第4話 アルケミエリアの暗部

 夜になっても明かりが存在するのは、アルケミエリアの特徴でもある。

 交流のあるほかのエリアは一つしかないが、規模はこちらの方が大きいし、何よりも技術の発展が早かった。そのため、電気を中心としたライフラインは強固なものになっている。ただし、雷の多い場所でもあるので、その対策も必須だ。


 夜は夜だ。

 明かりの数もそれほど多くはない。


 人気を避けられる場所は点在しており、そのうちの一つでキゴンニは定時報告を受けていた。

「実力の一端は見えた」

 やや低く、作ったような声色。黒色のフードで顔と躰のラインを隠している相手は、声で女だとわかる程度のものでしかない。

 もっとも、その隠蔽いんぺいだとて外に向けてのもので、二人は顔見知りだ。

「おそらく、ランクC」

「わかった、通達しておく。緊急でも気にせず連絡を入れろ」

諒解アイコピ

 服の裾をひるがえすようにして、その場から消えたのを見送りもせず、キゴンニは煙草に火を点けた。


 学園側からの要請もあるが、あのエーリエという人物には謎も多い。

 何故ならば、経歴と呼ばれるものが一切ないからだ。


 十数年、生きているだけで必要なものは多くある。アルケミエリアか、もう一つのエリアか、いずれにせよ痕跡を完全に消すことは不可能だ。それはエリアの暗部を担っているキゴンニたちが、よく知っている。

 危険人物の可能性アリ、そう要請されれば初動は作る――そういう取り決めだが、その結果が〝不明〟ともなれば、彼らも継続せざるを得ない。


 ただ、気になるのは。

 間近にいる彼女が、あまりにも不安そうな顔をしていたことだ。


 年齢も近いこともあって、兄妹のような感覚で育った。言葉にせずとも伝わることは、それなりにある。

 特に報告では、何がどうと、詳細は避けて短く、お互いの名前や関係を知られないようにするのが一般的だ。彼女もこちらを兄と呼ばないし、妹のような扱いもしない。

 ビジネスとプライベイトは、区別する。

 ――のだが。

 まあ。

 ほかの人員からは、楽しそうにやっていると報告を受けているのに、浮かない表情というのは、果たして何故か。


 短くなった煙草を、携帯用灰皿に落として、ぱたんとふたを落とす。


「一応、上に連絡をしとくか」


 そう言って、ポケットに灰皿をしまった瞬間であった。


 ぽん、と。

 壁から背中を離した刹那せつな、背後から肩に手を置かれた。


「――やあ」


 瞬間的に逃げようと動く躰を、キゴンニは強引に押しとどめる。


 


 ナイフの切っ先が既に、あごの下に刺さっているのを感じた。


 対象は既に寝ていると、先ほど報告を受けたばかり。気配を掴むのが上手い彼女が、ミスをしていた現実。


「気配を残しておく、なんてのは常套じょうとう手段だ。どうやるのかは内緒だけどね」

 声の振動で、僅かに切っ先が揺れ、皮膚が切れる音が聞こえるようだった。

「本来なら、君が上役に接触するのを辿ろうと、そう思っていたけど、面倒になってね。それほど重要なことじゃないから、君でいいかなって。――

 まったくだ。

 本当に運がない。

 近くにいたのに気配すら掴めず、ここまで接近されたのなら、お手上げだ。

 ランクCだって?

 ――こいつはもっと、上だ。

「報告を聞くよりも、こうして現場で見た方がわかることはある。君が下手を打って死ななければ、良い経験になるだろう」

 しかも手慣れている。


 こういう場面で脅す時に、ナイフを突きつけるのは、有効だ。もちろん、ここまで接敵することは前提となるが、それはさておき。

 喉や首、あるいは今回のよう顎の下など、それほど深くなくても致命傷になりやすく、それでいて身動きを封じることが容易い箇所は、有効ではあるものの、視認が難しいことが問題となる。

 やられる方も、やっている方も、ナイフがどこにあるのか見にくい。

 距離感が掴みにくい。


 回避方法としては、ナイフと首との間に手を入れながら、躰を捻るか、背後への打撃を前提として、相手の腕を掴むこと。


 しかし。

 脇の下から突き上げられたナイフは、既に皮膚を貫いており、キゴンニがどの行動をとったとしても、ナイフが刺さる速度には勝てない。


 ごくごく自然にこの状況を生み出せるのなら、ランクBか、それ以上。

 といっても、このランク付けだとて、彼ら特有のものでしかないのだが。


「さて、じゃあ質問に答えてもらおう。安心していいよ、嘘を混ぜても構わない。――。次は君よりもっと上へ、ね」


 できるのだろうか。

 それとも、彼はのだろうか。


「学園から依頼を受けたんだろうけれど、それだけじゃないはずだ。君たちは荒事や、汚い仕事を請け負う――暗部と、通称される連中で合ってるね?」

「……そうだ」

 喉の震えも危険だ、ちりちりと熱を感じるくらいには痛みもあるし、液体が喉を伝う感覚もある。

 質問にはできるだけ答えなくてはならない。主導権は彼に、エーリエにある。だが余計なことを言えば、殺されるだろうことは確実だ。

「僕のことも調査したはずだけど、どこまで知ってるのかな?」

「なにも。――強いて言うなら」

 危ない。

 何もないと、事実だが、断定すると隠しているようにも聞こえてしまう。

「痕跡の一つも発見できていない」

「うん、それでいい。君はこの状況をよく理解している。じゃあ次だ、僕の目的に対して、どの程度の脅威を抱いている?」

「存在しない、それが共通認識だ。しかし、仮に存在するとして、今の均衡を崩されることには警戒を抱いている。脅威そのものは、今の俺以上に感じていない」

「上手いことを言うね。まあでもそうか、一人でできることなんて、たかが知れてる。だが覚えておくといい、僕のように守るものがない人間もいる。経歴がないとは、


 そもそも、このエリアのルールを守ってやる義理はないのだと、そう伝わった。


「最後だ」


 言えば、僅かにキゴンニは緊張して、その言葉に耳を傾けてしまう。


。君が抱くのは


 それが聞こえたと思った直後にはもう、あごに痛みだけを残して、人の気配は綺麗になくなっていた。

 大きく、深呼吸をしながら煙草を取り出し、壁に背を預ける。


 ――助かった。


 煙草一本の時間だけでも、その事実だけを実感したい。


 その後のことだ、彼がこの件について、ほとんど何も教えられない現実に気付くのは。

 強制認識言語アクティブスペル

 術式によって打ち込まれた楔は、面倒な手順を踏む洗脳や信仰を言葉によって埋め込まれる。

 解除方法もあるが、彼はそれを知らない。

 できるのは、危機喚起かんきだけだ。



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