第24話

 彼の王子は呪いで眠った姫を目覚めさせ、彼の少女は凍り付いた少年の心を溶かした。

 古今東西、さまざまな本で恋は語られ、沢山の読者がそれを読み、こんなふうに恋がしてみたいものだと、自己投影しては本を閉じる。そしてそれは私も例外ではない。それを否定するつもりはない。けれど、いざ自分がそのような、そう、恋をしてみたとして、恥じたり動揺したりすることなく、どうしてそれをすんなり受け入れられるのだろうか。

(気付いたわ。恋をしているのね)

 心の絡まりを取るのに精いっぱいで、六歳から今まで学生生活の中で、初めて授業についていけない。と、後ろの子に紙切れを渡された。

『今日の昼休み、ひとりで屋上まで来て 江連』

 きっかし二十四時間ぶりに訪れた屋上から見える空は、薄い雲に覆われていて、けれど明るかった。湿気の少ないさわやかな風が、スカートを揺らす。先客はそれぞれ好きな場所に座り込み、ベンチは埋まっている。さてどうしたものかと考えていると、手すりに体をもたれさせている江連君が、手を振っているのに気付いた。

「ごめんね、突然呼び出して」

「いえ」

「ちょっと手品やりたいんだよねぇ。見てくれる?」

 どういうこと? と小首をかしげると、彼は私の手を取って胸より少し下のところで皿をつくる。と、その上に江連君のポケットから取り出したハンカチを乗せる。「いくよ」と言って、三から始まるカウントダウン。一、の瞬間に、彼はハンカチをそっと外した。

 造花だった。

「……」

 白くて、小指の爪の半分くらいの花弁を付けている。驚いて何も言えなくなっている私に、江連君は言う。

「好きなんだ。俺と付き合ってくれないかなぁ」

「えっ」

 いつもみたいなふざけた口調だったけれど、仰ぎ見た彼の目は真剣そのものだった。花とそれを見比べる。告白されたのはこれが初めてではないのに、どうしてこんなに、胸がざわめくのか。

 知れている。私はもう、冷たいままでいたくないのだ。

 深呼吸して、頭を下げた。

「ごめんなさい」

 そういうと、彼は分かっていたように「振られちゃったー」と笑いだした。驚いて顔を上げると、彼は先ほどまでの真剣さが嘘みたいに消えていて、いつも通りの、道化のような彼に戻っている。あまりの変わりように、ついていけない。

「でも駄目だよ、気まずくなんないでね。俺そういうの普通にへこむから」

「え、ええ」

「まあ黒澤さんなら大丈夫……でもないか」

 何かを知っているように、彼はあっはっはと笑う。なにが面白いのかはさっぱりわからない。

「……ねえ、どうして、私に告白したの?」

「したかったから。というか、じっとしていられなかったんだよねぇ。好きでい続けることってたぶん簡単なんだとおもう。けどやっぱり、人って、前に進まなきゃ、生きられないんだと思うんだよね」

 まるで用意していたようによどみなく答える彼の見つめる先には、私が手にしている花があった。

 子供の頃に読んだ植物辞典。ブライダルヴェール。花言葉は、『幸せになって』だったろうか。気障で、ひどく照れくさかったけれど、これが江連君が言うところの、前に進むということなのだろうか。ならば、「努力するわ」と小さく呟いた。

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