第3話
ホームルームが終わって、放課を告げるチャイムが鳴る。それと同時に、昨日決められたクラス委員長が挨拶を求めた。俺は軽く頭を下げ、そのまま机を後ろに運ぶ。ギャリギャリ、ともキイキイ、ともつかない音が教室を包んだ。掃除当番に当たっていない俺は、鞄を肩にかけてそのまま教室を出る。
「柾!」
廊下に出ると、パタパタと小走りで華音が近寄ってきた。「今日は、一緒に帰れる?」百五十センチあるかないかくらいの華音は、男子の平均身長の俺を首が痛そうなくらいに見上げてそういった。まるで犬みたいだ。マルチーズ、だっけか。あんなのみたいに見える。
「ごめん、今日は図書室行かなきゃなんだ」
「遅くなる?」
「多分」
だから、先帰っててくれ。そう告げるとあからさまにしょげた。そういうところも犬みたいだ。小動物っぽい。
「わかった。大変なんだね。がんばって」
「ん」
ぽふぽふ、と癖っ毛をなでながら、教室の時計を見る。そろそろ行かないと。寝不足の体は今日も重いけど。
*
カウンター席の裏に、ダンボールが山積みになっていた。
重たそうな図書をいくつか抱えた黒澤さんがこちらに気づいて、たったまま説明する。
「それを運んでほしいの。もう登録は済んでいるし、それだけの本を入れるスペースは確保してあるから、あとはこれを本棚に入れるだけ」
だけ、といわれてもそれもなかなかに面倒な作業じゃないか? ため息をつきそうになって、やめる。女子ががんばってるんだから、俺ががんばらなくてどうする。取り合えず荷物を置くか、と中に入ると、原さんも本を抱えていた。横にあったロッカーに鞄を入れる。まだ俺たちだけしかいない。
いくつかの本をダンボールから取り出して、運んで、本の背表紙の数字とカタカナにあわせて本棚に入れる。俺にもそれくらいはわかる。眠い体を引きずるようにそれを何往復か続けていると眩暈がして、本棚に入れかけていた本が手から滑り落ちる。「あ、」慌てて本を空中でとろうとしたとき、ふと白い何かが本をつかんだ。……黒澤さんの手。そのまま背表紙を確認して、本棚に入れた。
「気をつけて」
「あ、ごめん」
「……」
ふと見た彼女の眼光は鋭くて、俺の苦笑いが引きつる。ふいっとそっぽを向いて仕事に戻った。え、俺そんな怒らせることした!?
「……上島先輩」
「うわあ」
本棚の影からひょっこり顔を覗かせて、原さんはこちらを見ていた。まるで『家政婦は見た』だ。なんてくだらないことを考えていると、彼女は再び口を開いた。
「明希先輩、本適当に扱うとすごい機嫌悪くなるんで」
「あき?」
「黒澤先輩。委員長のことですよ」
ああ、明希っていうのか。
「気をつけてください。明希先輩、機嫌悪いと怖いから」
そう言って彼女は俺の横に立って、こちらも低い背を懸命に伸ばして本を本棚に入れる。俺も残った本を入れてダンボールを見る。気がつけばだんだん人も増えてきた。地面に置かれた鞄がとても、邪魔。単行本をいくつか持って歩いていると、ひょいっと数冊消えた。
「ごくろーさん」
「琢馬、」
にやり、と笑う琢馬はダンボールからもう何冊か本を取り出した。「これ、後ろの番号とカタカナが一緒のところに置けばいいんだよな?」ああ、と頷いたのをみて、彼は足取りも軽やかに本を運ぶ。アタック開始ってことか。はあ、とため息と欠伸を込めた息をついて、もう何冊か、俺も本を足す。これでダンボールに入った本はなくなったが、琢馬は丁寧に運んでくれるのだろうかと心配になる。
……でもまあ大丈夫か。ああ見えてあいつ結構几帳面だから。黒澤さんは彼に近づいて、一言二言会話を交わした。琢馬は終始にやけをこらえ切れてない、よくわからない顔をしていた。やれやれ。
「それにしても」
「ん?」
手持ち無沙汰になってしまったらしい原さんは、俺に何冊か本を分けてもらいに近づいてきた。
「どうしてそんなに眠そうなんですか? 昨日もちょっと、眠そうでしたけど」
「ああ、わかる?」
「……さっきからあくびばかりしてます。昨日もしてました」
じいっと見上げてくるその目は、黒澤さんほどではないけれどまっすぐだった。なんだ。本の好きな女は相手を見つめてしまいがちなのか。そんなことを考えつつ、自覚なしにしていた自分の行動を言われてすこし怖くなる。どんだけ見てんだこいつ。
「完全に無自覚だったわそれ。そんなにしてた、あくび」
「はい」
言いながら頷いた顔は少し不満げで、その理由も言わずに彼女は去った。なにが言いたかったのか。女は面倒だ。本を棚に入れて、のこりあと一冊。ふと周りを見回すと琢馬は、無表情で本棚を指差す黒澤さんに一生懸命に話しかけていた。琢馬が口を動かしている長さを十とすると、黒澤さんの口が動いている長さは一くらい。たぶんきっと、「ええ」とか「いいえ」とか、「わからないわ」くらいのものだろう。ファイトーと心の中でエールを送ると、黒澤さんの口元が僅かに緩んだ気がした。形のいい唇が、きゅっと、笑みを作る。
(うわ、ちょー綺麗)
それはいつもの、同い年とは思えないような雰囲気のそれではなく、ちゃんと、十七歳の微笑。
自分に向けたあの冷たい目線とは真逆の、柔らかいもの。
(なんだ。結構あいつ順調じゃんか)
やったな。そう思いながらもふと違和感を感じて、何なのかわからないそれと共に、俺は最後の一冊を棚に仕舞い込む。
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