第23話

 放課後に図書室に入ると、いつもの席には上島君がいた。

 奥の席には先生が、今日も読書にいそしんでいる。

「先生、こんにちは」

「来たのね。そうそう、この前話した図書便りの件だけれど」

 鞄から筆記具を出してメモを取る。こういう話し合いだけがずっと続いてくれたらいいのにと心から思うけれど、そうはいかないだろう。新刊の紹介。簡単な読書感想文を掲載しないといけない。図書委員に頼むか文芸部員に頼むか……取りあえず連絡を回さなければならないのは確かだ。職員室にクラスの図書委員への連絡をお願いしてから、私は自分の分だけでもと、新刊のうち一つを手に取る。下校時間までに読めなければ、自分で借りればいいだけの話。上島君への挨拶もそこそこに、私は読書を始める。

「今日、原さんと琢馬いないよね。何か聞いてる?」

「知らないわ」

「原さんが連絡もなしに来ないなんて、初めてだよね。何か聞いてるの?」

「いいえ」

「そうなんだ」

 沈黙。

「あ、そういえば、何の話だったの、さっきの」

「図書便り。二か月に一回出してる図書委員の広報よ」

「俺、何か手伝えるかな」

「いいえ。今のところはないわ」

「そっか」

 沈黙。

 十分。十五分、二十分に一回。彼は何でもないような話を私に振り、そして私が質問を閉じる。それを何度繰り返しても、彼は下校時間まで質問を辞めることはなかった。お陰様で読み終わらなかった。何のいやがらせだろうと思いながらも、無視できない私はいったい何なのだろう。無視できないくせに、どうして私は会話を閉じてしまうのだろう。気持ちが悪い。話したいのか、話したくないのか、自分の気持ちが酷く不明瞭で、こんなこと今までに一度もないと言ってもよくて、ああ、本当に、気持ちが悪い。

 この感情の名前を私は知っている。

 私は気づき始めている。

「その本、借りる? もうパソコン閉じちゃおうと思うんだけど」

「いいわ。自分でするから」

「そう。じゃあ片付けする」

「あ」

 あなたがやると、またカーテンが何処か空きっぱなしになってしまうわ。そういつもの癖で言いかけて、口を噤んだ。どうでもいいことだ。さっきから意地になっている自分が酷く子供っぽくて、嫌気がさしてしまいそうだ。なに? と首を傾げた彼の目を見てしまいそうになって、急いで逸らした。「なんでも、ないわ」

『突然メールしてごめんね』

『起こしちゃってなかったらいいんだけど』

『体調悪かったみたいだから。無理しないでね』

『大丈夫よ。ありがとう。』

『心配かけてごめんなさい。』

『あなたこそ、膝は大丈夫?』

『そっか、よかった』

『大丈夫! お風呂ちょっとしみたけど…』

『もしも悩み事があったら教えてね! 私達、友達だからね!』

「友達、だからね、と」

 ボタンを押して、ベッドに倒れこんでおなかにケータイを乗せる。なんと返ってくるのかはわからないが、それでも、彼女が何で悩んでいるのかは分かっている。明希に連れられて行った保健室での、先生とのやり取りを思い出す。

「私達、友達だよぉ……」

 そうつぶやいた声がにじんで、鼻の奥がつんと痛くなる。振られてから初めて出てきた涙。何がトリガーになったのかは分からないけれど、ようやく出てきたそれは、ボロボロとすぐに止まってくれそうにはない。

 こうなると思っていた。予感していたのに。ああ、なんて愚かなんだろう。

「恋だ」

 ようやく、ようやく、胸の中のたくさんの水たちは流れ出す。

 ようやく、ようやく、ずっと沈めていた感情たちが、顔を出す。

「やっと認められるよ」

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