12 反攻
疾風のように鷹は飛び、広く清い流れへとたどり着く。
エルナたちはアドラーから降り、着地する。その直後、鋭い平手打ちがショーポッドを襲う。ショーポッドはとっさに躱そうと考えたが、そのまま痛みを受け入れる。高い破裂音がし、ショーポッドは頬を押える。
「なんで黙ってたのよ、そんな大事なこと!」
「それは……! しゃべってる暇無かったじゃない」
「あなたに言ってんじゃないわ!」
エルナが天を仰ぐ。
「バーンシュタイン! あのバカ。バカ!」
ショーポッドは飛んできた拳を、今度は受け止める。エルナの矮躯に見合わないほどの、重い衝撃を感じた。
「エルナ……悪いんだけど、八つ当たりはよして。あたしだって痛いし、つらいんだよ」
「あなたが? 笑わせないで」
それはショーポッドの、心からの言葉だった。恩人の大切な人。彼女が目の前でむざむざと失われたこと。そしてそのことでエルナがこんなにも心折れている様を見せつけられること。ショーポッドにとっては耐えがたい苦痛だった。
しかしエルナは、それを鼻で笑って呪詛を吐く。
「あなたに何が分かるって言うのよ。バーンシュタインのこと、彼女と私が歩んできた道のりのこと、そして刻んできた時間の長さの、何が分かるって言うのよ!」
「分からないよ。でも」
「そうよ。分かりようがないの。私と彼女の間にあった、信頼の重みなんて分かりようがない!」
「分からないよ……でも」
「なによ、バーンシュタイン! この期に及んで隠し事だなんて…………そのせいで死んだ? ふざけるのも大概にしてよ。なんでみんな! 私を置いていくのよ! どいつもこいつも黙って死んでいきやがって……全部分かった。そういうことだったのね。全ては泪の君の思し召し。そういうわけね。バーンシュタインまでそれに呑まれてたって言うわけね。もう分かったわ。ふざけんなッ! それが泪の君の意思だって言うなら……私だってこの場でそうやって溶けてやるわ。ルーシュンに食われて暴れ回ってやる……! それが信徒の使命ってやつなんだから!」
「――エルナ!」
ショーポッドは大声を上げてエルナの怨嗟を遮ろうとした。しかし次の句が出てこない。
なんと声を掛けてやれば、この哀れな三百歳の少女が抱く孤独を癒やしてやれるだろう。三百年の積み重ねの中にあった信頼が脆くも崩れ去った、彼女の空白を埋めてやれるだろう。
ショーポッドには想像も付かないほどの孤独に違いなかった。エルナは今や、何もかもを喪ってただ一人。まるでゴミ捨て場に捨てられたショーポッドのように。
気付けば身体が勝手に動いていた。
ショーポッドはエルナを、強く抱きしめていた。エルナが息を呑む。総毛立つように身体が緊張している。
「なんのつもり」
「エルナ……あたしの目の前で、死んでやるなんて言わないで」
「突然なに。死ぬんじゃないわ、約定を果たすのよショーポッド」
「……バカ」
自暴自棄になるエルナに対して、震える魂からこぼれ落ちる諫言。
「泪の君とのそれより、先に守らなきゃいけない約束があるでしょ。忘れたとは言わせないよ、エルナ」
「バーンシュタインとのこと……? だってどうしたらいいの。ルーシュンが負けた。私に打てる手はもう……」
「あきらめんな……!」
ショーポッドは激情に任せて叫んだ。
「もう出来ることがないからあきらめる……だなんて、あんたらの絆はその程度だったって言うの、バカエルナ。バーンシュタインもそう。あんたの言うとおり大馬鹿だよ。あったこともないカミサマの声に従って、一番大事な絆を投げ打った。姉妹も同然のエルナとの絆をさ。泪の君とかいうやつの約定がなに。それに従うことに何の価値がある?」
「……何様のつもり。ぽっと出のあなたがバーンシュタインのことを悪く言うのは止めて」
エルナは唸るように言ってショーポッドを睨み付けた。しかし回された腕を振り払おうとはしなかった。そんなエルナの胸中を思ってショーポッドは涙しそうになる。唯一無二の親友に裏切られたと言っても過言ではないエルナの寂寥を、しかしそれでもバーンシュタインのことをまだ慕っている純粋さを。
ショーポッドは更に強くエルナを抱きしめた。三百年の孤独を、こんな宿娼婦の抱擁が癒やせるとは到底思っていない。しかしたとえ、どんな温もりであったとしても、全くの寒空にいるよりは遙かにましであることをショーポッドは知っている。エルナは自身を含めた泪の君の信徒たちを冷血と呼んだが、あれは嘘だ。エルナはこうして思慕に震えているし、バーンシュタインはショーポッドへの嫉妬に狂っていた。むしろ直情的とさえ言えた。
「その意気だよ。その目だよ。お互いの幸せを邪魔立てするやつはぶっ壊そうよ。使命ってやつなんかに千切られていい絆じゃないよ。大事すぎて夜も眠れなかった友達なんでしょ」
ショーポッドの胸の中で、エルナが震える。それはしゃくりあげるという振る舞いに似ていたが、エルナのそれはやがて悲しみの発露から、現状に対する焦燥を示すものへと変わっていく。
「……じゃあどうするっていうのよ。ルーシュンは負けたわ。アドラーにはあの塩を削るだけの力は無い。打つ手無しじゃない」
「いいや、エルナ。まだ後一匹、獣が残ってる」
「なんですって」
エルナははっと目を上げる。そしてショーポッドの顔をまじまじと見る。
「……あなたの?」
「新米だけども、一応あたしも信徒だ。獣を出そうと思えば、出せるはず。そうだよね」
「そうだけど」
エルナの目が、しかし可能性を模索して泳ぎ、やがてそれは藁のような僅かな希望をつかみ取る。
つい先刻、ショーポッドが墜落死しそうになったとき。
あのときショーポッドを受け止めた塩。その体積を思い出したのだ。
「確かに、あれを獣の形に出来たなら」
「いけそうな気がしてきたでしょ。だから、教えてエルナ」
ショーポッドは更に強く、エルナを抱きしめる。彼女の震えを止めてやれるように。
「獣の作り方。教えてよ」
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