第2話

 気を抜くと直ぐに出てくる欠伸をかみ切れず、ふああ、と情けない妙に響く声が学校の昇降口に響く。夜更かしでもしたの? とたずねてくる男。彼は毎日一緒に学校に来て、ついでに今年同じクラスになった「友達」だ。肯定してスニーカーから、歩くたびにぱたぱた音のするトイレのスリッパみたいな上履きに履き替える。

「今日はゲーム? チャット? それともメール?」

「残念ー、電話でしたー」

「どーせ華音ちゃんとでしょー? はあ、これだからリア充は」

 華音と電話していたのは事実。だが自分は「リア充」……彼の言うそれは本来の意味でのそれではなく、彼女がいるか、いないかということで分けられるそれだろう……と呼ばれるものではない。それでも周囲にはそう思われているようだし、なにより華音もそう思い込んでいるようだから、今は肯定も否定もしないでいようと決めている。それが優しさってもんだろう。

「ま、俺は画面の向こうに彼女いるからねえ! てか、柾は委員会とか入るの?」

「俺? めんどくさそうじゃねそういうの。琢馬は?」

 さらりとさびしいことを言った後の質問に俺がそう答える。と、ふふんと得意げに笑って俺の前に回りこんできた。いちいち芝居臭い奴だ。「受験勉強が本格化しない今やっとけば楽でしょー? 今やっとけば二学期三学期は免除されるし」

 そうか、そういう考え方もあるのか。……というよりは、そこまで計算していたということに驚いた。すると彼は気づいてなかったかねそうかねそうだとも、といわんばかりの表情で大げさにうなずいてみた。

「楽そうな委員会といえば、たとえば何だ?」

「ふふん、逆だよ逆。全部めんどくさいんだよ。消去法で考えないと。まず一番嫌なのが保健体育委員だろ? その次は正副委員長。集まりは特にねえけど集会のたびに人数数えるのがめんどくさいだろー? んで、次は……」

 次から次へと説明をしていくが、これまでホームルームをおしゃべりタイムにしていた俺はさっぱりなにを言っているのかわからなかった。そもそも、そんなに委員会があるのか。そういえば昨日話しかけてきた彼女……黒澤さんは、やはり図書委員に入っているのだろうか。

「なあ、図書委員ってだるいのか?」

「……お前、図書委員入るつもりなの」

 ちょっと意外そうな顔をして、それからにやりと笑う。「図書委員は当番があってなあ。まあたまーにしか回ってこねえんだけど、放課後つぶれるしだるいぞー? あと長期休業の間に本が追加されたら、休み返上して働きに来なきゃならなかったりする。……まあ? どうしてもっていうなら? 俺と一緒に入ってやっても良いけど?」

「おい」

「んー?」

「なにを企んでる?」

 一瞬驚いたような顔をしたと思ったら、直ぐにまじめな顔になる。

「誰にも言うなよ」

「言いたくなるようなことを言うのかよ」

「そうだよ」

「そうかよ。で、何だよ」

 黒澤さんっているだろ。あの美人の。いっつも図書室にいるかわいい子。

 俺あの人好きなんだ。

「言うなよ」

「あーどうしようかなー、華音に言っちまうかもー」

「最低ー! 見損なった! お前とは絶交だ!」

 はいはい、と苦笑いしながらホームルームのドアを引く。

 本心からでたわけでもない言葉を、今日も使って生きていく。 

 委員決めの時、図書委員の欄にしっかりと名前を書かれ(書いたのは俺ではなく、琢馬である)たこと以外には特になんの代わり映え無く放課後となった。今日も華音を待つか、と思っていたが、今日決まった委員は早速集まりがあるらしい。副委員や委員長を決めるのだという。図書室に入り窓側の席に腰掛、めんどくせえなあと思いつつも華音に先に帰るよう連絡を取ろうとする。が、ケータイをひらくと新着メッセージが入っていた。華音からだ。

『ごめん、体育委員押し付けられちゃった。先に帰ってて』

 ここには記さないがかわいい絵文字付き。俺も同じように可愛らしくデコレーションして『そうか、大変だな。俺も図書委員任されたから、終わったらメールして』と書いて送信。ほどなく返事が来て、『わかった! じゃあ後でね』だそうだ。ちなみに琢馬は、隣でアイドルを育成していた。

「それでは、図書委員会を始めます」

 生徒会執行部の気の弱そうな少女が、バインダーを持ってホワイトボードの前に立つ。「ではまず、出席を確認します。一年一組……」カンペどおりの台詞はどこかぎこちなく、耳に入ってきても頭まで入ってきにくい。二つ斜め前の席を見ると、黒澤さんが本を読んでいた。いつの間に入ってきたのだろう。さっきまでそこには誰も座っていなかったのに。隣にはおとなしそうなショートカットの女の子が座っていた。この子も、いつの間に来たのかわからない。

「三年四組」

「……両方出席しています」

 顔を上げずに発せられたそれは多分、もう一人の少女ではなく黒澤さんが言ったそれだろう。凛として、聴くものの心を研ぎ澄ますようだ。なんて思っていたら、隣で琢馬がうっとりとしていた。だめだこいつ。

「三年六組」

「両方出席してまーす」

 軽く手をあげてそう返事すると、生徒会の子は小さく微笑んで頷いた。六組で終わり。彼女はバインダーにペンを挟んで、緊張気味に司会を続けた。「今日は図書委員長一名、副委員長二名を決めます、」

 彼女はその後も言葉を続けたが、琢馬は急にそわそわしだして、俺のほうに椅子を寄せてきた。

「なあなあ、お前副委員長やれよ」

「はあ?」

 小声でこそこそ言っている要点を搔い摘むとこうだ。おそらく委員長は黒澤さんがやるだろう。そこで、本当は自分が副委員長をやりたいが、それではあからさま過ぎる。だから、友達であるおれが副委員長をやり黒澤さんと仲良くなり、そして友達として江連をアピールする。という計画らしい。

「あほか」

「たーのーむーよー! 親友だろー?」

「……では、委員長に立候補してくれる方はいらっしゃいますか?」

 す、と細い腕が斜め前で上がった。「やっぱり」と小さな声が隣から聞こえる。彼女は読んでいた本(昨日読んでいたものとは、また違うもののようだ)に栞を挟み自然に背筋を伸ばして生徒会の子を見つめていた。彼女はそれをみて微笑む。俺に向けたものとは違う、仲のいい友達に向ける微笑だった。仲がいいのかもしれないな。そのまま、立って。とジェスチャーで伝える。

「委員長は黒澤さんでよろしいでしょうか。よろしければ、拍手で承認してください」

 ぱちぱち、と拍手が部屋に響く。黒澤さんは立ち上がり、一礼した。そしてそのままホワイトボードの前に立つ。気のせいか、足を引きずっているように見えた。

「では、副委員長を二人決めます。性別と学年の規定はありません。立候補してくれる方はいらっしゃいますか?」

 一人、すっと手を上げた少女がいた。二年のブロックに座っていた少女。さっきと同じように拍手して、彼女もホワイトボードの前に立った。名前は原知佳というらしい。セミロングの、若干癖のある髪の少女だった。「では、もう一人いらっしゃいませんか?」しん、とする図書室。そこで、琢馬がはいはい! と手を上げた。ええっと、と名簿で名前を探しているらしい少女をさえぎる。

「上島柾君がいいと思います!」

「は?」

 机に乗り出してそういう琢馬を、信じられないという目で見る。「え、江連琢馬さん、着席してください。ええっと、上島柾さんがいいという推薦があるのですが、どうですか上島さん」

「え、えー、俺? 俺はあんまり、本とか、読まないし!」

「でも、このままだとどちらにしても、推薦になってしまいます……」

 困ったように言う少女に、俺まで困ってしまう。面倒はごめんだ。でも……ちらり、と横を見ると、琢馬は両手を合わせて必死に拝んでる。周りの視線はほとんどが俺に向けられている。前を見るとそこには女子が三人。確か図書を運んだりする業務も、図書委員がやるんだよな。琢馬の説明を思い起こして、俺ははあ、とため息をついた。ぱあっと琢馬の表情があかるくなる。俺ってば本当にお人よしだよな。

「……わかりました、やります」

「本当ですか! ありがとうございます」

 自分に直接関係無いのに、役員は本当にうれしそうにする。「えっと、では上島さんでよろしいでしょうか。よければ、拍手で承認してください!」

 生まれて初めて包まれる拍手の中、俺は図書委員の副委員長になった。

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