第5話

 手に持っていた最後の一冊を本棚に仕舞い、癖みたいなもので手を払う。スカートについた埃を払い、垂れてきた髪の毛を肩に乗せる。ふと周りを見てみると、同じ委員の三人は手ぶらでカウンターの近くで話していた。

「あ、明希先輩」

「今日はこれで終わりよ」

 大分打ち解けている様子の三人を見つつ、私はその中の一人の男子生徒を見つめる。上島君。昨日よりは目の下の隈も酷くないようだ。

 と、がらりとドアが開いて、廊下からショートカットの女子生徒が入ってくる。

「華音」

「柾。ごめんね今日、友達と帰るね」

「ああ、気をつけてな」

 小さく手を振って、それからドアを閉めて去っていった。その直前、私がふと彼女の顔を見ると、向こうもそれに気づいたのか、ぺこりと頭を下げた。……白目が、すこし赤かった。

「やっべえじゃん柾ー、華音ちゃんにふられるー?」

「あほか」

 冗談を言った江連君は蹴りを入れられ、「暴力反対なんですけどぉ!」といいながら図書室を去っていった。図書室では静かにしてほしい。それを伝えられなくて、私の口からはため息が漏れた。それに続いて、今度は原さんが棚からスクールバックを取り出して、私と上島君に向かって一礼した。

「すみません。本当は当番も手伝いたいのですが……」

「ん? 塾か何か?」

「はい。テストが近いので。失礼します」

 もう一度頭を下げて、彼女も図書室を去った。

「まっじめだなー。まだ二週間もあるのに」

「そうかしら?」

 カウンターの席に座る。栞を挟んでおいていた本を取り出して、読み進める。とたん、図書室にあふれる小さなざわめきも、運動部の練習の声も、吹奏楽部が奏でる音も、小さく遠くなる。

「これ」

 不意にしたその声。貸し出し? と口が言う前に、声の主らしき者の手が私の目の前に出される。「……なにかしら?」目を上げると、案の定、上島君だった。

「プレゼント。華音にやろうかとも思ったけれど、やっぱ黒澤さんのほうが、きっと似合うからさ」

 そっと手を伸べると、ころんと落とされたそれは包装もされていない口紅だった。それと上島君を見比べていると、困惑と受け取ったのか、彼はこう付け足した。

「バイトで女の先輩にさ、もらったんだよ。彼女かなんかに上げろって。綺麗な赤だからさ、童顔の華音には、多分似合わねえと思うんだ」

「あら、そう」

 口紅なんて、したことが無いわ。そう言おうかと思ったけれど、それがどうしたという話だ。

「あ、いや、いらねえなら、捨ててくれて構わないよ」

「いいえ、そうではなくて」

 言うべきか、言わざるべきか。そう思いつつも私はこれは言うべきことだと判断して口にした。

「それでもこれは、彼女に渡すべきだと思うわ」

「彼女って、華音?」

「ええ」

 参ったなあ。という顔をして、彼は頭を軽く掻く。「だってなんか、最近機嫌悪いっぽいんだよなあ。機嫌悪い華音、ちょっとめんどくさくてさ」って、なんでこんなこと言ってんだろうな。そう言って笑う彼にかすかな失望と希望を見た。あれ、どうして私はいま、後者の感情を抱いたのだろう? それがわからなくて、私の発言の理由をいえなくなってしまった。……どうして?

(そうか。異性からプレゼントを、こんなに自然に、では無いけれど。こんな風にしてもらうなんて初めてだからだわ)

 そう結論付けて、一人で納得してしまった。なら今この口紅をつき返してしまうことは簡単ではあるけれど、いけないことのような気がして、手の中できゅっと握り締めた。

「いただくわ。大事にする」

 まだ困ったような顔をしていた彼にそう告げると、彼はにぱっと笑って「そうか」といった。何かをいっていないような気がして、自分の言葉の引き出しを開けて回る。ああ、そうだ。

 ロッカーから鞄を出して、今まさに帰ろうとしていた上島君に、私は声をかける。

「ありがとう」

 彼はそれをきいて軽く笑って、それから手を振って去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る