第15話

(最悪)

 履修者の少ない科目は後回しにされ、三限と五限に中休みができてしまった。最悪のパターンである。早めの昼食をとるためにコンビニに出ていく者も少なくないが、お弁当もあるし、なによりまだおなかもすいていない。自習の時間にしようと図書室に向かうと、後ろから声を掛けられた。

「原さん」

「……江連先輩」

 軽く制服を着崩した江連先輩が、相変わらず人懐こい顔でこちらを見ていた。少し心がそわそわする。

「原さんは考査、もう終わり?」

「いいえ、今から自習です。五限まであるので」

「それ最悪のパターンじゃん」

 あはは、と笑った先輩は今日の考査はここまでらしく、いつもよりも少し小さな、まるで遊びに行くみたいな鞄を抱えていた。といっても、男のひとと遊んだことなんてないから、男のひとが遊ぶときどんな鞄を持っているのかなんて知らないのだけど。

「俺も勉強しよっかなー。古典やばいんだよね」

「学校で、ですか」

「んーどうする? 原さんさえよかったら今からご飯食べに行かない? おごるよ」

「いや、でも」

「まあマクドになるんだけど。嫌なら断ってくれていーよ」

 江連先輩とランチ、思いがけないラッキーに時間割を組んだ先生に感謝すらした。「ご一緒していいんですか?」と言うと、彼は勿論といって、にかっと笑った。胸が苦しい。幸せすぎて吐きそうだ。

 かくして先輩とのランチ権を手に入れた私は、歩いて5分のファストフード店、というかマクドナルドに入る。同じような考えをしたうちの生徒で、お昼前だというのに大繁盛だった。

「すごいひと」

「別の店にする?」

「いえ、お時間あるのでしたら私はここで大丈夫です。お昼休み含んで、二時間暇なので」

「ああ、つくづく嫌だよね、四限自習って」

 今日の私はそうは思ってないけど。と思いつつ苦笑いを見せる。

「何食べる? 俺がっつり行くつもりだから普通に頼んでね」

「え、あ、はい!」

「原さんってマクドとか行かなさそうだよね。アップルパイのクーポンあるんだけど、いる」

「じゃあいただきます。割と行きますよ。塾の近く、居酒屋とマクドしかないので」

「へえ……。ってことは、駅前かな。俺の知り合いもその辺の塾なんだ」

 塾名を告げると、じゃあその隣の塾だわ。といってきた。「あのあたりは、塾が密集していますからね」と笑うと、そうだねぇと彼も笑った。

 他愛もないことをずっとしゃべっていると、私たちの番が来て、そんなに時間が経っていたのかと驚いた。

「二階か、三階でいい?」

「はい、大丈夫です」

 さりげなくトレーを奪われる。何も持つものがない私は鞄だけでも預かろうと口を開くが、どうしたのって感じで首を傾げられると何も言えなくなってしまった。すでにいっぱいいっぱいで、ハンバーガーなんて食べられるかわからない。

 三階の端っこに空いたスペースに腰を下ろすと、彼はさっそくジュースにストローを刺して飲み始めた。

「ポテト、Lサイズにしたから一緒につつこっか」

「はい。いただきます」

「いただきます。めしあがれぇ」

 包装紙を剥いで食べる。いつもなら何とも思わないけれど、なんだか今日はすごく美味しく感じる。……というのは嘘だ。緊張しすぎて味なんて感じなかった。

「そいやさあ、原さん」

「はい」

 彼の方のトレーには、ハンバーガーが二個乗っていた。男の人ってやっぱりよく食べるんだぁ、とぼんやり考えてしまう。ちなみに手には期間限定のバーガーが掴まれている。

「最近柾、ちょっと変なんだよね。変、っていうかどちらかというと華音ちゃんが変なんだけど」

「すみません。最近委員会、行けてなくて。上島先輩とは全然会ってません」

「そっかぁ。じゃあいいんだけど」

 なんだ、そういう話をしたくて私を連れ出したのか。と少しがっかりする。がっかりというかなんというか。初めから期待している方が悪いというか。愚かというか。

「柾さあ、多分黒澤さんのこと好きなんだよ」

「はい?」

「こういうのは女の子のが気づくっていうけどさぁ。柾、今年になってちょっと、変わったんだよ。本音を、少しだけ、見せるようになった。隠すのが下手になったともいえるけど」

「そう、なんですか」

 江連先輩って、誰が好きなんだっけ? 明希先輩じゃなかったっけ? つまり、どういうこと?

「そんな深刻な顔しないでよぉ。俺はうれしいんよ、ほんとに。柾ってあんまり自分のこと話してくれないし、ねえ」

「先輩は、どうするんですか?」

「どうもしないよ。だって選ぶのは、黒澤さんでしょ? 俺は変わらずにいるよ。ただ、中間発表っていうか、黒澤さんが原さんに、柾の事しゃべっていたらさ、わかるじゃん?」

「うーん、特には、聞いてないです。どちらの話も」

 なんだか、いやだ。

 心にどす黒い何かが、溢れて、流れ出しそう。

「そもそも先輩は、そういうお話を好みませんし」

 目の前でにこにこ笑っている、この人のことが憎い。

「ですからそのような話を、わたしから振ることもたぶんできません」

「そっかー」

「ええ、お役に立てず、ごめんなさい」

 沈めてしまえ。錘をつけてどんどん胸の、心の奥底に沈んで行って。私にも見えない、暗い、水底へ、光の入らない場所へ、誰にも引っ張り出せない所へ。

「いいんだよー、違う違う。ごめん。気にしないで。つまんない話しちゃったね!」

「すみません」

「ああ、それよりさあ」

 下らない話題を振ってくる。にこにこと表情はさっきまでとかわらない。

 少し芝居っぽい口調も、身振り手振りの多さも、さっさと嫌いにならなきゃいけない。どうでもよくならなくちゃいけない。

(何とも思ってない。わたしは、この人に対して何にも思っていないんだから)

 その思いにだけ、浮をつけて、引っ張り上げて、引っ張り上げて。

 沈めたおもいが、心の貯水槽の壁を破って、流れ出しそうなのを、こらえて。

(何も感じたくないの)

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