第3話 屋敷を管理する一人の侍女
結局、ミーシャは打開策と呼べるものを発見できなかった。
訓練場の使用時間を終え、また自由時間になったのだが、教室に戻るのではなく外を歩きながら思い返せば、エーリエは性格がそれなりに悪い。
「五秒ね」
対策できたのは、アカインクだけ。
術式の構成を妨害されるから、
そして。
「だったら僕はこうしよう」
距離は十メートルよりも離れていたのに、姿を見失ったと思った直後、おそらく一秒未満、既に左足で停止する姿があり、掌が突き出されるまでに、多く見積もっても三秒。
それで、パペットの胸部に穴を空けるよう腕で貫いたのだから、言葉もない。
五秒を作り、対策させて、じゃあもっと短い時間でやればいいと、乱暴だが単純な解決策を提示された。
術式の妨害もそうだが、何の術式も使っていない体術で、目で追えない状況にミーシャは疑問を覚えた。
ラングが好奇心で特別クラスにいるのなら、ミーシャは問題の追及をした結果になるのだろう。それは難しいパズルをやっているのと同じで、疑問や課題を達成するためにする過程が好きなのだ。
答えを聞きたいわけではなく。
答えにたどり着きたいのである。
しばらく歩いてから、噴水のあるベンチに座ろうとして、ふいに。
屋敷が近くにあったはずだと、学園の敷地内を歩く。今は授業中なので人気はないし、少し気温が高いので、通り抜ける風が心地よい。
学園に存在する屋敷には、魔術書を中心とした本が集められており、一人の管理人がいる――と、そう言われているし、事実なのだろうけれど、屋敷そのものの位置はわかっても、発見できるかどうかは別問題だ。
遠くからは見えるのに。
近くにいくと何もない。
それが屋敷の特徴である。
どういう理屈かは、わからない。その場所に空白があるわけでもなく、光景としては当たり前なのに、屋敷という存在がそこにない。
ない、という認識があるのに、それをおかしいとは思わない。
ともかく当たり前なのだ。詳しく解析しようと思わないほど。
しかしその日。
初めて、ミーシャはその屋敷を発見した。
不思議だったのは、今まで見たこともなかったはずの屋敷なのに、発見した際に、驚きがまったくなかったことだ。
それこそ、あるのが当たり前だと。
庭にあるテーブルに、エーリエと侍女がいた。
「え、なんで」
さすがにそこには疑問を抱いた。
「やあミーシャ、一緒にどうかな。いいだろうアクアさん」
「ええ。どうぞお客様、紅茶と茶菓子もありますよ」
にっこり笑顔。スカートも長く、ヘッドドレスも軽い装飾しかされていない、機能性重視の侍女服。胸元には青色の宝石をあしらったリボンをつけていた。
「じゃあ失礼します」
ちょうど三角形を描くようにテーブルを囲う。紅茶を一口、だいぶ上品だった。
それから名前を交換して。
「ええと、エーリエはよくこちらに?」
「たまにです。話し相手になって貰えて、私としては嬉しいです」
「彼女は人の相手をするのが好きだからね。けれど、君が今までそうであったよう、逢うことが稀だ。それもまた、彼女は慣れているんだろうけれど――今回は、僕がいたからこそ、ミーシャも入れたんだろうね」
「……どういうこと?」
「さて、どうだろうね」
「まあ……すぐ答えを出されるよりは、良いけれど」
「ラングと違って、ミーシャはよく考えるからね。実はさっき、訓練場でちょっと遊んだから、そのことで悩んでいるんだろう」
「あら、何をお悩みですか、ミーシャ様」
「ええ」
様をつけられるのも初めてだったので、意識しないよう自分に言い聞かせて、一つ頷く。
「術式の妨害をされました」
「あら」
頬に手を当てる仕草も、どこか美しく感じて。
悔しいと思わないくらい、自分とは違う。
「どのようなものですか、エーリエ様」
「今もやってるよ? そう問われるかと思ってね」
「――ああ、これは失礼しました」
「という感じでね、ミーシャ。このくらいだと、気付かないうちに排除するくらいには、ごくごく簡単なものだよ」
「私の錬度はともかく、アクアさんはどうして、無意識に排除できるんですか?」
「経験です。一度でも知れば、必ず対策はしますから。それにしても、アンテナバットと同じものですねえ」
「……? 魔物の一種ですか?」
「ええ、そうです。ほかの魔物と連携して、アンテナのよう妨害の
「ええと……」
「術式の構成を調整するために必要なものだよ。僕は以前からできたけど、展開式という言葉はアクアさんに教わってね」
「……知らないわ」
「そうですねえ。ミーシャ様、術式の手順として、構成を組んでおいて魔力を流す、これはご存知でしょう」
「はい」
「しかし現実では、構成を組む途中から、既に魔力が流れています。これは手順の省略、時間の短縮として、意識せず行っていることですね。そして展開式とは、魔力を流さず構成のみを、目で見える形に具現する方法です」
「――なるほど。頭の中で構築したものを、目視可能にして、構成そのものをより簡単に調整できるようになるんですか」
「そうです。そして、魔術回路が個人によって違うよう、展開式の見た目もまた、人によって違ってきます。どうぞミーシャ様、試してみてください。この展開式は、外部に出現させるように見えますが、実際には自身の内部で行っているものの発展系なので、妨害はされません。ただし魔力を流すと術式は完成し、その途中で妨害されてしましますが」
「やってみます」
実際にはこの時点で、エーリエは術式の妨害をやめた。
「ちなみにアクアさん、見たことのある展開式で、印象的なものはある?」
「美しいフラクタル図を見たことがあります。色合いも含めて、とても綺麗でした」
「僕は波紋みたいな感じだからなあ……」
形状は違えど、自分が作った構成が展開されたに過ぎない。であれば、読めないことはないのだけれど、美しさとは別物だろう。
そしてすぐ、ミーシャは展開式を出すことができた。
「それほど難しくはないのね……」
「構成だけを作って、それを外に出すだけだからね。ミーシャは図形の組み合わせか」
「え、見えるの?」
「厳密には、見ているんだよ。対策してないから、意識して手順を踏めば見ることもできる。これもまた、防御の意識だね。じゃあ、今回やって術式の妨害をするよ」
展開式が消えることはなかった。
――だが、同じ構成がすべて二重になった。
構成とは綿密な設計図である。一つでも間違えれば、そもそも術式にならない。それが二重になったのなら、同じ術式を二つ使う以上の複雑さを持って、本来の術式とは別物になる。
「これじゃ術式になるわけが……」
「うん、ないだろうね」
「外部から余計なものが流れ込んでる感じ。構成が二重になっているのは、そもそも、ほかの要素を追加できないからね? 線を引こうとしたら、二重線になってしまった感じ」
「その通り」
「なるほどね、対策しておく」
アカインクが選んだ、ほかの魔力波動を拒んで自分の領域を作るのは、この場合において正解だ。そうすれば多重化は防げる。
「――駄目ですよ、ミーシャ様」
「え?」
「そこで終わっては駄目です。そもそも、術式の妨害において、――ほかの方法はありませんか?」
そう問われて、息を飲む。
――そうだ。
この程度、アクアは意識すらしなかった。
「――待ってください。でも、それは」
すぐ気付いた。
「どこまで、対策すべきなんでしょうか」
可能性を追えば、きりがないのに。
どれもこれも致命傷になりうる。
それに対してアクアは、にっこり笑顔で。
「どこまでも、ですよ。かつては、常時展開術式が少なければ少ないほど、実力者だという認識がありました」
「それで充分だ、と示しているんだね」
「ええ。剣が重くて振れないのなら、筋力をつけるよう、魔術師にとっては当然のことです。常時展開が少ないほど、負担が少ないのも現実ですから。ミーシャ様がどうするのか、楽しみにさせていただきます」
「そうしてください……え? エーリエも常時展開してる?」
「それなりにね。対策なんてのは、一万あっても足りなくなる。最低限って言葉の意味を、嫌ってほど痛感したよ」
「誰でもぶつかる壁ですよ。ではミーシャ様、ほかに悩みはございますか?」
「相談所になってるよアクアさん」
「それもまた、私の楽しみですから」
というか、ミーシャにしては見抜かれているような気がしてならない。
「別の話かもしれませんが、エーリエの姿を見失ったんです」
「見失う、ですか」
ちらりと視線を投げれば、エーリエが紅茶を飲んで、口元を少し歪める。
「大したことはしてないよ。体術を使って、踏み込みをした時に出た速度に、追いつけなかったんだろうね」
「ああ、では認識不足ですね」
「――認識ですか? 動体視力とか、そちらの問題かと思っていたんですが」
「それは一因です。ミーシャ様、危機的状況の際に、周囲の光景が遅くなったことはありませんか」
「それはあります、が……意図的にその状況を作り出せば?」
「お勧めはしません。本来、脳はフィルタをかけていて、負担がないようにしています。それが通常の視界ですね。そのフィルタを取り除けば、かなりの情報量を得ることが可能です――が、繰り返すとフィルタそのものが壊れますから」
「インクみたいに、状況に応じて使い分けても、十数年で壊れかけにはなるものさ」
「――え?」
「ああごめん、失言だったかな」
「あ、えっと、……失礼、アクアさん。速度そのものに対応するために必要なものは何でしょうか」
「割り切りです」
彼女は言う。
「見えないものは見えませんから」
ちょっと待てと。
見えないから困っているんだろうにと、思うのだが。
「これもまた、先ほどと同じ、対策の話です。知覚の範囲ですね。人間は消えませんし、目で追えなくても脳内でその軌道を予測することもできます。一度、投げ物の訓練をしてみてはいかがでしょうか」
「投げ物というと、ナイフですか?」
「いえ、針の方が良いかと。扱いが深いですから、面白いですよ。実際に扱えるようにならば、押し引きの手数も増えます。たとえば、ラング様のような方には有効ですよ」
「体術で勝てるとは思いませんが」
「ラング様、距離を保って
「うん、きっとミーシャは、じゃあ接近戦にしてやろうと考えるんだろうけれど、僕の場合は逆だね。投擲を多用することで対応させ、接近してきたところを返り討ちにしようと、そう考えていることを前提とする」
「それはあなたの性格が悪いからじゃ……?」
「ええ……? 僕、性格は悪くないと思うよ」
「それは審議しておく。それより、アカがなんだって?」
「さて、何だろうね」
「随分と仲が良いとは思ってるけれど」
「ああ、それは勘違い」
やはり、エーリエは口の端を歪めた。
「彼女はただ怖がっているだけだ」
「――え?」
「僕を敵にしたくないから、傍にいるんだよ。けれど、残念ながらそうはならない。先延ばしにしているだけだ」
彼は何を言っているのか、わからない。
わからないが、それはきっと事実なのだろう。
「同情くらいはするよ。――殺さない程度の、同情はね」
ミーシャがその現実を知るのは、もう少し先の話だ。
けれど、その時点ではどうしようもなく。
何かができたかもしれないなんて、そんな想いさえ潰される現実が、あっただけだった。
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