奥の社長室のドアをノックした。
「どうぞ」
中からの返答を待ってドアを開けると、雑居ビルとは思えないような高級感溢れる室内の奥のデスクから一人の女性が出迎えてくれた。落ち着いた色のスーツに身を包み、穏やかに微笑む女性は私より年上のはずなのに、年齢をまるで感じさせない。清楚にも妖艶にも思える不思議な魅力を持った彼女を見た途端、後ろで夕貴が見とれるのが分かった。内線で連絡があったのだろう、それほど驚いた様子のない彼女は私を素早く頭から足先まで確認すると、奥の夕貴に視線を移して微笑んだ。
「いらっしゃい。
半年前にクビになった人が訪ねてくるなんて、どういう風の吹き回し?」
「仕事を頼みに来たの」
「そう、それなら伺いましょうか。
ところで、依頼人はそちらの可愛らしい方かしら」
「いいえ、私」
私の言葉が意外だったらしく、少し眉が上がる。彼女が面白がっている時の癖だ。内心顔をしかめながらも、平静を取り繕う私の胸の内を見透かすように女性は「とりあえず座って」と中央のソファーに案内した。私の隣に座った夕貴に女性が名刺を渡す。
「神山、麗さん?」
「ええ、宜しくね。お名前を聞いても良いかしら」
「立野夕貴です」
夕貴の名前を聞いた途端、一瞬私に視線が向かう。お互い何も言わなかったが、麗の目は楽しそうに細められていた。受付にいた女性が三人分のコーヒーをテーブルに置き、部屋を出てから麗が口を開いた。
「それで、依頼の内容は?」
「私を殺してほしい」
「………具体的には?」
「なるべく早めに、なるべく苦しむ方法で」
「それはまた思いきったものね」
苦笑する麗はコーヒーを手に取り、ちらりと隣を見る。視界の隅で息を潜めるように夕貴がじっと私を見つめていて、その表情はひどく困惑している。
「この子を連れてきた理由は?」
「彼女に依頼を見届けてもらうため」
ここに入る前に確認した事を伝えると、麗が夕貴に視線を移した。
「夕貴ちゃん、人が死ぬということを目の当たりにするのは結構大変よ。あなたにその覚悟はあるかしら?」
「………はい」
「この契約が交わされた場合、キャンセルは一切出来ないわよ」
「構いません」
「そう」
真っ直ぐ見返しながら返事をする夕貴に麗が僅かに微笑む。
「五百万で」
麗が私の本心を探るように視線を送った。これが最後の分岐点だ、今なら引き返せる、そう思うし、彼女も暗にそう伝えている。だけど、あの人を失った今、元々生きることに希望を見いだせなかった人生にこれからも意味があるなんて思えない。
ここに来る前に立ち寄った銀行から引き出した札束をテーブルに置くと正面から微かにため息が漏れた。
「分かったわ」
了承の返事のどこかに、呆れを含んだ口調があったのを聞こえない振りをした。彼女が現金をデスクの金庫にしまうのを見て、契約してもらえた事への安堵のため息を小さくつく。
「それじゃ、お願いね。
帰りましょう、夕貴」
立ち上がって声をかけると、夢から覚めたような表情で彼女が勢いよく立ち上がる。
「ちょっ、ちょっと待って」
「何?」
「私、全然納得してないんだけど!」
「?」
「あなたと神山さん知り合いなんでしょう。
どうやって信用しろっていうのよ」
「夕貴ちゃん」
麗が座ったままにこりと笑いかけた。先程までのものと違う営業用の張り付けた笑顔に、密かに警戒する。
「私達の仕事は信用が第一なの。お金を受け取った以上、依頼は確実にやり遂げるわ。
…………それが例え大切な人の命を奪うことでもね」
がらりと変わった彼女の雰囲気に気圧されたように夕貴が僅かに後ずさる。さりげなく夕貴を背後に庇うよう立つ私と麗の視線がぶつかった。
「その子に随分肩入れするのね」
「そういう訳じゃないわよ。
私が死ぬのを見届けてもらわないといけないから。
ただそれだけよ」
「そう。
それなら夕貴ちゃんに私の腕を見てもらう相手役になってくれる?」
剣呑な雰囲気に怯えた表情の夕貴と目が合う。彼女をここから早く連れ出すには、麗の茶番に付き合うしかないだろう。
「どうすれば良いの?」
「包帯を外して左手をテーブルに」
麗の目的を理解すると、包帯をほどいて手のひらをテーブルに乗せる。手のひらの赤黒い傷を見て麗が夕貴に訊ねた。
「あなたがこの傷をつけたの?」
無言の夕貴の顔色は悪く、不安の色がありありと浮かんでいた。そんな夕貴に楽しそうに麗が言葉を続ける。
「あなたみたいな子供がおもちゃなんて持つものじゃないわよ。とりあえず、私の仕事を信用してもらえる様努力してみるわね」
手のひらをテーブルに押し付けた麗が私を見る。にこりと笑うその手にはいつの間にかアイスピックが握られていた。
「……ぐっ!!」
「きゃあ!!」
容赦なく振り下ろされたアイスピックが手のひらに突き刺さる。鋭い痛みに歯を食いしばりながら思わず小さく声が漏れたが、夕貴の悲鳴が私の声を掻き消した。
「な、何するんですか!?」
「何って、あなたに私を信用してもらうためのデモンストレーションよ」
「だからって…………」
夕貴の声を遮るようにピックが引き抜かれ、指先に再び突き刺さる。夕貴が思わず顔を反らした。口に手を当てて目は涙がにじんでいる。
「夕貴ちゃん、あなた言ったわよね。
この子の死を見届けるって。たったこれだけの事に目を背けてどうするの」
「…………」
「自分が決めたことなら、きちんと見なさい。早くしないと左手は使い物にならないわよ。ほら」
最早立つことさえ出来ずにうずくまる夕貴の身体が酷く震えているのを見て彼女の限界を知る。
このままでは彼女の心が壊れてしまう。それだけは駄目だ…………
「夕貴」
痛みを感じさせないように優しく呼び掛けると、身体がびくりと震えた。涙でぐしゃぐしゃな顔を見て、少しでも安心させるように微笑みかける。
「私は大丈夫だから、こっちにおいで」
「………………」
血だらけの左手をテーブルに置いたまま、空いている右手を彼女に伸ばす。
「怖いなら、私に掴まって。
あなたはここにいてはいけない。早く終わらせましょう」
おずおずと近づいた夕貴を右手で抱き寄せると彼女の耳許で「大丈夫だから」と囁く。麗に視線で合図すると、もう一度ピックが引き抜かれ、溢れる血に夕貴の身体が強ばるのが分かった。
「私はこれくらいのことなら慣れているから。
一度だけ顔を背けないで、我慢できる?」
震えながら小さく頷く夕貴をしっかり抱きしめると、ぎゅっと服を掴まれた。痛みしか感じない左手をもう一度衝撃が襲う。彼女をこれ以上苦しめたくなくて、ぎりぎりと回される金属の感触と痛みを必死で我慢した。
「これで私の事を信用してくれたかしら?」
「………………は、い」
笑顔の麗に訊ねられ、掠れた声で聞こえた返事にほっとすると、ようやくピックが抜かれた。左手は真っ赤で、テーブルの上には血溜まりが出来ている。
「これを使って、セイ」
投げ掛けられた厚手のタオルを受け取り、左手をぐるぐる巻きにすると、隣の夕貴を見る。
「夕貴、終わったよ」
虚ろな瞳の夕貴は返事すら出来ないようで、立ち上がる気力もない。ぐったりとした彼女を抱きかかえると、麗が社長室のドアを開けてくれた。
「先生に連絡しておくから診てもらってね」
「分かった。ありがとう」
夕貴を抱きかかえたまま事務所の受付を抜けると、ようやく人心地ついた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます