モラトリアムな僕の希死念慮

げんのすけ

EP:0「夢」とかけて、「桜」と解く。

 この春、小さいころからの夢だった業界の仕事を辞めた。本当は心身ともに健康でいられなくなったからなのだが、会社と争うのも面倒なのと、診断書を書いてもらわなかったので、「自己都合退職」という形になった。

元々その業界に入りたかったものの、たくさん勉強したというわけではない。むしろ、夢半ばで敗れていった人たちと比べて、専門学校などに行かずに就職できたのは、かなり幸運なほうだったと思う。

僕は、普段から運がいいわけでもない、むしろ運がない、冴えない学生だった。バイトに明け暮れる日々もなく、サークルで遊びける毎日もない、つまらない大学生だったように思う。

4年制大学に進学し、留年することもなく卒業したのが3年前。憧れていた仕事がしたくて、志望する企業も絞った。履歴書を送る会社が10社もなく、母親や父親からはかなり心配されていた。当時、100社受けて内定が3,4社くらい、というくらい壮絶な就職活動期だったので、その心配は当然である。

しかし僕は6社目くらいで、内定をもらえてしまった。夢を諦めて、そろそろ内定がもらえないとまずい、という焦りから、応募する企業を増やそうかと考えていたところだった。そこで就職活動をしたくない自分は、その会社に行くことに決めたのが秋だった。当時の就活生は、冬になっても内定がもらえていないなんてザラで、卒業間際に内定取り消しをされた子もいたらしい。僕が就職活動していたときは、「売り手市場」に移行しはじめの時期だったのかもしれない。今では、新卒の学生たちに、インターンシップ制度やら、優秀な成績を持つ子に声をかけておいて、内定候補として色々イベントやらを画策しているという企業も多いそうだ。

しかし、自分の志望する企業の内定をもらうことがかなわなかった一部の学生は、就職浪人…もとい、1年間海外に留学しに行って語学力を身に着け、アドバンテージをつけるなど、高い目標を掲げ、努力する人が一定数いるらしい。そんな自分と住む世界が違いすぎる人の話なんて、僕にとって新聞欄の一コマにすぎなかったので、本当にいたかどうかはさだかではない。絶滅危惧種の動物みたいなもんだ。SNSで、さほど興味のない話題を出されて、当たり障りのないコメントをする有名人のように、「いやあ、その素晴らしい姿勢、見習いたいですね。本当に、就活生の鏡というか、誰かに言われずとも努力を続けることができる人は、きっと入社後、会社にとって、とてもいい働きをしてくれると思います。」といった感じの言葉が頭に浮かんでくる。僕はそんな雲の上の存在のような人たちの感覚はわからないけれど、きっと世間一般はそういう称賛の言葉を述べるはずだと察することくらいはできる。

案の定、「世論」の写し鏡のような母親は称賛の言葉を並べていた。僕は、ひどく申し訳ない気持ちになりながら、「そうだね」と返すしかできなかった。


 それでも、内定をもらえたことで、母親を安心させることができ、僕は嬉しかった。

母親を安心させるために就職活動をしているわけじゃないけれど、母親が不安そうに、僕の状況を聞いてくることが堪えられなかったからだ。面接どうだった、結果はどうだった、と聞いてくるたびに、内定の1つもとれない僕を責めているような気がした。もちろん、暗い表情の自分を気遣ってくれていることはわかるけれど、そっとしておいてほしかった。夜、自分の部屋にこもって泣くことが、唯一の心が休まる方法だったのを、今でも鮮明に覚えている。

世間的にも名の知れた企業に就職できたことの満足感と、自己肯定感で、1年間は事なきを得た。もちろん、仕事も楽しかったから、こんな楽しくて仕事と言っていいのか、という不安はあった。大きな問題は、2年目からであった。

まず1つの問題は、僕の配属先のチームの上司。入社前、新人女性社員に手を出して、離婚沙汰になったという話から聞いて、生理的な嫌悪感を覚えた。正直な話、他の社員も、社内不倫やらと問題を抱えていた人がいたので、ドラマの世界に迷い込んだかと困惑した。これが一般的な会社においては普通のことで、壁のシミのように、多少あるものなのだろうか。他人の問題だし関係ない、と思いつつも、もしそれが原因で火の粉が自分にかかったら、と思うと憂鬱な気持ちになった。

もう2つの問題は、会社内の温度差だった。機能を、と発表する上層部。

入社して2年目の自分でも無理だとわかる、過密な制作スケジュールだった。現場は絶望を通り越して呆れているひとが多かった。現場の状況が伝わっていないのか、社員が無理をして長時間労働することなど当然になっていた。もちろん、繁忙期は土日の休みがなくなるなど普通のことだと覚悟のうえで入社を希望していたので、つらいという気持ちはなかった。なかった…はずなのだが、延期を繰り返すたび、体が悲鳴をあげていった。体力に自信はあったが、それもあっという間に底をついた。寝ていても疲れがとれず、出社する夢を見たり、歯茎が腫れたりなど、体の不調が出始めていた。それでも、薬で誤魔化していた。終われば休みがとれる。傷ついた兵士みたいに、淡い希望がすぐそばにあると、自分自身を信じ込ませて。

プロジェクトが終わるまでに、数十人もの人が辞めていったし、プロジェクトが無事に終わったあとも、倍は辞めていった。会社の平均年齢はおそらく30代くらいだったが、辞めていく人はこぞって20代後半の中堅社員だったり、スキルを身に着けて優秀な能力のある30代の人だったりしたので、社員の能力の偏りがすごいことになっていた。辞めていかない人は、結婚していて就学中の子供がいるおじさんだったり、会社の意向を受け入れ、手足となって働くことに喜びを感じているおじさんぐらいだった。(僕が辞める前年の新入社員も、数カ月で見切りをつけるくらい、開発の状況がひどいときもあったのだが、おじさんたちは割り切っているようだった。)

僕も数年働いたら辞めよう、と思っていた。それまで我慢しようと。どんなに体がつらくても、耐えようと。

 しかし、既に飽和状態のストレスの海に、か細く弱弱しい防波堤は、長く保つはずがなく、ある朝、気絶するように床で寝ていたときに決壊した。

身体が重い。思考がうまくまとまらない。振り子時計のように、ゆら、ゆら、とする。胃のあたりがむかむかして、吐き気がする。トイレに駆け込み、オエッ、と吐いた。数時間前に帰宅した際に、テレビをぼんやりと見ながら食べたうどんが、形を残したまま出てきた。胃の中がそれしかなかったらしく、あとは胃液しか出てこなかった。気持ち悪いし、頭も割れそうなほど痛くてしんどいのに、自分がもうひとりいて、トイレにへたりこんで吐いている自分を見つめているような気がした。

ありとあらゆる体調不良の症状が押し寄せてきたので、会社に電話し、体調不良で休もうと決めた。電話がつながり、総務の人の声が申し訳なさそうに言った。


「体調不良とのことですが、具体的にどのあたりが…」

「どのあたり。」


思わず言葉を繰り返した。会社の電話対応のマニュアルを憎んだ。

病状を詳しく伝えるのは病院だけでいいような気もする。喋るのもしんどいので、吐き気がひどくて、とだけ言うと、了承を得た。お大事になさってください、といたわりの言葉をいただいて、やっと休めると安堵した。落ち着いたら病院に行こう。知らない土地に一人暮らしだが、今の時代、スマホで近くの病院を探せることに感謝した。


「では、上長のかたにおつなぎします。」


まだ電話が終わっていなかった。苦手な上司に電話をつないでもらい、口早に休むことを伝えた。その日は結局、病院へは行かなかった。いや、行けなかった。翌日になると、頭痛はするものの吐き気はおさまった上に、行こうと思っていた病院はお休みだったので、普段通り出社した。

それ以降、勤務中に突然吐き気を催すことが時々あった。トイレで何度か吐いたこともあった。長時間、会社に縛られていることのストレスだろうということは、そのときから薄々わかっていた。上司のチェックバック待ちのために残業することや、コロコロと変わる上司の発言に、最初のほうこそ全てをぶち壊してしまいたくなるような強い怒りを感じていたが、次第に何も思わなくなった。

大人になったということなのだろうか。と、のんきに構えていたが、それは今思えば脳のSOSサインだったのかもしれない。


 吐きはじめてから数週間後。ついに、朝、全く起きれなくなってしまった。

(身体が言うことを聞かない。しんどい。会社に行きたくない。)

(まあ、そんな甘っちょろいこというと、どうせ『ゆとり世代』で片づけられてしまうのだが。)

寝るところがあるのにも関わらず、また床で寝てしまっていた。きっと体がカチカチになっているから動けない、と思うのだろう。弱音を吐いている自分と、それを励ます自分が会話する。

(今日は金曜日だ。今日我慢して、明日、明後日で休めば、体力も回復するはず。)

(…いや、無理だな、こりゃ。どう考えてもそんなんで治りそうもない。)

小学生の時に学校に行きたくない、とゴネたことがある。それは、ゲームで遊びたくて小学校を休みたいという、しょうもない理由だった。

でも今は、ゲームで遊びたいから休む、という理由でもなく、ただ会社に行きたくないという理由で休みたい、とゴネているのだ。大人の自分が、自分の体調管理ができておらずに。何も成長しちゃいないな、と情けなくなった。自分は社会人失格だなぁ、とかすれた声が出た。数日間、誰とも言葉を交わさずにいた喉から、自嘲するような笑い声が漏れた。

結局、また会社を休んだ。いい加減に病院へ行かなくてはいけない。

この頭痛や吐き気の原因になるものは、ストレスであろうということはわかっていたので、精神科か心療内科か、どちらに行けばいいのかわからなかったが、会社と自宅の間にある心療内科をみつけたので、そこに行ってみることにした。

ストレスチェックのシートなどを渡され、ささっとチェックマークを記入し、すぐに部屋に通された。


「軽い鬱だね。」

「軽い、鬱…ですか。」


それから、院長先生らしきおじいさんは詳細を尋ねた。

ぼろぼろと泣きながら、心情やら経緯やらを話す僕を見て、呆れたような表情で言葉を返した。


「診断書、書けることには書けるよ。でもね、ボクの時代にはそういうのが当たり前だったの。医者もそうなんだよね、大学病院に勤務している医者で、配属になった科によっては夜勤とかあったわけ。」

「…はあ。」

「あなたの鬱の原因は仕事だとおもうけど、転職しなくちゃ原因はとりのぞけないよ。でも仕事なんて、3年間やってみないと、自分に向き不向きってわからないんじゃない。ボクだって、医者にむいてるかどうかなんて、3年どころの話じゃなかったもんなあ。」

「はあ。」


『精神科や、心療内科は、相性が合わないと症状が快方にむかいにくい。』

頭の中の検索履歴に残っていた言葉を思い出し、この病院は外れだと直感した。聞いているんだか聞いてないんだか、間の抜けた返事をしておじいさん先生の話を聞き流した。

地元を離れ、腹をわって話せる友達もいないし、仕事に追われて会社と自宅の往復のみの時間が多く、休みの日も掃除や買い出しのみで終わる毎日。誰かに励ましてもらいたかった。誰かに認めてもらいたかった。そんな、子供じみた甘えだったのかもしれない。話をただ聞いてもらいたかっただけかもしれない。

「ほかの人も悩んで、頑張っているんだよ。まだ若いんだから、ちゃんとしないと。」

その言葉で、完全に心を閉ざしてしまった。そんなわかりきったことを聞くために病院にきたんじゃない、と思いながらも、気づかれないようにため息をついて、ただ「わかりました」と答えた。

薬を処方してもらい、そのあともう1度通ったが、気が滅入って二度とその病院を訪れることはなかった。連絡があったが、「都合のつくときにまた連絡をします」と言ってそれっきりだ。完全に気が引けて、外に出ることすら億劫になっていた。家で何もせず、ただ白い天井を見上げて1日を過ごすことが多くなった。床にはペットボトルが転がり、コンビニで買ったうどんやらのごみ袋が散らかり始めた。床の限られたスペースで生活していたので、ご飯を食べるのも床だし、寝るのも床。手を伸ばせばティッシュ箱やら、ペットボトルやらが届くように配置していた。

ただ、ニオイが部屋にこもるのを嫌って、ゴミを定期的にまとめて捨てるようにしていたので、いわゆる汚部屋の一歩手前にとどまっていた。足の踏み場も多少はあったし、ゴキブリも出たことはなかった。休みの日に掃除をしなさい、と母親から連絡が幾度となくきていたが、休みの日に荒れた部屋の中ですることといえば、自分自身もごみの一部になった気分になりながら、窓ごしに空を見ることくらいだった。やる気が全く起きない。なぜなら自分はゴミだから。何をするにしてもダメな人間。休みの日にパパッとごみを片付けて、きれいにすることすら出来ない。やろう、と思っても実際に完遂することができない。

(このまま、ゴミと一緒に回収されてしまえたらいいのに。)

次にくる燃えるごみの日のためにまとめてある、大きな袋を見つめては何度もそう考えた。不良品のごみ。なんで生きてるんだろうなあ~、と壊れたラジオのように呟いては精神安定剤の薬を飲んだ。(これまた嘘のような話なのだが、精神を安定させるための薬はめちゃくちゃに効く。薬は相性がよかったのだろう、飲むと陰鬱とした気持ちが和らぐような気がした。)

服薬した後、ソファクッションにごろり、と寝ころびながら、遠い空の上を移動する飛行機を見つけた。不思議と、地元に帰りたい、という気分はあまり起きなかった。むしろ、このまま孤独の中で、誰にも知られないまま死んでいきたいと思う。希死念慮。目に見えない存在は、たしかに僕の心の中に住み着いていた。どこからともなくわいて出てくる、小さな虫のように―――。



「……回想、なっげ。」


 結局、仕事を辞めて地元に帰ってきたのだが、一人暮らしをやめてからもなお、自分と話す癖がぬけずにいた。この奇行はかなり母親に気味悪がられたが、無意識のうちに自分に語りかけてしまうので、この癖が完全にぬけるまで時間がかかるだろうな、と思った。

自分の身に起きていたことを、長々と思い起こしていたら、当時のつらい気持ちがどっとフラッシュバックするので、本来は思い出したくない。けれども、思い出さなくてはならない。職務経歴書や履歴書を書くためには、そういった過去と向かい合わなくてはならないのだ。


「何、またひとりでブツブツ喋ってるの?」


洗濯物を取り込み、たたんでいる母親が声をかけた。なんでもないよ、とこたえ、証明写真のデジタル画像を挿入したデータの履歴書と再びにらめっこを始めた。

嘘で塗り固めた、本来の転職理由。人はウソを嫌うのに、どうして綺麗なウソは好むのだろう。入力する言葉が見当たらず、再開したにらめっこは、たったの10秒で中止した。

テレビ番組の雑音が心地よく、ぼーっと眺めていた。苦手な清純派女優が出てきて、思わず顔をしかめる。優等生みたいな受け答えをする彼女は、どうしてもウソっぽくて好きになれなかった。


ふと、テレビから女の子のすすり泣く声が聞こえた。ホラー映画ではなく、テレビのドキュメンタリー番組だった。何だろう、と食い入るように見ていると、どうやら自殺願望のある人たちの悩み相談室のようなものだった。

生きたくても生きられない人もいる。そんな言葉は耳にタコができるほど聞いたし、正直、「外野のことなんか知ったこっちゃねえ」である。誇張表現をあえてするならば、海外の内輪的な問題をもちこまれるような感覚のように思う。

他人の問題を持ち出されても、そうですか、としか答えられない。その気持ちを慮ることはできるけれど、「知ったこっちゃねえな」でしかない。だって自分以外の人間の気持ちなんて完全に理解することなんてできないから。自分の問題は自分の問題、あなたの問題はあなたの問題。生きたい人はいっぱいいるし、これからの人生で花開くはずだった小さな子が数多くいることだって知っている。「代われるものなら代わってあげたい」と言えば済む問題でもない。他人の生死については、他人の命を奪う行為は決してあってはならないことだが、他人が自らの命をどう扱うかは、その人に委ねるべきなのではないか。そんなことを、テーブルの上に置いてある、ザラメせんべいをバキバキ折りながら考えていた。

老いれば体の自由が次第に聞かなくなる。何とか生きていればそのうち死ぬことができる。だから今死ぬ必要はない、と、闘病経験のある俳優が説得しはじめた。死を俳優からの言葉が重かったようで、ばっちり化粧をした女の子は、整った顔ををぐしゃぐしゃにしてボロボロと涙を流していた。頑張って生きよう、と決意したらしい。何度もハンカチで目元を強くぬぐっている。目を赤くして深くお辞儀する女の子を見て、僕は、いってらっしゃい、と祝福した。


死にたいという気持ちには、様々な形がある。

孤独に耐え切れず、誰かにすがりつきたい気持ちの強い現れ。苦しくて苦しくて、生きていくのがつらいという心の叫び。

死にたい人たちにも、「生きたい」と思う瞬間はあったと思う。けれど、その生きたいという気持ちを大きく覆すほど、大きな壁にさえぎられ、どこに進めばいいのかわからず、迷子のまま、出口を求めて暗闇の中をひたすら徘徊するしかない。

はたから見た心の健常者にとって、希死念慮を抱えているひとは、同じところをぐるぐるとしていたり、座り込んでいたりと異様な光景に違いない。どうしてそんなことをしているのか説明しようにも、見えているものが違うのだから、理解されなくて当然だ。そして、自分が「異常」であることを自覚しているゆえに、さらに自信を追い詰めてしまう。心の健常者にはわからない。交わらない水と油みたいなもの。

 その番組を見ていた僕が神妙な顔をしていたのだろうか、洗全て濯物をたたみ終えた母親は、コップを両手に持ち台所から出てきた。


「お茶、入れたよ。」

「ありがとう。」


ドキュメンタリー番組を横目で見た母親は、テレビのリモコンを手に取った。何を言いたいのか察した僕は、お茶を口に含んで、黙ってうなずいた。

番組表を開かず、ポチポチと手持ち無沙汰にチャンネルを変える。夕暮れ時に珍しく、コメディ番組が放送されていた。言葉の洒落をきかせた、謎解きの番組だった。


「あんた、こういうの得意だったよね。」

「うん。」


言葉は、面白い。心を癒す薬にもなるし、心を蝕む毒にもなる。皮肉にも僕が仕事を辞めた、小さなほころびの1つとして、同僚の言葉が猛毒だったという理由もある。


「ねえ。問題思いついたから、出題するよ。」

「何?」

「夢とかけて、桜と解きます。その心は?」

「分かんない。『どちらも希望であふれているでしょう』かな。」


僕の顔色をうかがう母親を見て、僕は愛想笑いを浮かべ、そうだよ、と大嫌いな嘘をついた。もしかしたら、母親は答えがわかっていたけれども、あえて反対のことを僕に言ったのかもしれない。

ただ、僕に生きてほしいという親心からきた、願望を言ったのかもしれない。


(『どちらも最後は必ず散るでしょう』だよ、お母さん。)

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