安らぎが騙る。
旅路の手記
何も生み出せないことの辛さ。
どこにも居場所がないことの辛さ。
それらが生み出す手足の弛緩は何にも変え難い。
【隠眼】/荻原何某
…父にはいた。
父の言葉を余すことなく受け止めてくれる、狂うことを甘んじて許してくれる友がいた。いくら頭のおかしい言葉を呟こうが、彼らはそれを致し方なしと言って笑ってくれるのだ。往来の人々はそのかぎりではなかったけれど、父にはそれで、いや、狂人にはそれで充分なのだ。ただただ、自分の行動を諫ず頷き、時々死ぬ寸前で腕を引っ張ってくれる友人が、あの人は3人もいた。
実のところ両親でさえそうだ。
見ないフリで狂っていくことを許可している。それはつまり、
昨日、腕を切った。
薬の過剰摂取をした。
煙草を吸った。
それを首に押し付けた。
これらを暗黙の内に許していたということだ。
日常を普通に消費し通常の受け答えをしなくても良いと言われて育った父が、半狂乱でも存在を許された父は、このありがたさを理解していたのだろうか。
狂にふける彼は、畳の目を数え続けることの罪に気が付いたのだろうか。
随分長いこと、奥座敷に近づいていなかった。
佐々木氏から、死んでしまったことのように父の話を聞いている間は特に、近寄りたくなかった。自分の中で、優しい父を完結したかったのだと思う。自分を見てくれないことをきっと忘れたかったのだろう。佐々木氏もそれを感じ取っていたのか、何も言ってこなかった。ありがたいことなのか否かいまいちわからないけれど、心が平穏であるということはつまり、そういうことなのだろう。
佐々木氏のところに通うことが終わって、より父の存在を感じ取る機会が減ってしまった。
かろうじて存在していた気配は霧散した。
よかったと思う。
これで俺は健康な精神を手に入れられる、養うにはもう遅いが。それでもまだ間に合う。学生の阿呆を存分に堪能できる。はずだ。
しかしそれは、同時にあの道を諦めるということに、気付いていなかったのだ。
障子の穴から覗く金眼に。
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